Ⅲ294.来襲侍女は把握させる。
「ジャンヌッ………!ジャンヌ!!頼みますから返事してください………!!」
必死に理性で声を抑えながらも、とうとう堪らずアーサーはプライドの耳元で声を荒げた。
透明の特殊能力者ローランドの手により、今ジャンヌの異変に気付けたのは同様に姿を消しているアーサー達だけだった。ステイルと護衛のアランとエリックには何が起きているかもわからない。
端の席とはいえ、会場で姿を消している身で騒ぎ声を上げるわけにもいかずに彼女の様子を伺い小声で呼びかけるカラム達だったが、その間呆然と席から立ち上がった彼女は返事をしなかった。
プライドに腕を掴まれていたステイルも、彼女が手を離したことには感触で気付いたがそれも小さな違和感でしかない。視線を向けても自分にはプライドの姿は見えないのだから、過剰に反応して周囲に怪しまれるわけにもいかない。
彼女の気配だけは確かめながら、口を両手で覆ってしまったのだろうかと考える。目の前にとうとう晒されたのは自国の民だ。
口をぽっかり空けたまま、瞼を無くして舞台を見るプライドに、アーサーとカラムはすぐに予想はできた。彼女が戸惑いを露わにし始めたのが明らかにその奴隷が舞台に現れてからなのだから。
しかもフリージア王国の民、しかも特殊能力者だ。商品リストには「希少奴隷、歌う特殊能力者」としか記載されていない奴隷が、どのような人物か知るすべなどどこにもなかった。
フリージアの民がオークションに出されているだろうことは想定できていたが、その中でプライドがここまで狼狽する原因など一つしか考えられない。潜めた声でカラムも「予知でしょうか」と尋ねたが、まだ言葉での返事は得られていない。
ただでさえプライドが呆然と反応を示さないことに胸騒ぎをひどく覚えるアーサーは、とうとう無礼とは理解しつつやや乱暴にも思われるほど彼女の肩を強く揺さぶった。
先ほどまでは客や舞台のざわめきででいくらか小声も紛らわせることができたが、とうとう奴隷による歌が披露されると進行役が言い放ってから耳を澄まそうと全体が静まり返ってしまった。
こんな中で呼びかけることも難しくなった中、あとは動作で呼びかけるしかない。
両肩を掴まれ前後に揺さぶられ、流石にプライドも今度は我に返る。大きく瞬きを繰り返せば、自分の後方に控えていた筈のアーサーが正面に立っていることに今気が付いた。胸を押さえ呼吸を整えながら、自分を真剣な眼差しで映す蒼色の目を見つめ返す。
「アーサー………あの、舞台の。あの子、彼っ………」
わかりましたと、戸惑うプライドにアーサーが言葉を返そうとした。大丈夫です、今はまずジャンヌの体調は平気なのですか、件の民ですね、とその隣に立つカラムも早口で確認しようとしたが、それよりも先にバシンと痛々しい音が響いた方が先だった。
同時に短い悲鳴も上がり、身体を小さく揺らしたプライドもそして彼女の視線を追うようにアーサー達もまたその先へ目を向ける。舞台に立たされた奴隷が、さぁ歌え囀れと鞭で背中を叩かれた後だった。
たった一回の鞭打ちでも枯れた悲鳴を上げ、痛みを堪えようと背中を丸め歯を喰いしばる。鞭の音ではなく鞭を直接当てる行為はサーカスの猛獣以下の扱いだった。苦し気に顔を顰める奴隷は、二度目を恐れるように必死に口から肺へ酸素を吸い上げた。
その瞬間、思わずプライドは声が出かかり口で強く覆った。まずい、止めなければならないと思うと同時に、今は絶対に自分は目立つどころか存在を気づかれてはいけない立場なのだと制止をかける。奴隷の息を吸い上げる音まで聞こえてしまう沈黙で、喉を鳴らす音だけがこぼれた。そして、とうとう放たれる。
美しくも儚い、中性的な歌声が響き渡る。
ビリリッ、と肌を震わせる感触に、プライドだけでなく彼女の身を案じていたカラム達までも思わず息を飲んだ。
たった一人のものとは思えない、まるで天から降らされたような歌声は会場中にいた全員の耳にはっきりと届いた。………届き、過ぎた。
まるで洞窟の中から謳っているかのように反響し響き渡る歌声は、後方の席には耳を疑わせた。中世的な歌声は男性と呼ぶには高く、女性と呼ぶには低い嗄声な響きだ。
しかしだからこそ、どちらの性別も感じさせないただただその魅力的な歌声に、耳の肥えた王侯貴族までもが総毛立つ。これが人間の声かと自然と顔に赤みが差し、見開いた目は瞬き一つできなくなった、息を吸うのも、唾を飲み込む音すら雑音を無意識に拒み、口が動かないまま固まった。
