「なら話して」
「ちょっとエンジ、しっかりして。もうちょっとだからちゃんと立ってちょうだい」
「う〜ん……大丈夫……大丈夫……」
エンジたちが仕事に行き、想定外に大変な目にあった翌日、彼女たちは学校の終業式に出ていた。
愛梨亜たちの予想に反してエンジは朝から起きて、学校に行くと主張したからだ。
愛梨亜たちは途中で体力が尽きることを懸念して止めたのだが、大丈夫大丈夫と謎の自信を漲らせたエンジに押し切られ、本日一学期の終わりを迎える母校へと登校したのだった。
そしてその結果は愛梨亜たちの懸念通りとなり、登校途中から若干ふらつき始めていたエンジは、現在終業式の途中でありながら半ば夢の住人と化している。
近くに整列しているクラスメイトに微笑ましく見られながら、困った様な愛梨亜に背を支えられて舟を漕いでいる姿に、杏里沙は頭を抱え、有夏は苦笑いを浮かべる。
そんな周囲の事などいざ知らず、夏休みの注意事項を告げている生活指導の教員の声をBGMにしてエンジは完全に眠りに落ちた。
学校は午前中に終了し帰宅の準備を進める愛梨亜たち。
エンジは完全に熟睡しており、彼女が密かに望んでいたクラスメイトたちと挨拶を交わすという目標は叶わず、ただ寝顔を一方的に愛でられた挙句、挨拶は愛梨亜たちがグースカ寝ている寝坊助の代わりに交わしていた。
帰り支度を終えた愛梨亜たちは、エンジを無理に起こすということはせず、とりあえずそのまま寝かせておき、有夏がエンジの小さい体躯を背負って歩き出す。揺れる背中にも全く反応せずに眠ったままのエンジに三人はため息をつくのだった。
「どうしてもと言うから学校に来ましたけど、やっぱり無茶でしたね」
「……ねえ、背中に涎垂れてないよね?」
「そうね。そもそも、今日起きてきた事自体が驚きだもの。あんなに力を使ったら、いつもなら数日はダウンしているところよ」
「ねえ! なんかちょっと湿ってる気がするんだけど、涎垂れてないよね!?」
「……今度しっかりエンジの調子を調べた方がいいんでしょうか……?」
「聞いてよっ! 涎垂れてないよねぇッ!!?」
「うるさいわよ有夏。今拭くから大人しくしていなさい」
「やっぱり垂れてたよ! 汚いなあ、もうッ!!」
涎を垂らされ少し湿っぽくなっている有夏の背中を愛梨亜がハンカチで拭う為に立ち止まっていると、その光景を一歩離れて眺めていた杏里沙へ、四人の後から教室を出た八巻が話しかけてきた。
「陸井さん、今日は四日堂は開くの?」
「ああ、八巻くんですか。今日はエンジがあの調子ですし、お休みですね」
「やっぱりか。了解です。それで明日から夏休みだけど店はどうするの?」
「今のところ開く日は不定期ですね。とはいえ、八巻くんを雇って庇護しているという建前上、一応の予定としては日、水、金曜日の週三日開店する予定ではあります」
「でも、店を開くかどうかは分からないって?」
「そうです。もし開かないなら連絡しますから、連絡がなければ基本的に来てください。連絡なしで来ても開店していなかった時のために、店の合鍵を渡しますから」
何でもないようにそう言って、ポケットから取り出した鍵を八巻の手のひらに落とす杏里沙。自分の手の中にある鍵に目を丸くして狼狽える八巻に首を傾げつつ、どうしたんですか? などと言ってきた。
「こ、これ、良いの? 俺なんかに渡して……」
「……? ええ。私たちも連絡を後回しにせざるを得ない用事が発生するかもしれませんし、それに八巻くんはその鍵を悪用したりはしないでしょう?」
「そりゃ、もちろん! 悪用なんかしないよ!」
「なら大丈夫でしょう? それに、そもそもその鍵では居住階には入れませんしね」
そう言って笑顔を見せる杏里沙に、八巻は不用心なのか、そうではなく自分くらいならどうとでもできることからくる余裕なのかが分からず、非常に複雑な気持ちを抱いた。
どう反応していいのか分からないので苦笑いを浮かべる八巻を他所に、涎を拭い去った愛梨亜とエンジを背負った有夏が杏里沙に声をかけ歩き出す。杏里沙もそれに応えてから、八巻に挨拶をした。
「じゃあ八巻くん、とりあえずこちらから連絡がなければ明後日に店まで来てくださいね。よい夏休みを」
「了解しました。みんなもよい夏休みを」
「ありがとうございます。では」
八巻が杏里沙とその後ろの他三人に挨拶をすると、互いに手を振り合って別れた。
