Ⅲ295.王弟は侮蔑を向け、
………不愉快だ。
ギリリと、奥歯を食い縛るセドリックは肘置きで頬杖を突きながら平静を保って見せる。しかし、仮面をつけた下では今も憤りがはっきりと眼光に露わになっていた。
正体を隠す意図とは別に、仮面があって良かったと心から思う。そうでなければ自分の腹底を隠しきれていたか今では自信もない。
視界が時折赤く染まって見えるほど、ただ不快で仕方がない。目下では今もオークションが盛り上がり、金額を提示した自分へ大勢の注目が集まる中で、それでもセドリックの顔は顰められた。
大勢の注目を受けるのは慣れているが、今はその注目をくれる人間の殆どが不快の塊だ。今までも愚かで醜い人間には飽きるほど出会ってきたが、今視界に収まっているほぼ全員が、奴らと同類かそれ以下なのだろうとセドリックは思う。この場に、自分が兄と慕うヨアンがいなくて良かったと心の底から思う。
今までと同じように、テーブル席の人間が落札するには額が高過ぎる品を落札すべく挙手をしたセドリックだが、頭ではわかっていてもこのオークションに自分が参加していること自体が汚らわしく感じて仕方がない。オークションに出された奴隷にも辟易としていた。
自分の提示した額に、さらにまた参加者が値段を吊り上げ提示する。セドリックはその度に、相手が上乗せした額の二倍をまた上乗せして提示する。100足されれば200、1000足されれば2000を足してまた提示する。それが、ステイルとの差別化の為にも決めた段取りだった。値を上げればその度に挙手をする手が一つ二つと下がっていく。しかし、今回は特にしつこいとセドリックは頭の隅で思う。やはりあの歌声に魅了された者は多いのだろうと考える。
特殊能力者の奴隷。その存在は、商品リストを確認した時点で確認できていた。さらにいえば、この闇オークションに関わる時点でほぼ間違いなくいるとステイル達にも説明を受けていた。
フリージア王国が今までの歴史の中で最も多く、そして最も傷が深い被害が奴隷被害であることはセドリックもフリージア王国の歴史書を読んで知っている。奴隷被害に遭い続けたフリージア王国だからこそ、奴隷反対派の国として今も名高く存在しているのだと理解している。しかしそれでも大国に住む民全てを守り切ることはかなわず、こうして晒されている事実がセドリックには知るに堪えなかった。
歌声には確かに胸を掴まれたセドリックだが、しかしそのドレスの奴隷を本気で買おうなどとは思わない。自分のいる上階まで届いた声量から、恐らくは拡声の特殊能力だろうかとまでは判断できたセドリックにとって、歌声が本人の技量であることもわかった。
それほどの才能を持つ人間と認めた上で、何故誰も彼もが彼女を奴隷としてしか見れないのか理解ができない。多くの騒めきでも互いの声も聞こえにくい大歓声の中でも、口の動きに注目すればセドリックにはしっかりと来賓達の会話も読み取れた。素晴らしい歌声だと賞賛の声も勿論あったが、その後に「妻に与えたい」「息子の子守歌用に」「見世物小屋で売りつけよう」「今度のパーティーに使おう」「自慢もできる、新しいペットに」と、そのどれもが、歌声の主を人扱いしていない。
「なんとまだ!まだ上がっております!!信じられない事態です!本日最高額を更新して尚、三組も残っております!!」
整った言葉で道化じみた振舞いと共にその場を盛り上げる進行役にも、気を抜けば殺気を飛ばしてしまいそうになる。
今も自分と他の参加者を順々に手で示し、紹介している。一番、四番、十九番の自分だ。他の競売相手は遠目だが、服装や装飾品に注視する。四番も十三番もそれなりの貴族かそれ以上の位の人間だと判断できた。
素性をバレては立場を追われる者ほど用心深く、全てを隠す。この場に招待されている人間全員が仮面を身に着け、もし互いを知っていようとも安易にその名を口にしない。仮面舞踏会と同じマナーを守っていることが、セドリックには逆に気味悪く感じられた。人間としての理を外れるような外道が、それでも浅ましく上流階級の教養やマナーを担っている。獣が二足歩行しているように、まったく本人達にそぐわない。愚かで教養もマナーも知りえていなかった自分以下の生き物をこれだけ多くみる機会など滅多にないと思う。
頭の片隅で吐き気と悪態をねじり捏ねながら、口では淡々と今も値段を吊り上げた。
とうとう一番が手を下ろしたところで、それでもまた四番がしつこく追ってくる。これが純粋なミスミの正規オークションであれば、手に汗握って相手との値段の吊り上げも楽しめたセドリックだが、今はただただ提示された数字を釣りあげる作業でしかない。今ここでステイルやプライドと会話する術があれば、さっさと値を十倍に吊り上げて終えて良いかと質問していた。
オークション開始間もなく、ステイルからの合図で騎士団出動の許可をミスミ王国から取り付けたことは知らされた。ならばもう、さっさとオークションを進めてこんな掃き溜めのような場所は殲滅するに限ると思えて仕方がない。
これがまだミスミ王国からの承認待ちであれば、時間をかけることにも意味はある。しかし、実際は想定よりも早くその承認を得た今、オークションの品を確保する必要はあっても一つ一つの商品に時間をかける必要はない。
この場にフリージア王国騎士団が突入すれば、彼らが仮面をしていようと番号制で呼び合おうとも何の意味もない。たとえ
