Ⅲ275.来襲侍女は矛先を決める。
沈黙は、長く続いた。
エルドは腕を組み、小さく眉を寄せ考える。言及されたまま標的の名を口した途端、急激に空気が変わったことを肌で感じ取った。
エルドだけではない、共にいた幹部達まで肩を狭め無意識のうちに喉を鳴らした。彼らが敏感に感じ取ったわけではなく、彼らでも気取れるほどに空気の変化が明らかだった。まるで命のやり取りをしているかのような冷たく鋭い空気の根源が、目の前にいる自称商人達だ。
しかもたった一人によるものではない。商人のフィリップも侍女も、そして護衛である騎士達も誰もがその言葉には過敏に目を見開いていた。テントの中も、外も関係ない。聞いてしまった時点で、肌のざわつきをそれでも表面上は隠した方だ。
闇オークション、その名はフリージア王国にとっては単なる異国の〝違法行為〟で済まされない。対岸の火事と呼ぶにはあまりにも忌むべき存在だ。
「……続けてください。詳細は?」
全面戦争と銘打つならそれだけの情報もあるのでしょう、と、静かな声で促すステイルは緊張のままに無表情を意識した。
今は騎士達の覇気よりもはるかに寒く鋭利なものを感じたが、眉一つ動かさず敢えて視線もくれない。自分達と違い、エルドを含む貧困街の住人達にはこの冷たさの出所までは気づかれないように努める。
沈黙と落ち着かない空気感に押されていたエルドも、この促しには逆に助けられた。
まだ闇オークションの存在しか仄めかしていないにも関わらず殺気立つ様子の彼らに、これ以上情報を与えたらどうなるかとは頭に過る。しかし今はこの空気と沈黙を破る方が優先される。肺に息が細く通り、肩を僅かにおろす。
エルド達自体、全てを事細かにレオナルドから聞いたわけではない。奴隷収容所に売られたレオナルドの動向を貧困街全体で探ってはいたが、その時もあくまで出荷先が噂に聞いたことがある程度の〝闇オークション〟ということしか知らなかった。自分達もまた目の前の自称商人に提示するカードが少ない中、糸を手繰るような気持ちで口を開いた。あくまでふんぞり返る姿勢は崩さない。
「ミスミのオークションに被せて開催するらしい。日時も開催場所もほぼ同じだ」
それすらも、知りえたのはついさっき。レオナルドの口から聞いて初めてだ。裏世界で噂になっていた催しが、開催場所と日時をまさか世界的大規模なオークションに被らせて行うとは思わなかった。
日時だけでなく場所も同じ、という言葉にアーサー達は僅かに眉を寄せる。それではまるで自国も出席するオークションがそのまま闇オークションの会場のような言いぶりだ。しかし、プライドやステイルはもちろん、自国の代表達がそのような催しに参加するとは思えない。
彼らの疑問を代表するように、そこでステイルが声を低める。「場所は正確に」とエルドの言い回しの真相を読んだ上で指摘すれば、すんなりと訂正が入った。
「ミスミオークション会場の地下だ。同規模で、別口の地下通路を通って入るから表のオークション参加者とは顔も合わせない。商品の搬入も大体は終えた頃だろうな」
だからこそ今日、レオナルドも出荷される筈だった。
どうでもよさそうな口調で説明しながらも、エルドの表情筋へ無意識に力が入る。全てレオナルド本人が捕らえられている間に奴隷狩りや看守達から聞いた話だ。これから出荷されるだけの商品と仲間内での会話に、何ら隠して話す必要などない。
貧困街が何日もかけて調べようとした以上の詳細を、だからこそここまで詳細にレオナルドだけが把握していたのだろうとプライド達も理解する。同時に、救出寸前までレオナルドが何故舌を抜かれようとしていたのかその真相も覗けてしまった。単に奴隷狩りの存在だけではない、ミスミのオークションと同規模で行われるような闇オークションなどそれこそ情報漏洩は許されない。多くの組織の報復もあり得る失態だ。
ミスミ王国も噛んでいるのかとステイルは淡々とした口調で尋ねたが、そこまではエルドにもわからない。
同じ会場を使っていても、主催者と直接関係あるとは限らない。会場の地下室を貸切る時点でミスミ王国の権力者の手引き程度は想定できるが、国全体が関与しているかの確証は持てない。そしてミスミのオークションに被せるというのも、単に挑戦や皮肉った指定ではないとステイルは考える。
ミスミと同規模、つまりは大陸最大規模の闇オークションであれば、当然商品の数も参加者も数知れない。
闇オークションで取引される品は当然違法商品や盗品など曰くつきの品々ばかりだ。特に商品が大きければ大きいほど、秘密裏に運び込むことは難しい。人が急に大勢集まるだけで気取られる場合もある。しかし、ミスミのオークション時期と被らせれば持ち込みも、そして運び出しもその難易度はぐっと下がる。有名な大規模オークション当日であれば、いくら大きな荷車が行き交おうとも、明らかな富豪や貴族、王族ですらも不信には思われない。誰もがそれをミスミの大々的催しであるオークションによる客だと信じて疑わない。会場が同じであればなおさらだ。
