表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貴婦人形  作者: 子無狐
5/14

05 - 遮光

 それ以降、少年は人形の出立時には、瞳と言葉を交わすようになった。

 多くは語らず、一言二言、言葉を交わすだけ。

 満足感をえながらも、やはり違和感を消すことができない――瞳の中に映る、白い鎖の存在を。

 整えられた顔の作りを阻害する、白い鎖。拘束具のような愚かしさに、少年の違和感と苛立ちは募るばかり。

 ――包帯の下には、なにがあるのだろうか?

 次第に、少年にも好奇心が生まれてくる。閉ざされていれば、その内面が気になってくるのも性なのかもしれない。

 だが、その鎖の下がどうなっているのか、明確に知る者はいない。あるのは噂話程度の、信憑性のないものだ。

 ――その噂話は、だが、少年の心を荒立てる内容でもあり。

「壊されたのよ。ご主人様に、ね」

 かつて、メイドがぽつりとささやいたことがある。

 あまりにもさりげない一言だったことに、少年は身体をびくりと震わせた。

 ――あんなに美しいものの一部を、破壊する?

 噂とはいえ、そんな考え自体が、美しく造られた彼女に対する冒涜ではないか。

 少年は心の底からそう想い、だが、その可能性を否定できないことに震えた。

 硬直する少年の態度が、あまりにも驚きに満ちていたからだろう。

 メイドは吐息を一つついて、安心させるように少年の肩をたたく。

「噂よ、ウワサ。人の心は答えを求めるから――正しくなくとも、ね」

 メイドのなぐさめに対して、しかし、少年は考えを切らすことはなかった。

 震えの代わりに浮かんだのは、疑問と、かすかな怒りだった。

 ――『醜い』ことを、主に求められた人形。そんな馬鹿なことが、ありえるのだろうか。

 疑問の答えは、しかし出るはずもなく。

 代わりに、少年は人形のイメージを、脳内で形作った。

 包帯の隙間からこぼれる、暗い空洞の影。肌と闇の溶け合った、破片の奥底。

 他はまぶしいほどの美しさを想起するのに、そこだけが、ぽっかりと欠けた黒さをまとっている。

 ――想い描いたイメージに、少年は身震いする。周囲の光が際だつからこそ、闇の深さもまた深く想像してしまえるからだ。

 だがそれは、白い鎖の下を知らないがゆえの、少年の見る幻影にすぎない。

 もしかしたら、噂話や想像とは異なり、美しい半面が残っているのかもしれない。

 彼は、信じる。

 望み、願う。

 その鎖を解かれたものが、美しい姿を得る事を。

 少年らしい、ひたむきな無邪気さで。

 ――解きたい。その白い鎖と、閉じられた闇のなかを。

 光の世界へとなじみ始めた少年は、自身の心中をそんな言葉で装飾した。

 人形への想いで時をすごすことが、少年にとって、生きる糧となり始めていた。


 ――そんな日々の、突然のある日。


 紳士は一人きり、身支度も半端なままに外出した。

 急な事態のようで、他言したくない用件でも含まれていたのだろうか。

 いつもかたわらに寄りそう人形はおいていかれ、館にて待つように命じられたようだ。

 少年は、このタイミングを好機だと考えた。

 常に触れられない憧れへ、声と好意を伝えるには、絶好のタイミングであると。

 それが、今の立場を危うくするかも知れないと感じてはいても、身体を止めることはできなかった。

 だが、少年は人形に出会うことはできなかった。

 人形が住まう扉は、堅く閉ざされ、開くことができなかったのだ。

 堅い扉の音が少年を拒絶した時、ふと少年は我へと帰った。

 まるで、警備がいない他人の家へ、泥棒に入るような行為ではないか。そう解釈してしまった心が、鍵を探しに行く気力を沈ませる。

 そう、少年が人形に会うことは、禁止されているわけではない。人形のメンテナンス作業も、メイドや執事の教えの中には組み込まれていたからだ。

 だが、少年は人形をメンテナンスを、メイドに全て頼んでいた。それは、自分の心の制御ができるか、自信がなかったからだ。

 今回も、少年はその狭間で迷い、ドアノブに掛けていた手をゆっくりと外した。

 せっかくの好機だとわかってはいても、少年は、人形に向き合う自分を想像することができなかったのだ。

 そのまま少年はあてもなく、館の中を歩く。今日に限って、紳士は特に急ぎの用件を預けていかなかったのだ。

 目的のないままにさまよい、刻一刻とすぎてゆく一日。

 このまま、今日という日が終わるのだと少年が想いはじめていた――そんな時だった。

「こちらでよろしいですか?」

「……?」

 少年の耳に声が聞こえ、足を止める。

 その声は、見知ったメイドのもの。

 廊下の先から聞こえたものでも、部屋の中から漏れ出たものでもない。

 聞こえた先にあるのは、確か、中庭のはずだった。

 来客だろうか。だが、館の主は外出している。

 少年の記憶でも、来客の予定はないはずだった。ましてや、主なき館に人を招くなど、考えにくい。

 メイド個人の客だろうか――そう考え、少年はメイドの友人や客を一度も見たことがないと感じた。

 興味を惹かれた少年は、あてのない巡回をやめ、歩を中庭へと進めることにした。

 近づくにつれ、陽の光が強く眼に入ってくる。

 それこそ、日光浴にでも最適な、過ごしやすい一日だった。

 先ほどの場所から少し歩いただけで、少年は中庭へと足を踏み入れた。

