Ⅲ324.男は愉悦する。
ジャラッ……ジャラッ……
限られた灯り以外、窓一つない空間で鎖の音だけが薄く木霊する。
ぺたりぺたぺたとした足音も、上等な靴の音も、鎖の音にうわ塗られ、無機質な音しか耳に残らない。下手な鼻歌が時折混じるが、それを心地良いと思うのは鼻歌をこぼす本人だけだった。階段をいくつも降り続け、地下室と銘打たれるそこは鼻歌の男の別宅の一つだった。
齢四十五、奴隷産出国の第四王子だったものの王族として具体的な公務など携わるものはない。
国の金をただ湯水のように〝有効活用〟することこそが、本人なりの一番大事な公務だった。そんな彼は、途中退場を余儀なくされたと引き換えに手に入れた最高級奴隷に胸は弾み早まり、足元も僅かにスキップをしたくなる。
今回はたった一人しか競り落とせなかったが、手に入れることができる度に自分はこの世で最も選ばれた人間なのだと実感することができる。
特に今回は自分の日頃の行いの賜物だと思う。
開催の度に高額記録を更新し多額の貢献をしてきたからこそ、特別に〝たまたま持ち合わせがなかったせいで競り落とせなかっただけの〟最高級奴隷も手に入った。主催者とも仲良く信頼関係を築いてきた努力の成果だ。
ミスミ王国のオークションには「相応しくない」という理由で、自国の国王から出席を許されたことがないが、裏で行われる闇オークションでは間違いなく自分が勝者だ。国王を含める兄達が他の王族にぺこぺことしている間に、自分は一人大勢の権力者達から脚光を浴びているのが心地良くて仕方がない。自分の人生に今では大いなる楽しみである闇オークションの日の為だけに、ミスミ王国へ別宅を建てたほどだ。
会場からは馬車で暫く揺らされるほど離れた郊外にあるが、だからこそ人目に触れにくく開放的に過ごせる。いくら騒ごうと泣き叫ばせようとも苦情もこなければ怪しまれることもない。会場から離れているからこそ、今まで他の来賓にも見つかったことがない。誰もこんなところに王族が過ごしているなど思いもしない。
管理人に手入れを任せている別宅は久々に来ても常に手入れは行き届いている。
城よりは狭いが、最低限の使用人や護衛達だけならば窮屈というほどではない。埃一つなく、庭には自分好みの花が咲き、ベッドのシーツは常に新しく、地下牢の〝お愉しみ〟器具も全てがピカピカに磨かれている。
今日は護衛や使用人としての奴隷以外、愛玩用も連れてこなかった。地下の檻をいっぱいになるほど買い付けるのが闇オークション後の醍醐味だったが、今回はその檻のたった一つに最高級奴隷一匹だけ。
しかしこれはこれでこの上なく贅沢だと、男は気づけば口元にまで溢れかけていた涎を指の先で拭った。待ちに待った特殊能力者だ。
片手に握る鎖には今も、たとえ兄達であろうとも今や手に入らない最高級奴隷が繋がれている。
傷は少ない上に近くで見れば見るほど美しく、そして抵抗も少ない。自分が引く方法にそのまま足を動かし付いてきた。馬車の荷台から降ろした時には譫言を何度か呟いていたが、鎖を強く引いてやっただけで押し黙った可愛い奴隷だ。
馬車から屋敷に入り、そしてこの地下に連れてくるまでも殆ど無抵抗。目が虚ろなのも、今は全て魅力に見えて仕方がない。生娘の奴隷をどうこれから自分色に染めようかと考えてはまた目が輝いた。
自分の従者や護衛にやらせても良いところを、敢えて自分の手で連れ行きまた噛み締めた。時によってはここまでも、そしてこれからの作業も他に任すこともあるが、今日は全て自分の手でやることに意味を見出す。
「さぁ最初のお楽しみだ。これが終わったら水浴びも服も用意してやろう」
最初の楽しみ、の意味を奴隷は理解しない。笑いかけられたところで、その下卑た笑みに怯えることもなければ逆に愛想笑いを返すこともない。五感が機能はしているのに、感情に反映できない。
