急ぎ、
「貴方のこの美しい手が傷をつかないで本当に良かった」
「ありがとうございます。母上の近衛騎士の方々や優秀な兵士、騎士隊のお陰です。それに、アルフォンス王子殿下もこうして迎えに来て下さってとても心強く思いますっ」
優しい声にも、少し気取った言葉にも、きっと好意を抱かせたい相手にしか見せないのだろう男らしい表情にも変に緊張しないで済むし手の平を湿らせることもない。今も第二王女として社交術の一つとして身につけた笑顔と言葉、そして心からの感謝の気持ちで返せる。彼がわざわざ駆けつけてくれた気持ちは本当に嬉しくて、優しい人だと思う。王子様に憧れていた幼い自分であれば恋をしちゃっていたかもしれないくらい格好良い。今の自分は間違い無く、あの時読んだ絵本の中にいたお姫様だ。
手を取られながら、慣れた様子で階段を降りる王子を見つめ返しそう思う。自分を一瞬も離さず見つめ続けながら、頬をうっすら染めて微笑む彼は、きっと次期王妹の夫という立場が欲しいだけの人間ではないと思う。もし姉と自分が立場上均等に並んでも自分を選んでくれる未来があったかもしれない。そう思うくらい、王子の手も笑顔も言葉もあふれ出る感情も全てが優しい。
「無理をなさらないでも良いのです。あのような野蛮な輩がなだれ込み、さぞかし怖い思いをされたことでしょう」
「いえっ。ケネス隊長達が一緒でしたから。優秀な騎士達がきっと助けにきてくれるとも信じていました」
クスッと口元を隠して小さくも無邪気に笑うティアラの返答は本心だ。
ケネス、そしてブライスやノーマンが必ず事態を収束に導いていると信じて疑わなかった。実際、彼らは一度もその期待を裏切らず解決してくれた。ロデリック率いる騎士団も絶対に助けに来てくれるとわかっていた。本音を言えば、更にレオンと率いるアネモネ騎士隊や地下で健闘しているであろうプライド達の存在も大きかったが、それはティアラも秘めたまま口にはしない。地下のことだけでなく、折角勇気を出して迎えにきてくれた王子にレオンの存在を仄めかすことは申し訳なく思う。
しかしそんなティアラの言葉も、王子にはただただいじらしい。流石は第二王女であり、次期王妹として名を上げた女性であると思う。だが、実際は全く怖くなかったわけがないとも。
フリージア王国の騎士が人間離れした強さを誇ることも、その評判も王族として知っている。今、こうして事態が好転したこともフリージアの騎士達による尽力の賜であることも理解している。しかし、たった三人の騎士しか護衛に連れられない状況で、全く不安を覚えなかったわけがないと思う。しかも、自分や兄達が二階席の来賓の元へ巡っている間にフリージア王国の騎士はたった一人しか残っていなかった。そんな中で、心細くなかったわけがない。
それを、ミスミ王国の王子である自分や護衛である近衛騎士にまで気負わせないようにと平気に振る舞う彼女は、やはり心の綺麗な女性だとまた一つ彼女への愛おしさが強まった。
階段を降りきり、手を離して良い間合いになっても王子は手を離さない。
ドレスで転ばないように早足で彼女の細い手を引き続ける。その様子に、一番近くに付いていたブライスとノーマンも引き剥がすべきか考えたが、相手が王子であることとティアラ本人から拒絶の意思表示がないことで黙認した。手をそのまま離されないことには少し戸惑ったティアラだが、予想できたことでもあった。ここまで迎えに来てくれるほど情熱的な王子が、階段の終わり程度で手を離さないかもと頭の隅で思っていた。
異性からのアプローチ自体は受け慣れている。そっと手を取って貰えたことも、優しく触れられたことも、男らしい力強さで握られたことも、情熱的な眼差しで見つめられ、……愛の言葉を説かれたことも。
「今は、このような状況で落ち着いて話すことはできません。是非、日を改めて今回の謝罪と挽回の機会を」
パシリッ
「ッし、つれい致します……!!ティアラ第二王女殿下、アルフォンス・ヘパ・ノビリス第三王子殿下っ……」
ティアラに触れる王子の手へ、更に第三者の手が唐突に重ねられた。
突然現れたその青年に、ブライス達も思わず身構える。武装した騎士の中には既に半分剣を抜いた者もいたが、同時に「おい」と潜めた声や肩を叩き制止を掛ける者も現れる。青年の後ろには、フリージア王国の騎士が二名も共に付いていた。彼らが自国の騎士達から青年を守るように前に立ち牽制し、更にはその青年の容姿に見覚えもある騎士もいた。
フリージア王国の王族が宿泊する宿で、彼のその姿を目にした騎士は少なくない。しかしそれを知らないアルフォンス王子は険しい顔で振り返る。「無礼者!!」と叫び、ティアラの手ごと青年の手も鋭く振り払い、会場に戻る間際に兵から借りた剣に手を掛ける。ティアラも、いつの間にか自分達の目の前に現れた青年に思わず口を両手で覆い目を水晶のように丸くした。何故、よりにもよって彼がここに現れたのかわからない。
「何者だ!!私をミスミ王国第三王子と知っての狼藉か!!まさか賊のッ……?!」
一味かと、そう言いかけた王子は剣を抜いた後だったかそこで止まった。その狼藉者を守ろうと、フリージア王国の騎士二名が前に出て身構えだしたことに目を見張る。一体何故、本当に何者なのかと、〝凡庸な顔立ちの男〟を前に混乱する。