愛梨亜たちが学校の外に出ると、丁度陽が一番高い時間で、太陽光に熱せられた空気が蒸し蒸しとした熱気を帯びている。背中に熱源を背負った有夏はうへぇと舌を出し、うんざりした様子である。愛梨亜と杏里沙はそれをクスリと笑うと、各々が日傘を取り出して翳し、四人全員が影へと入れる様に位置を調節して歩き出した。
これをもって、明日から学生の一大イベントである、夏休みという長期休暇が始まるのだった。
学校から帰宅した愛梨亜たちは起きないエンジをベットへ寝かしつけ、自分たちは最近何かと忙しかった為に溜まってしまっていた家事を分担してこなしていく。
時たま誰かしらの手が空けば眠っているエンジの様子を見に行っていたのだが、かなり不安になるほど寝息が静かなくらいで、愛梨亜たちからは特にそれ以外の異常は見つけられなかった。
結局、その後エンジが目覚めたのはおやつの時間を大幅に過ぎたところであり、寝起きでポヤポヤしている彼女の世話をあれこれと焼いている間に、既に日が落ちていたのであった。
「エンジ、もうちゃんと目が覚めた?」
「……ん~、まだ眠い」
「今寝たらダメですよ? 夜に寝れなくなりますから」
「ん……、がんば……る……ぁ~……」
「そう言いつつほとんど寝てるわね」
有夏がリビングにある大きめのダイニングテーブルセットにエンジを座らせてそう尋ねると、少しテンポが遅れて返事が返ってくる。返事をした本人はといえば、夕食の準備をしている杏里沙を眺めながら半眼になってこっくりこっくりと船をこいでいた。
料理中の杏里沙から注意が飛んでくるが生返事が返ってくるだけで、今にも寝てしまいそうになっている。というか愛梨亜からして見れば、ほぼ寝ているも同然の状態だった。
「エーンージー、しっかりしてよ~。話があるんだよ~」
「……んぁ~? おきてる、おきてるぅ~……」
有夏が声を掛けながらエンジを揺するのだが、半眼で口から涎を垂らしそうになっている彼女はむにゃむにゃ言いながら適当な返事をしている。その光景にため息を漏らし、エンジの口元をティッシュで拭いつつ愛梨亜が有夏へと言った。
「これは無理ね。有夏、話は明日にしなさい」
「も~! 今日無理して学校に行くからこうなるんだよ〜! 仕方ないなぁ。あ~もう! 折角決心したのに!」
「仕方ないわよ。むしろエンジが翌日にこうやって動けることの方が驚きなんだから」
「まあ、確かにそうなんだけどさぁ。出鼻を挫かれるとこう、話そうっていう決心が揺らぐじゃんかさぁ! こんなことなら朝、話しとけばよかったよ!」
そう唸りながら頭を抱える有夏へと同情の目を向ける愛梨亜と杏里沙を他所に、エンジはテーブルへと突っ伏して静かな寝息を立てていた。
更に翌日、普通に起きてきて活動できているエンジに、愛梨亜たち三人は以前よりも改善した彼女の回復力に改めて驚きつつ、話をする場を設けるのだった。
テーブルに着いたエンジは対面で神妙な顔をしている有夏に首をかしげながら尋ねる。
「話ってなに?」
「柊たちの事。聞いてくれる?」
「重要なこと?」
「あの二人にはね。エンジにとって重要かはエンジ次第だよ」
「有夏にとっては?」
「……そこそこかな」
「なら話して」
エンジの全く迷いのない返答に思わず苦笑いをしてしまった有夏は、彼女への説明をするために八巻と共に柊を駅へ送った日の事を思い返して話し出すのだった。
「お願いだ。母さんと親父を助けて……お願いします……」
柊は涙を流しながら有夏へと酷く苦しそうにそう言う。至近距離でそんな顔を見せられた有夏は動揺し、彼女に対して何もできないでいた。
そんな状況に密かに慌てたのは八巻で、固まってしまった有夏を見るやいなや急いで柊に話掛けながら有夏へとアイコンタクトを送る。
「ご、五塔杢さん、落ち着いて。先ずは詳しい事情を話してくれないと海野さんも何も言えないと思うよ? ね、海野さん?」
こう言い終わっても尚、固まっている有夏に対して八巻が強めに「ねッ!」と声掛けすると、彼女はハッと気を取り直して同調した。
「そ、そうだよ、柊。何がどうしたのか詳しく説明してよ」
「……ああ、そうだよな。まずはそこを話さないとな」
柊はそう言うと有夏の肩を掴んでいた手を離し、涙の滲む目元を拭いながらゆっくりと話し出す。
五塔杢家の抱える……その問題についてを……。
今後も不定期更新です。