言葉を失い、歌声を聞くだけで思考が次第に塗りつぶされ白くなる。白昼夢でも見ているかのような心地良い感覚は、歌声が止まった後も十秒以上続くいた。そして次に鳴り響いたのが、奴隷に向けるとは思えない拍手の音だ。
まるでコンサートにでも来たと錯覚するままに、手を鳴らし、歓声を上げ立ち上がる。
「おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」と響き渡る歓声は、地下でなければ外にも漏れるほどに大きな音だった。夢見心地から一転、筋肉が震え息が上がり、目玉が転がりそうなほどその視界に奴隷を捉えて離さない。
先ほどまで鞭を打ち付けられても何とも思わなかった相手へ〝商品として〟の賞賛の声が上がる。隣の歓声が耳を壊しそうになるほどに、その声は進行役が手振りで鎮静化を図っても尚続く。
「すげぇ……………この歌が、特殊能力っすか………?」
一瞬だけ我を忘れるほどの歌声に、アーサーは歓声から自分の耳を片方だけ塞ぎながらプライドに小声で投げかける。沈黙が嘘のように騒々しい場でやっと声を紛らわせることができるようになった。
かすかにだが、耳の傍で尋ねられたアーサーの言葉を拾えたプライドは、首をはっきりと横に振った。アーサーの発言までは聞こえなかったカラムだが、プライドが今度はきちんと反応を示したことに安堵したカラムは、そこでもう一度舞台に目を向ける。
貴族として、歌や音楽などに触れる機会もあった自分ですら先ほどの歌声は凄まじく胸に響いた。しかし、その歌事体が特殊能力とカラムは思わない。尋常ではない歌唱力だったが、あくまで人間の声域だ。客が興奮を露わにするのも当然の美しさだったが、同時にその歌自体に何か効果があるようには思えない。
歌が上手い特殊能力など、今まで聞いたこともない。何より一番今人間としてあり得ない現象が、何か。
「〝拡声〟の特殊能力者か………」
そう、騒然の中で声にしたのはステイルだった。
腕を組み、歌声の美しさに感動さえ思えながらも特殊能力者を見る目は落ち着いていた。ステイルの声を拾ったプライドも、今度は繰り返し首を縦に振る。ゲームの攻略対象者として思い出した今、彼の特殊能力についても同様だった。
ステイルの言葉とプライドの反応に、アーサーも遅れて理解する。「あっ」と一音意図せず僅かに漏れたが、歓声に紛れた。カラムがざわめきの今が機会だと、プライドへと向き直る。
「ジャンヌさん、ご体調は大丈夫ですか?件の民で、間違いありませんでしょうか?」
プライドの耳の傍に口を運び、周囲には響かないように声量を調整しながらも呼びかける。
今度はプライドもこくこくと頷きで全て反応できた。プライドに安否と予知を確認したカラムに、アーサーも大事なことに気付き動く。プライドの正面からステイルに手を伸ばし、直前で一度は止めた。ローランドと繋がっている縄が、そのままプライドの正面からステイルに向かうと彼女にぶつかると、一度身を引きプライドの背後へ回りなおす。
ステイルの後方から腕を再び伸ばし、今度はがっつりと容赦なく掴み取った。突然の衝撃に全身を強張らせたステイルだが「おい」と呼びかけた声を聞けば、すぐに理解し力は抜けた。しかし緊迫のまじった声にステイルは思わず透明の先へ振り返りかけた。
首を回してしまったまま、誤魔化すべく誰もいない後方ではなく、上階の席へと見回すように視線を逃がす。ちらりと目に入った人物の仮面の下に、釣られるように眉が寄る。
ステイルが斜め上に振り返ったことに、一瞬釣られたアーサーだが、すぐ自分へ振り返るのもごまかしたのだと気付く。
突然肩を掴まれれ振り返るのも、それを誤魔化すのも当然だ。「わりっ」と小さく謝ってから、口の中を飲み込み今度は慎重にステイルの耳の傍へと口元を近づける。「ジャンヌが、あの人だと」と、最低限の伏せた言葉で短く告げれば、ステイルもそれだけで全てを理解した。
プライドの予知した民、だから自分を掴んでいた手も離れた。
自国の民が商品棚に並べられている以上の衝撃を受けていた。特殊能力者の奴隷という条件も全て合致する。まさか本当にここで見つけられるとはと思いつつ、ステイルは目を見開く以上の表情には出さず無に徹した。アーサーの報告が寸でで間に合い、それからは進行役の「ご静粛にお願いします!」の繰り返しの呼びかけに段々と観客も音を引いてきた。
しかし、その熱気だけは引くどころかむしろ上がり続けていく。
「奇跡の歌声はいかがでしたでしょうか?!天上から降ったかのような囀りを、その手にしたいと思われたことでしょう!」