─ サイムズ〝家〟、オールドリッチ〝卿〟、トムソン商会、アンソニー、キャルヴィン〝様〟、〝娘の〟アミュレッタ、メレディス〝殿下〟………
囁き声も意味を成さない、口の動きだけで読み取ったセドリックが参加者の口にした名を全て暗記していようとも。
少なくとも視界に入る参加者全員、セドリックは覚えがない。自分の番号前後と、そして目下の一階席。
ハナズオ連合王国として関わる相手は基本的に奴隷反対国、もしくはフリージア王国の同盟国。そしてフリージア王国に根を下ろした今関わる上級層も、国内国外関わらず式典に招かれるような厳選された人間だ。その中に闇オークションへ嬉々として参加する人間は幸いにも一人もセドリックの目には照合できなかった。
顔認証がしにくい仮面など関係ない。パートナーや同伴者と互いに囁き合う会話すら、上階から眺めるセドリックにはしっかりと読み取れる。自分の家名は語らずとも、出品者名や競売に手を上げた者の名を知っていればつい口に出す。親しい相手ほど、見知った相手ほど、自分が元はと言えば紹介してやった客ほど番号で呼ばずに語り囁く。聞こえない声であれば問題ないとそう油断する。
同じ上階の人間までは、服装はわかっても横に並んでいるせいで口元どころか姿も見えにくい。しかし下階の人間が囁き合う会話を拾えばある程度の人物名と、立場も想定できる敬称も拾えた。やはり貴族も王族も混ざっていると、その事実が更に腹立たしい。中には「ネペンテス」と異国でも珍しくない家名と知りつつも、つい苛立ちのままに上乗せ額を二倍から三倍へと吊り上げた。
おおお!とどよめきと歓声を受けてから、セドリックもしまったついと少し背中を起こした。
ステイルが怒っていないかと、目の動きだけで確認したが幸いにもそこに怒りの感情はなくむしろ笑みを浮かべていた。良かった、値を少しくらい吊り上げてもよさそうだと胸を撫でおろす。………と、同時にプライドは今頃頭を抱えているだろうかと考える。プライドの姿は見えないが、ステイルが近衛騎士に囁きかけていた会話は読み取れた。
むしろ口元を隠さなかった為、角度もわざと自分に見えやすいように調整してくれたのだろうとセドリックの思考の半分が目の前の競売から離れていく。思考の一割で難解な計算もできる神子には、それだけで充分だった。
プライドが予知した民、それが今舞台に立たされている奴隷だとはわかった。
だが、だとすれば今の歌姫がどういう経緯でプライドの予知した未来でサーカスに流れ着いたのかが気にかかる。予知された未来では四番が落札していたと仮定をすると四番の正体はと、そう思考が先へ先へと進もうとしたところでとうとう落札決定の音が高らかに進行役により鳴らされた。
セドリックを手で示し、高らかに賞賛の声を上げる。見事最高額で落札されましたと告げる進行役が改めて提示した額は、競売開始値段から二桁も変わっていた。流石に我に返ったセドリックも、そこで一度息を吐く。予知もフリージアも今は関係ない、ひとまずまた一人奴隷被害者を確保できたことに今は安堵す
「イカサマだ!!!!」
その声は、最高額への歓声と拍手を割るように放たれた。
ある意味間違ってもいないと判断できるその怒号に、セドリックも思わず息を飲んでしまう。まさか自分の正体がバレたのかと、わずかに身構えて声のした方向へ座ったままに身体を向けた。セドリックと同じ懸念を覚えた護衛の騎士達もまた、腰の剣に手を添えながら身構える。
ここでフリージアの人間だとバレてしまえば、その時点で策を変更しなければならない。槍のように鋭い声に、下階にいるステイル達も大きく振り返った。声の発生源は、セドリックと同じ上階の方向だ。
穏やかではない声に、また揉め事かと屈強な身体付きをしたスタッフの男達が動き出す。
セドリックにではなく、その声の主の方向へと複数人が動く様子に、近くにいる人間でなくとも、騒ぎだしたのが四番の人物だと判断できた。九割が上の空だったセドリックに、最後の最後まで必死に粘り食いついていた客だ。番号から察しても特別な上客かと、セドリックがあてをつける中、取り押さえるべく集まったスタッフも今度は容易に乱暴できずに躊躇う様子がうかがえた。
無理やり会場から追い出すには許可が必要な上客は、個人判断で放り出しにくい。しかもその正体も彼らは知っている。
自分の席から立ち上がり、セドリックへ向けて人差し指を向ける男は飾り付けていた全身が掠れるほどに顔を真っ赤に上気しているのが仮面に隠されてない肌でわかった。フーフーと動物のような息を吐きながら、一度は歯を喰いしばる。セドリックの姿をしっかりと確認できたところで、もう一度声を張る。
「誰か!!その十九番の所持金を確認しろ!!!落札した総額を考えてみろ!!!本当に払う気があるのか!!!」
………そういう意味か、と。
僅かに緊張に顔を張りつめさせていたセドリックは早くも二度目を息を吐く。今度は安堵よりも侮蔑と呆れが強かった。
一度は浮かせた背中も再び座り心地は悪くない椅子に預け、頬杖を突きなおす。今まで彼が提示してきた額を思い返しても、恐らくは名のある上流貴族か、もしくはどこぞの王族あたりだろうとは想像できた。
しかしそれ以上は男に対し、セドリックは興味が消える。視界に入れたくもない。