しかも地下会場でいくら闇オークションが盛り上がろうとも、地上の催しの盛り上がりに打ち消され誰にも気づかれない。大規模な闇商売の影を隠すには絶好の機会だ。
「裏も表も大物や金持ち連中が集まり混ざり合う。王族も貴族もでかい商会も立場を隠して参加する。そして大陸中、下手すりゃあ世界中の違法品が競り落とされる。当然、奴隷もな?」
ハッ、と自分で言いながらエルドは嫌味をまじえて鼻で笑う。今自分の目の前にいる人物達が、そういったものを嫌悪する人間であると知っている。
奴隷といっても、どこの国のどんな奴隷がどれだけ集まるかなど知らない。しかし、大規模な闇オークションで取り扱われるフリージア王国の奴隷が、今日助け出したたった三人の奴隷だけなど都合の良いことは誰も考えない。特にフリージア王国は自国の民が、奴隷制度の国でどのような見られ方をしているか思い知らされている。
しかし貧困街にとっても、レオナルドにとってもフリージアかどうかなど、それこそ国籍など興味もない。
「首領の目的はそこに出荷された奴隷達の全開放だ。同大陸か海の向こうか異国の珍しい人種に、……最近じゃあ取り扱いが制限された奴隷とかも大いに競り出されるだろうな」
ドクリ、と自身の心臓が脈打つ音を聞いたのは複数だった。エルドの言葉に、想定はしていても突き付けられれば喉が渇くような不快感に襲われた。たった一つ収容所を落としただけで、三人もの被害者が発見された後だ。
緊張で張りつめるフィリップ達の顔色を眺めながら、反して少しエルドの口は流暢になる。もう話さないといけないことは全て話したと、肩が軽くなりながら下品じみた笑みまで滲ませる。
自分達はレオナルドが逃がした奴隷を騒ぎに紛れ、会場外で誘導し貧困街へ連れ帰り受け入れるように命じられただけだ。レオナルドが単独で行うことはどちらにせよ法に触れる可能性が高いことはわかっているが、自分達貧困街はあくまで違法に取引された奴隷被害者の保護と受け入れだ。何ら責められる覚えはないと言わんばかりに語り尽くす。
「ちょうど数も減ったしな」と口について言葉で放った時には、自分で言っておいて唾を吐きたくなった。今この場にはいない、逃げおおせた毒の特殊能力者をそれだけでもう一度痛めつけてやりたくなる。
「だからレオナルドは単独でフリージアに亡命を図ったということですね」
「さぁな。狩猟は奴隷狩りも目の敵にしてるからそいつらも殺したいんだろ。あと買う奴も貴族だろうと殺すと溢してたな」
ゾクッとエルドの言葉にプライドの肩が強張る。奴隷狩りに貴族と、流石幹部だけあってレオナルドのことを知ってるなとゲームの知識で思う。だが、それだけじゃない。レオナルドが殺したい存在がもう一種いるとプライドは知る。
そうなれば、彼がフリージアに亡命しようした理由が人身売買との戦争だけじゃないと理解する。
「首領の考えなんざ俺達にも全く読めねぇ。まぁそうじゃなくても一人でなら逃げおおせるだろうが」
「この状態の彼を見てもそう言いますか、貴方は」
投げやりな口調で会話を誤魔化そうとするエルドに、ステイルは呆れも半分に息を吐く。
騎士三名を相手にしたとはいえ、深手を隠し切れず気を失うレオナルドを前にして、それでもまだ不敗神話を妄信するようなエルドやその幹部達に若干うんざりする。
プライドの予知からも、そして騎士達との戦闘を見ても確かに一筋縄ではいかない強者であることは間違いない。だが、それでも今倒れている彼は神でも化け物でもない、ただの人間だとステイルは心から思う。
そんな人間一人の穴だらけの作戦に付いていって、罪も全部押し付けられるから大丈夫だと思い込むなど愚かでしかないとゴーグルを指で押さえつけながら胸に暗雲がかかるのを感じた。
ステイルからの指摘に、今度はエルドも誰も言い返せない。口を歯茎が見えるほど歪めながら誰もがステイルからもレオナルドからも目を逸らした。
三対一だった、深手を負っていた、レオナルドは今まで負けなしだった、奴隷狩り集団も圧倒していた。そんな言い訳のどれも頭で浮かべるだけで止まる。口にしたところで通じないと、今までの会話の往来で理解している。
代わりに「それで」と、まるで聞かなかったかのようにエルドは舌を打ち、話を丸ごと切り替える。
「どうする?大陸規模もしくはそれ以上のどでかい裏稼業組織が関わる闇オークションに、フリージアの商人と騎士様が乗り込んで暴れるか?ついでに表の催しも台無しにして国際問題かそりゃあ良い」
床に座る足を組み換えながら挑発的に問いかける。
事実、たかだか個人や一組織で解決できる問題でもなければ、もう呑気に物議にかけるような段階でもないとエルドは知っていた。仮にも元王族だ。それなりの教育も備わっていれば、王侯貴族の裏事情も知っている。