今まではその容姿の良さを維持させる為、痕が残るほどの行為だけは幸いにも免れていた。家に持ち帰られるのも初めてだ。不当な手段で奴隷になり、なるべく状態の良い高価なまま闇オークションまでまっすぐに流されたその奴隷はまだ〝それ〟を受けたことがない。
そして本来ならば現状もまた、必要はない筈だった。
「準備は整っているな?」
「勿論でございます」
煌々と燃える炉が毒のように光を放つ。
その中へと先を差し込まれていた鉄ゴテを、男は手に取り笑う。試しに軽い気持ちで奴隷の鼻先に突きつけてみれば、直接触れずとも灼熱が顔全体を襲った。あまりの熱量と、突きつけられた事実に奴隷もやっとこれから何をされるのかを理解する。
炉から出されても尚熱の塊を維持する鉄を、これから自分の身に当てるのだと。焼印と呼ばれるそれを瞼のなくした目が先に焼き付けた。
ニヤリと歪めた笑いを浮かべる男と焼印に、足が初めて後方へと下がった。しかしそれも主人の鎖で簡単に引き戻されてしまう。もう主人の歪な笑みよりも熱源の焼印から目が離せない。
闇オークション主催側との約束で、奴隷を外に出すことは一生ない。連れ回すのは愚か、不要になっても転売はできず処分しなければならない。あくまで手元で愉しむだけだ。しかしそれでも〝自分の証〟は付けておきたい。
今まで焼印を付けられたことのない生肌に自分が最初に跡を付けるのだと、男は馬車の中で既に決めていた。
一歩、また一歩と近付く主人に無意識に足が後ろへまた下がる。首を横に小刻みに振るのが拒絶なのか震えているのか本人すらもわからなくなる。
一度も焼印などされたことがない。しかしその熱さと激痛は体験せずとも想像できる。護衛達がいつでも押さえつけられるようにと傍に控えるが、か細く色白の奴隷一人に苦労する男でもない。首の骨を折らんばかりに勢いよく自分の方へと引けば締められる苦しさも合わさりばたりと前のめり転び、べたりと全身を床に伏す。衝突の寸前僅かに手をつけたが力が足りず、顎を打ちつけた。その間も殆ど目を焼印から逸らすことも叶わない。
指の先まで震え、歯がカタカタと音を鳴らす。その熱源への拒絶感こそあるものの、自発的な行動を起こすまで脳が働かない。確実に自分へ激痛をもたらされると、熱源とは別の冷や汗がどっと溢れ出た。もともと血色の悪い肌が更に蒼白へと変わっていく。
どうすれば良いかもわからず、痛みを与えられないようにする為には相手の言われた通りにすることしか術を知らない。しかし、今は自分に命じる相手が嬉々として
「大人しくしろ。大事な顔を火傷したら処分も早まるぞ」
痛みを与えることを大前提に命令をしている。
息を飲んだまま呼吸が止まり、瞼が大きく開いた。もう、一度は覚悟する。暴れればもっと、もっと焼かれるのだと理解した。舌を噛み切りたいと思ったが、髪切るほどに顎に力が入らない。甘噛み程度でせいぜいだった。
いっそ、転ぶふりをして炉に頭から飛び込めば死ねないだろうかとも考える。貧相な身体の自分では、主人を怒らせるほどの反抗も叶わない。一思いに殺してもらうことができないならば、死ぬしかない。
死にたい、死にたくない、と。……相反することを願ってから、もう何日か何十日かそれ以上かも奴隷は知らない。
息を、細く、細く整える。床に転がったままぎゅっと目を閉じた。乱れたドレス裾の中に痩せ細った両足を畳み、枷で纏められた両手で拳を握る。伸びては栄養不足でボロボロと崩れギザづいた爪が軟い肌に食い込んだ。いつ焼印が襲うかの恐怖より、一秒でも長くただただ痛みに耐える覚悟をするべく身を硬くした。
その奴隷の表情一つすら男には意地らしく愛しく映る。まるで蝶の羽根を片方捥ぐような愉快感だ。