特殊能力により姿を変え映された彼の本来の姿が見える者は、この場にいない。ティアラすらも、その声と昨夜通信兵を介して話をしていなかったら気付けなかった。あまりに一瞬のことに未だ声も出ない中、何度も何度も瞬きをする度に彼の正体を自分の記憶の中で照合し確かめる。ハナズオ連合王国の王弟である彼は、装いこそその立場に恥じない上等な衣装だったが、顔立ちや髪も容姿全てが本来の彼からは似ても似つかないものだった。当然、セドリックと顔を合わせる機会すら少ない第三王子に気付けるわけもない。
大変失礼致しましたと、言葉は整えるセドリックはそれに反して眼光は自分でも自覚できないまま鋭くなっていた。しかし相手は第三王子と、今までにも挨拶を交わしたことが三度ある相手に向けて、セドリックは今までの挨拶とは比較にならないほど深く頭を下げる。
「私はッ、ティアラ第二王女殿下の〝従者〟を仰せつかっておりますダリオと申します。大変申し訳ありません、突然の無礼をお許し下さい」
従者、という言葉に思わず肩を揺らす第三王子に反し、ティアラは逆に上がっていた肩がゆっくりと下がっていく。
変わらず両手で口を覆ったまま、余計なことを言わないようにだけ気を配る。姿は違ってもセドリックの男性的な色香のある声でまた自分の名前を呼ばれてしまったと気がついてしまうだけで、耳が熱くなってきた。
正体を偽る為とはいえ、まさかの王弟が自ら従者を名乗り、しかも自分より立場が低い筈の王子に謙っている姿に、騎士達も必死に表情を隠しつつ息を飲む。深々とした礼も、ゆるやかな動作も全てティアラも錯覚するほどに熟達した従者の動きそのものだったが、実際は他者に傅くこともない筈の王族だ。
まさか王弟に頭を下げられているとは思わない第三王子は、目を微弱に泳がせながら剣を収める。ティアラの従者であれば、騎士が守ったのも頷ける。いつの間にという疑問はあるが、彼女の従者を自分が斬るわけにもいかない。何より、従者であれば自分が今手を止められてしまった理由も恥ずかしくも納得はできた。
「恐れながらも申し上げますが、アルフォンス第三王子殿下。今はまず待避を優先すべき状況かと」
ぐぐぐっと、真正面からの正論に第三王子も先ほどとは別の理由で顔が赤くなる。確かにその通りだと、自分でも恥じてしまう。
意中の王女の手を取れたことの喜びと雰囲気に飲まれ、つい欲を出してしまった。本当ならば彼女を無事外に連れ出すまで行動を共にするだけで満足するつもりだったというのに、彼女の可憐さに当てられて周りが見えなくなっていた。「仰る通りです」「大変失礼を致しました」と、ティアラに対してだけでなく〝従者〟に対しても礼儀を通した王子は、もうティアラの手に触れ直すことも憚れる。こちらですと、自分が立ち止まってしまったせいで女王に置いて行かれてしまった分を取り戻そうと、先導に足を動かした。
ティアラもセドリックに話を合わせつつ、今は従者として振る舞う彼へ安易に声も掛けられない。自分の隣から半歩下がった位置を維持する彼が、何故現れたのか。何故兄が送りつけたのか、そして何故
「ご安心を。……ジャンヌ達はご無事です」
「…………~っ。もっと、言うことがたくさんあると思うのですけれど!」
何故、自分と王子の間に割って入ってくれたのか。
それを聞きたいとは思うのに、状況を理由に下唇を噛んで止まってしまう。きっと彼は期待通りかもしくは期待を上回るようなことを当然の様な口で言うのだろうと確信しながら、顔にまで力が入る。
プライド達が無事なのを知れたのは良かった。それに嬉しいしほっとする。しかし、今は何よりも彼から聞きたい言葉が違うことにティアラは背徳感を覚えてしまう。つい今さっき、自分のことを心配して駆けつけてくれた優しい王子が先導してくれる背中を視界に捉えながら胸が疼く。ごめんなさい、の言葉が浮かぶが何故その言葉が浮かぶのかは意識的に考えないようにした。
今は自分に向けられたセドリックの声と口調に、両手で耳を塞ぎたくなる。また恥ずかしいことを思い出してしまい、うっかりドレスと踵の高い靴で転びそうになった。つんのめった瞬間にブライスとセドリックが同時に手を伸ばし支えてくれたが、お礼はブライスにしか言えなかった。
自分はお礼を言われなかったことも気にしないセドリックは、先頭の王子に聞かれないように声を潜めて早口になる。
「詳細については追々ご説明致します。しかし今はまず安全な場所に移りましょう」
違うそっちの詳細じゃない!そう、心の中で叫ぶティアラだが、今はその分足を速めることに集中する。
プライド達の現状も知りたいが、今はもっと聞きたい言葉を自分の頭の中だけで何度も何度も繰り返す。本当にこの人のこういうところが嫌いと思いながらも、顔の熱はひたすら上がってしまった。やっと会場の外に脱出した時には、顔の汗も、熱も、……心臓がバクつくのも。
原因が走ったせいなのか、傍を離れてくれない〝従者〟のせいなのかもわからない。
本日2話更新分、次の更新は月曜日になります。よろしくお願い致します。