国単位の問題ですら、対処できる期限は存在する。
闇オークションが行われるのは明日、猶予はもう一日もない。異国で、しかも多種多様な国々が参列し関わる催しの地下を今から調べさせろなど無理な話だ。傍若無人にもほどがある。
大国フリージア王国の騎士ですら、何の確証もないのに関与できるような権限を越えている。各国王侯貴族の関わる催しだ。しかも現段階では情報は犯罪組織貧困街の首領からの証言のみ。事実かも判断しかねる状況で、無理やり地下をひっぺ返すことなどできるわけがない。どこをとっても、フリージア王国が介入できる要因を見つける方が難しい。そしてミスミ王国に兵を動かさせられるわけもない。確証も、証拠も何もない上で時間もない。
自分の言葉に言い返さない商人達へ、エルドは鼻で笑いわざと肩を竦めて見せる。騎士だからこそ、権力や立場がある身だからこそ自由にできないことの多さも知っているからこそ皮肉る。
「首領を潰した騎士連中をまた暴れさせるか?国家規模のオークションが行われている地下で、さっきみたいにドカドカと。それとも聞かなかったことにしてこのまま容認す」
「するわけがないでしょう」
凛とした声が、突如として上塗った。
今まで黙していた彼女の響かせに、エルドもぴくりと肩を揺らし目を見開く。素朴な筈の彼女の眼差しに口を閉じてしまう。その声色だけで気圧された事実に全身が強張るのを自覚する。
そしてエルドの目には映らずとも、ステイル達の目にははっきりと彼女の紫色が強く光るのが見えてしまった。
侍女役である彼女が発言してしまうことに、嗜める者もいない。カラムまでも口の中に飲み込み背後に組んだ手の力を強めた。そうさせないほどの気配を、彼女の正体を知る全員が気取っていた。ハリソンまでもが姿勢を伸ばす中、テントの内からも外からも視線が彼女一人へ集中する。
「仰る通りです」と、エルドへ向けた肯定の声に幹部達まで身動ぎを奪われる。先ほどの凛とした声から今度は冷ややかだった。ステイルよりも更に冷たく、研ぎ澄まされる。
「確かに国際問題です。いち商人や騎士個人が判断できる域を越えています。勝手な行動をすれば国家間の亀裂に及ぶ可能性もあるでしょう。……ただし」
ひやりと彼女から発せられたとは信じられないほどの声色と早口に、アランは自身の感じた憤りも忘れて僅かに苦笑いが溢れてしまう。エリックも音を漏らさないように口を閉じ、しかし喉が鳴る。
テントの入り口からでは彼女の表情までは覗かせられない為、姿勢の整った背中姿が余計に冷たい印象を持たせた。アーサーも顔をヒクつかせる中、エルド達に気付かれないようにステイルを肘でつく。
今の彼女の感情がどのような熱を発しているか、彼らは知っている。一度は目にした熱色だ。
「〝フリージア王国〟そのものの意思であれば話は異なるでしょう」
今度は冷たさではない内側の感情を剥き出しにしたその声に、ヴァルまでもが首を伸ばし更にと彼女の顔を見ようと覗かせた。隠すつもりもない、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべて眺める。
昨晩とは異なった開き直りにも見える彼女が愉快で仕方がない。近くにいれば、焚き付ける言葉の一つや二つは言っていた。微かにだが見えた彼女の横顔は、それほどまでに
「貴重な情報感謝します。レオナルドに伝えてください。奴隷被害者はこちらが請け負うから心配ないと。……ですよね、フィリップ様?」
「そう、……ですね。僕らはここで一度失礼しましょう。彼には安静にするようにと伝えて下さい」
怒りに、満ち溢れていた。
先を予想し、肩が揺れ好き済んだステイルは平静を取り持ちながらも出出しは少し言葉に詰まってしまった。ぞわりと背筋が冷たくなるプライドの声に、今は顔を見る勇気が持てずエルド達へ視点を起きながら立ち上がる。レオナルドから約束通り手枷を回収するカラムの姿が視界の隅に入りつつ、彼女がこれほどまでに怒るのは何年振りかと思えば、見当違いと理解しながらもやはり目の前の元王子に殺意を覚えてしまう。プライドと彼との相性は、この上なく悪いのだと確信が胸にある。
ギラリと、ステイルにまで鋭い眼光で見下ろされ、流石にエルドも困惑を顔に滲ませる。何故、自分がそこでこの男に睨まれるのかわからない。刺すような視線は殺気にも近かった。
「「行きましょう」」
意図せず、ステイルとプライドの声が重なった。
二重に聞こえた声に、迷いなく騎士達は一言答え首を垂らす。確認する必要もない、二人の向かう先がどこかは知っている。
女王の意思こそ、フリージアの意思そのものだ。
来週5月2日にラス為書籍13巻が発売致します。
これも皆さまの応援のお陰です。ありがとうございます。活動報告更新致しました!書籍の特典情報もございますので、宜しければ是非。