今ここがベッドの上であるかのような高揚まで僅かに覚えれば、焼印を突きつけたまままた反対の手で口を拭った。じわりじ、じわりと焼けた鉄の先を奴隷へ近づけ、わざと場所に迷う。いつもならば迷わずの箇所だが、怯える顔をいつまでも眺め続けたい。あと一センチまで近付けてはまた引っ込め、また別の箇所へ炙るように近付け引っ込めるを繰り返す。
あまりにも遊び過ぎて、とうとう熱源が十分以下に冷めてしまった。顔を顰め炉へ乱暴に放り戻し、また新たな焼き印を引っ張り出す。男が遊び続けていた間も炉で熱を溜めていた焼ゴテに、瞼を絞っていた奴隷も温度の変化に気付き、怖気立つ。もう目を開けることも恐ろしく、息も止めたまま瞼の先の薄い赤に心臓がけたたましく脈打った。
今度は男も遊ばない。目を頑なに閉じ続ける奴隷へと、醜く口の端を広げた。今この瞬間が奴隷にとって、記念すべき瞬間になることを確信する。閉じた目の代わり剥き出しの耳へと、たった一言
─ 地下まで届く破裂音
「こッ……⁈」
短く、一瞬で。しかし男達の天井どころか屋敷ごと響かせたようなその音に、男は思わず構えた焼印を落とした。
幸いにも奴隷には直接落ちずその鼻先に転がった。床で鈍い音を立てたが、奴隷本人もまた衝撃音の方に思考が揺らされ理解ができない。
なんだ、何事だ、どうなっていると男が同じような言葉を屋敷中の人間に向けて何度も喚く中、その間にまた破裂音が連続した。様子を見に行った使用人が帰ってこず、誰か報告に来るのも落ち着かず固唾を飲んで待つ。次々と物音が近付き大きくなっていけば騒ぎ声まで聞き取れる。その中に悲鳴はない。悲鳴の代わりに一瞬の呻き声だけが重なり消える。
ドタドタと煩すぎるほどの足音とガッシャンガッシャンと硝子のような破壊音、悪意すら感じさせる破壊音、そしてとうとう地下へと繋がる階段を駆け降りる音まで響かせる震源地へと腕自慢の護衛達も頑丈な地下の扉を急ぎ閉じ、施錠した。
「!おおッアーサーまで!!」
「アラン!お前はハリソンを追え!!」
「最下層におられます!」
「?!ジャンヌ!!!!!」
「ミシェル!ミシェル!!聞こえたら返事を!!」
複数の声が殆ど同時に迫り来る。
しかし扉を閉じた今、時間は稼げる。自分達が相手するまでもない、まずは主人である男の指示を仰ぐべきだと思考が言い訳しながら誰もが保身に
「無駄なことを」
ピシンッと、軋むような音の直後。分厚い扉が大振りに刻まれ崩れた。
〝鉄製〟の扉が斬られ、下手の積み木のように、支えを失い破片が転がり落ちる。更には追って内側から蹴り飛ばされ飛び散った。瓦礫の塊のような破片が扉の前に佇んでいた男達へ投石のようにぶつかった。
ぎゃああああ!と今度は悲鳴も上がる。分厚い鉄製の扉が爆破以外の方法で破られた脅威も重なり、誰もが目を剥き扉から逃げ離れる。破片に紛れるように複数の影が飛び込んできたことにも、顔を腕で庇う男達はすぐには気付けない。
床に転がる鉄ゴテが蹴り飛ばされ、護衛達は一瞬で後頭部を打ちつける。
奴隷を繋ぐ鎖全てが両断され、その先を握っていた主人へ影が覆いかぶさった。
男の視界は塞がり、胸に圧迫感を覚えた直後、その重量のまま押し倒される形で転倒した。背中から打ちつけ後頭部も追い、痛みと共に我に変える。
やっと自分を倒した存在を視認する。髪の長い、そして細い女性だ。奴隷よりも望ましい肉付きと高身長の女性に乗られたまでは良い。たかが女だと睨んでやろうとすれば、途端に耳の横へ金属音が鳴り響いた。首の覚悟と目だけを可能な限り動かせば、自分の左耳のすぐ横に剣が突き刺さっている。女の、自分に乗り上げてきた地味な顔をした女の剣で。
「下郎が」
地の底から響かせたような声に、男は瞼のなくなった目がそのまま捕われた。




