第29話
「コハル……」
リューの金の瞳が大きく見開かれる。
吐き出した言葉と一緒に、私の両目からはボロボロと涙が零れ落ちていた。
泣きたいわけじゃないのに、止まらない。
怒りとは違う、このぐちゃぐちゃとした感情は一体なんだろう。
わからない。
ただ、今リューから突き放されて、喉の奥がどうしようもなく痛くて苦しい。
これが、「恋」や「愛」の痛みというやつなのだろうか。
誰かに恋をしたことも、誰かを愛したこともないからわからない。
でもきっとこれは、「恋」とか「愛」とかそんな綺麗なものじゃない。
私は誰かに必要とされて、誰かに愛されたかっただけで。
必要とされていると思っていた会社をあっさりとクビになって、空っぽになったところに丁度よくリューが現れて、その隙間を埋めるように愛してくれたから。
結局、私は彼に縋っただけなのかもしれない。
――なら、リューじゃなくても、誰でも良かった……?
自分に問う。
(……違う)
リューだったから。
7年前、命を懸けて一緒に戦って、痛みも喜びも一緒に分かち合ったリューだったから。
我儘なところも、勇敢なところも、可愛いところも全部知っているリューだったから。
そんなリューが私を必要としてくれて、愛してくれたから。
だから私は、再びこの異世界に戻ってきたのだ。
――なのに。
「なんですか、ちょっと他の人と話したくらいで。私がそんなに信用できませんか!」
「コハル、」
リューが出窓から下りて、こちらへやって来る。
「私は、自慢じゃないですがリューが全部初めてなんですよ。キスも、誰かと一緒のベッドで寝るのも、こんな気持ちになるのも全部!」
恥を捨てて大声で捲し立てる。
「それに、リューがあの頃と変わらず子供っぽいのなんて最初から知ってます!」
「ぐっ……」
小さな呻き声が聞こえた。
「背が伸びて腹立つくらいイケメンになっても、あの頃と変わらないリューだから、だから私は……」
目の前に立った彼が、涙で見えない。
「だから、今更他に行けなんて、言わないで……っ」
言葉の途中で、強く抱きすくめられた。
「すまない」
つま先が浮くくらいきつく抱きしめられて、彼がもう一度繰り返す。
「すまない、コハル」
その苦しそうな、でも優しい声音を聴いてまた涙があふれた。
「……怖かった」
「え……?」
「コハルに嫌われてしまったのだと思って、たまらなく怖かったんだ」
絞り出したような震えた声で、彼は続ける。
「妖精王とのことも、コハルを信じたいのに、俺よりも奴の方がコハルを知っているのだと見せつけられたようで、どうしようもなく苛立って、我を忘れた。……コハルに嫌われて当然だと、心底自分が嫌になった」
耳のすぐ後ろでぽつりぽつりと吐露される彼の気持ちが、なぜだか心地よくて。
「こんなのは初めてで、どうすればいいのかわからなくなった」
(リューも、初めてだった……?)
彼が腕を緩めて、私を見つめる。
「二度も泣かせて、すまない」
そうして彼は私の涙を指で優しく拭ってくれた。
「コハルは、こんな俺でもいいのか?」
こちらを見下ろす金色の瞳は、もう怖くはなかった。
優しく揺れるその瞳を見上げて、私は今出来る精一杯の笑みを浮かべる。
「それはこっちのセリフです。ずっと、そう言っているじゃないですか」
「俺はコハルしか愛せない。ずっと、そう言っているだろう」
「私も、リューだけです」
両手を伸ばして、彼の頬に触れる。
「私はリューが喚んでくれたからこの世界に戻ってきたんです。それを、忘れないでください」
宝石のような金の瞳が一際大きく揺らめいて、もう一度強く抱きしめられた。
「あぁ、忘れない。ありがとう、コハル……っ」
その温もりに安心を覚えて、私は彼の背中に手を回した。
――まだ、これが「恋」や「愛」というものなのかどうかはわからない。
でもそれを知るのは、彼がいい。
私の“初めて”は全部、リューがいいと思った。
「リュー」
「ん?」
「今夜、私を抱いてください」
「――っ!?」
自分でも驚くほど自然に、そんな言葉が出ていた。
彼がびっくりしたように身体を離して私を見つめる。
「……いいのか?」
戸惑うように訊かれて、私は苦笑しながら答える。
「全然うまく出来る自信はないんですが、私も、その、もっとリューを知りたいと、思って……」
でも言いながら急に恥ずかしさがこみ上げてきて、まともにその顔が見れなくなった。
「コハル、」
名を呼ばれて、顔を上げた途端だった。
「ん……っ!」
噛みつくように口づけられて、目を見開く。
頭の後ろをしっかりと支えられて、こじ開けるようにして強引に舌が入ってきて身体が強張る。でも、精一杯そんな彼に応えていく。
それはこれまでで一番激しく長いキスで、息も上手くつけなくて、彼の唇が離れていったときには全身の力が抜けていた。
「!」
彼はそんな私を軽々と抱き上げると部屋にあった小さなベッドに優しく下ろしてくれた。
そうしてまたキスを落とされて、私は慌てる。
「――ちょっ、と、待ってください」
もしかして、このままここで……!?
今夜、寝室でというつもりだった私は流石に焦って彼の胸を押しやった。でも。
「もう、待てない」
「……!」
その両手を優しくベッドに縫い留められて、熱を帯びた瞳に見下ろされて、私はもう逃げられないのだと悟った。