「うわー、せっこいな。特殊能力が何って言わなくて良いのか?」
「まぁ歌も全部本人の力ではありますが………」
明るい声で胸を張る進行役に、アランとエリックも少なからず毒を吐く。いつもならば商売の売り文句にケチをつけることなどない二人だが、今は目も冷ややかだ。
ステイルが何やら後方を気にしていることから、アーサーかカラムかなと気づきながら顔は向けないようにする。自分達まで反応すれば、余計に周囲の目にもひっかりやすくなる。
特殊能力者であることも、歌を歌ったのも本人で間違いない。
しかし、まるであの尋常ではない歌声が特殊能力のように言い放っている。きっとフリージアに詳しくない客には、余計に色眼鏡で魅了する歌声に聞こえたのだろうと考える。しかし、実際は本人の特殊能力はただの〝拡声〟だ。
騎士団にも所属している騎士がいる、自分の声を拡大化することができる特殊能力だ。少なくとも騎士団であるアランとエリックには珍しくもない。
フリージア王国でも希少とまでは言わない、特殊能力の中でどちらかといえば凡庸に近い。それでも特殊能力者事体が珍しい、しかも尋常ではない歌声に合わされば価値は一気に跳ね上がる。
あの歌声を、広々とした会場で全体に響かせることの威容さはアラン達もわかっている。騎士団では伝達役に適した特殊能力だが、歌手が使えばここまで人を魅了するのかと半ば関心も沸いた。
ここが闇オークションではなく、太陽の下であればアランもエリックも拍手と共に賞賛を上げていた。
「さぁ!では競売を始めます!!!まずは──」
「アランさん、エリックさん」
強気の値段を掲げる進行役の声に紛らわせ、ステイルは呼びかける。
抑えた声だったが、顔は向けずとも意識はしっかりとステイルの方に向けていたアランとエリックはすぐに気が付いた。耳を、と続けられるまでもなく二人揃って腰を落とし、椅子のステイルへ耳を傾けた。
その短い間にも、競売の手は現時点で今年最高額へと上がり続けた。値段を釣り上げようとも、一呼吸置くより前にまた更なる額が挙手される。
今やラジヤ帝国で取扱不可とされた、フリージア王国の特殊能力者。その凄まじい歌声を浴びた彼らの目は、プライドにはまるで何かに取り憑かれたかのように異様だった。ゲームの知識がなければ、オリウィエルと似たような特殊能力かとミシェルに疑ったと自分でも思う。しかし、同時にプライドが一番この状況を理解する。
彼の歌声は攻略対象者としてチートと呼べるほどの才能だと、ゲームでプレイした自分が誰よりも知っている。ゲームでも彼の歌声に大勢の人々が魅了されたのを今ははっきりと思い出せた。
「六十番様!一番様!……三十七番様!!おおっと四番様!」
「……ジャンヌ。近くに居ますか?」
アランとエリックに説明したステイルは、口だけを動かし呼びかける。
自分から手探りすることもできず、歯痒く椅子の肘置きを掴んだ。顔は正面の舞台を見つめつつ、意識は今空席に見えるそこへと向ける。
プライドもこれにはハッと顔ごと向けた。改めて椅子にそっと掛け、ステイルの腕を無言で掴む。一瞬肩が上がったステイルだが、その温もりにほっと息を吐けた。ちゃんとプライドが隣にはいることを実感したところで、わずかに彼女の指の震えと温度を感じにくいほど冷えてることが気にかかる。今、自分はその顔色を確かめる道はない。
あくまで視線は舞台に、言葉は空席にではなく護衛の二人に向けているように見えるよう意識する。会場の注目が舞台に集中していようと、決して綻びは許さない。
「ご安心ください。俺達の行動は変わりません。彼女も最終的には」
「とうとう上がりました!十九番様!最高額です!!」
おおおおおおっ!と、今度は歓声も僅かに上がった。
ステイルの言葉を意図せず打ち消す喧騒と共に、客の注目が舞台からまた別方向へと移る。自分達のいるテーブル席ではない、上階へとプライドも目を見張った。
参加者全員が目の色を変えて欲した競売品。それを独占するような真似は、本来喜ばれない。その証拠に今も多くの反感を買っている。しかしそれでも、参加者ほぼ全員と熱気の効果による闇オークション最高額にまだ臆さず値を釣り上げる参加者に、競争を諦めた者からいっそ別の興奮を覚えた。
この最高額にもまだ競りに挑むのかと、先程から高額落札を繰り返す参加者に注目する。
それでもまだ諦めないと、さらに額を釣り上げ挑む他の上階参加者に、顔色ひとつ変えずに彼はまた値を釣り上げる。今この会場で最も
「おおっと!十九番様!!ここでも更に突き放す!!」
瞳の焔に不快と憤りを爛々と灯らせながら。




