そして明日に備える。
「もともと、我が国は奴隷国そのものと関わりを避けてきました。私の母、先代女王の時代までは遺恨も今の比ではありませんでした」
「そう……ですよね」
我が国が多くの国と交流や同盟を結ぶようになったのも母上の代からだ。それまでは隣国であるアネモネ王国を含めたごく一部の……しかもほとんど小国としか相互的な関わりは持っていなかった。代によっては奴隷容認程度であろうとも奴隷制度容認している国を敵対していた時代もある。
それだけ我が国の奴隷被害は昔から酷い。闇オークションと聞けば、フリージア王国の民は間違いなく含まれていることが常であるほどだ。我が国の民を商品棚で「希少商品」として堂々と売っていた奴隷国も多かった。私だって王女として学ぶべき歴史で何度も奴隷被害については履修した。
「闇オークションに直接赴いたことはありませんが、女王になる前からも被害者についての記録は読んでいました。文字だけでも充分に悍ましさが目に浮かぶかのようでした」
私も読んだ。確か、王位継承が確定してからだっただろうか。だからこそ我が国の王族は奴隷商売も人身売買も、そして闇オークションも心から嫌悪している。特にオークションは、我が国の民が〝物〟扱いされている描写が生生しかった。ある意味、あの教えがあるからこそ我が国の王族は今まで一度も奴隷容認を考えたことがなかったともいえる。
私は前世の記憶があるから、少しは視野が広い部分もあるつもりだけれど、母上はよくあの記録を読んでも尚奴隷容認国とも国交を広げようと考えたなと思う。お陰で今では多くの国の方から我が国との関わりを望んでくれている。
「私が女王になってからの件でいえば、……そう、隣国でも実例がありました。当時、国王から共同戦線を求められました」
「アネモネ王国でですか?」
それは記憶になかった。私もまだ生まれていないか、小さかった頃だろうか。これにはちょっと眉が上がって前のめりになってしまう。
当時、アネモネ王国は小国というだけでなくまだ力も弱かったからそこを付いての闇オークション開催だったらしい。我が国の民を捕まえて、オークションで高く売り払い、フリージアを横断せずに船で持ち帰る。と、……確かに一番安全で近距離での犯行だ。フリージア王国国内でもないから我が国も手を出しにくい。もうここまで聞いただけで最悪と、自分でも顔がぎゅっと険しくなってしまう。
けれどその情報を知りえたアネモネ王国の国王が、我が国へ自分から共同戦線という形で申し出てくれたらしい。
もともと容認はしていたものの、奴隷の売買を禁じているアネモネ王国だ。関係の長いフリージアの民が売られるのも自国から国外流出するのも避けたい。しかし開催者も人身売買組織として大規模であることは想定できる。間違いなく一人でも多くの民を救う為にも、協力して欲しいと受けて母上はその時も即決だったと。
騎士団をアネモネ王国へ戦力として派遣する代わりに、取り返した奴隷被害者は全員フリージア王国に一度預け委ねることを条件にしたらしい。……多分、この頃からヴェスト叔父様の記憶消去はひそかに活躍していたのだろうなと今は思う。
「プライド。貴方の予知した民は、人数だけでも輪郭はつかめましたか」
「…………いいえ。申し訳ありません。ですが、お陰でオス……件の奴隷被害者もそうですし、想定よりもここ数日で日に日に思い出すことができています」
ぐっ、と気づかれないように口の中を飲み込んで目を逸らさないように努力する。
建前ではあくまで未来にサーカスで奴隷として働かされる民の保護だ。諸悪の根源オリウィエル対処で一区切りはついたけれど、それでもまだ被害者がどういう状況か全員は確定していないということになっている。お陰で全員五人見つかったし、奴隷オークションの件が解決したらそこで上手く「思い出して全員確定した」と伝えなければならない。いっそ、明日の奴隷者の誰かがと言い張るのも手段の一つだ。
私の言葉に、同じ予知能力者である母上は疑う様子もない。「そう」と短くこぼすと、薔薇のような唇から小さく息を吐いた。
「予知した記憶は思い出せても、また日に日に褪せていくものです。今後も思い出したら必ずステイルに伝え記録を取らせなさい。明日の奴隷被害者の中に可能性もありますが、……決して無理だけはしないように。近衛騎士達とも離れてはなりませんよ」
「わかっております。大丈夫です、ステイル達が騎士団とともに考えてくれた策ですもの。私は信じております」
そこだけは胸を張って言える。明日も、作戦に含んではくれているものの私に危険がないように配慮して組んでくれている策だ。近衛騎士達もいつもの二人ではなく、四人は常に傍にいてくれる。ここまで皆が用意周到に、そして協力してくれるのだから今は不安もない。
それでも母上はそこでまた視線をふと落とした。表情が陰り、そしてそのまま今度は私に向けられる。わずかに右手が膝の上から動いたけれど途中で止まり、また降りた。小さく拳を作ったようにも見える。「正体も決してバレてはなりませんよ」と、念を押す母上が、きっと心配をしてくれているのだろうとわかった。
勿論です。と、私から心からの笑みで笑って見せればそこでほっと左手で胸を押さえ、そして撫でおろしてくれた。昨日と比べれば、明日は乗り越えられるものだ。あとは、正体さえバレなければきっと大丈夫。近衛騎士と一緒に温度感知の騎士もまた傍に付いてくれる。母上にだって近衛騎士のケネス隊長がいる。
「……明日は、ジルベールもほんの少しですが協力できるようにアルバートが調整してくれました。きっと貴方達の力になってくれるでしょう」
少し眉を垂らしながら優しい声で言ってくれる母上に、私も答えながらも肩を竦めてしまいそうなのを意識的に固める。まさかステイルがついさっきまで連れてきてましただなんて言えない。
一息深呼吸のように深く吐いた母上は、そこで首を横に振る。「暗い話が多くなりましたね」と金色の揺らめく髪が私の目の中できらきら輝く。
まだ表情が陰っているのを見ると、本音は「貴方は宿にいていいのよ」くらい言いたかったのかもしれない。それでも我が国の民の為に許してくれる母上を尊敬するし、私達の意思を尊重してくれるのは本当にありがたい。
もう寝ましょうか、と。壁にかけられた時計を見ながら呟く母上はそのままベッドから立ち上がる。ランプの火を自分から消そうとしてくれる姿に私は慌てて声をかける。待ってください、と言うと「良いのよ」と自分が消すことに私が遠慮したと思ったらしい母上に私は少し声を張る。
「あのっ……その前に、母上……っ」
「?どうかしましたか」
無駄に肩強張ってしまう私に、きょとんとした表情にも近い母上は小首を傾げる。
唇をぎゅ〜っと閉じつつ、呼吸を整える。もう寝ましょうと言われたのに、なんとも気が引ける。けれども、多分、恐らくご迷惑ではないと、そう思いたい。
「か、髪……また、やって頂いても、宜しいでしょうか……?」
甘えてるのが、恥ずかしい。
それでも控えめに自分の髪を摘みながら尋ねれば、いつのまにか背中まで丸くなってしまっていた。既に身支度の時に専属侍女達に解かれた絡み一つない、自分でも言うのも恥ずかしいけどさらっさらっ髪だ。
だけど今夜を終えたらもう明日にはミスミから馬車で出国だし、昨日なんてあんな形で気を遣ってもらった今、もう機会はない。
そう思うと最後の宿の夜くらい、惜しくなってしまった。だって母上に髪を解いてもらうのは本当に心地良かったのだもの。
ブラシも持たずにベッドに手をついて尋ねた私に、母上は目をぱちくりさせた。数秒固まって後、背筋が伸びたまま目を泳がすように右往左往させる母上の視線がそこで備え付けの化粧台に止まった。パタパタと珍しく足元を立てた母上は若干慌ててるように見えた。
ガタッと、足先が化粧台にぶつかって痛そうだったから、やっぱりちょっと混乱も入っている気がする。化粧台の上に置かれたご自身のブラシを手に、くるりと私に振り返る。心なしか頬の血色が良く見えるのは、たぶん寝化粧のせいではない。
「勿論よ?!」
ちょっぴり跳ねた声で笑ってくれた母上は、ティアラに似ていてやっぱり親子だなと少し笑ってしまう。
でも同時に、「もっと早く言ってくれて良かったのに」と歩み寄ってきてくれる母上は、やっと家族だけでいる時の母上に戻っていた。
ちょっと子どもっぽくて可愛い。そんないつもの母上に、鼻歌まじりに髪を解いてもらいながら、今夜はよく眠れそうだなと私はカーテンに閉め切られた窓をなんとなく眺めた。