 緑の草花や木々に光が反射する中、誰かが立っている気配を感じ、少年はそちらの方向へと声をかけた。

「誰か、来ているんです……か……?」

 その声は、途中から曖昧になり、疑心暗鬼へと変わってしまった。

「……え?」

 なぜなら、眼前に広がる風景が、真実だと信じられなかったからだ。

「……あ……?」

 呆けた声を上げる少年に、三つの瞳が向けられる。

 二つの瞳は、メイドのものだった。やはり、先ほどの声は彼女のものだったらしい。

 彼女は、少年の様子に呆れた様子を見せながらも、ふぅ、とため息をついてこう言った。

「陽を浴びたいと、請われましてね。ならば、応えなければならないかと」

 メイドが説明する言葉の先、そして少年の視線の先――そこには、彼にとって予想外のものがいたのだった。

 三つの瞳の、残り一つ。こちらを見つめる、ガラス玉の瞳。

 柔らかなドレスを身にまとって、少女の姿をした人形が、陽の光の下にたたずんでいた。

 明確な興味を持って、人形は少年の姿を、その輝く瞳の中へと映しこんでいた。

「え……あ……?」

 突然の事態に、少年はただ立ち尽くすしかなかった。

 憧れの人形と、遮る者のいない環境で会うという、願ってもいなかった幸福。

 それが今、少年の眼の前に広がっていた。

「……」

 無言のまま立ち尽くす少年から、人形は視線を外して、声をかける。

「ありがとう」

 外された視線の行く先は、自身を導いたメイドへ向けられたもの。

 視線とともに伝えられた感謝の言葉は、平坦であるが、どこか気持ちがこもっているように少年には感じられた。

「いえ、仕えるものとして当然の勤めですわ」

 感謝の言葉に、メイドはにこやかに受け応える。

 それは、妹に対する姉のような、どこか見守るような表情。

 少年に対して向けられるものとはまた違う、けれど暖かい、彼女特有の笑顔だった。

「……まだ、立ち尽くしているわけ?」

 少しばかりとがめるような口調で、メイドが少年に呼びかける。

 それもまた、少年へとたまに見せる、姉のような態度。

「あ、うん……」

 事態が飲み込み切れていない少年は、ふらふらとその足取りを二人の方へと向かわせる。だが、少年にとって、その足取りに現実感は感じられなかった。

 なぜなら向かう先には、幻とも想えた存在がしっかりとあるのだから。

 近づいて、立ち止まる。

 そして、また無言となる。

 ――どうすればいいのか、まったくわからない。

 少年の内心で言葉は生まれ、消え、また生まれ、そして消える。

 身体は動かず、動悸だけが妙に速い。

 こんなことは始めてだった。こんな機会を、望んでいたはずだったのに。

 少年がなにも出来ないままに戸惑っていると、かすかなため息がその場に響いた。

「……ふぅ」

 その発信者は少年でも人形でもなく、メイドのもの。

 少年と人形。彼女だけが、二つの立場を客観的に見つめることが出来た。

 二人は同じように無言で、かける言葉を見つけられず、ただ立ち尽くしている。まるで、違う世界に相手がいるかのような瞳をして。

 それでは、重なるものも重ならない。

 だから、彼女は声を上げた。

「あ、いけませんわ」

 突然、ふっと、驚いたようにメイドは二人に語りかけた。

「少々、やらなければいけないことを想い出しましたわ。……じゃあ、あとはよろしくね」

「……え?」

 ぽん、と肩を叩かれて現実に舞い戻ってきた少年の瞳には、足早に駆けてゆくメイドの後ろ姿だけが映った。

 メイドの言葉と行動は、さらに少年の態度や精神をひどく混乱させることになった。

「……ええ!?」

 驚きをもう一度呟いても、メイドの姿が戻ってくる気配はない。

 かといって、大声で呼びかけるわけにもいかなければ、連れ戻しに動くわけにもいかない。

「……」

 困惑しながら、視線を正面へと戻す。

 そこには変わらず、幻のような風景がそのままあった。

 幻想の存在に似た、人形の姿。

 ――沈黙。無言の時間が、少年と人形の間に横たわる。

 しばし、日の下にたたずむ人形を見つめる。

 その表情や仕草に変化はなく、少年がそこにいることすら感じていない風情。

 だが、少年はそれでも満足だった。ただ、ここにいられるこの瞬間が、とても満たされるものだったから。

 気持ちが落ち着いたからなのか、ふっと、少年の唇が動いた。

「良い天気、ですからね」

「……?」

 少年の呟きは、自然に漏れ出たものだった。

 人形は、その呟きに少しだけ顔を巡らす。

 少年は人形の動きに期待して、表情をうかがう。だが、人形の表情に感情らしきものを見てとることはできなかった。

 いつもと変わらぬ人形の反応に、だが、少年は不思議な高揚感を感じた。

 今回、その瞳に映っているのが自分だけだという事実が、少年の心を躍らせた。

「出歩きたくもなるもので、そう感じるのは素敵なことだと。そう、想っただけです」

「……そうでしょうか?」

「そうです」

 人形の発する疑問に、少年は強い口調で肯定を与える。

「よくは、わかりません。ですが、そう想われるのなら、そうなのでしょうね」

 他人事のように語る人形の反応。少年を見て答えながらも、言葉の意味と響きから、誰に対してもそうするのだろうと想える隔絶感がある。

 少年の心に、ふと、朝の感情がよみがえる。――好機とは、このタイミングを言うのではないのか?

 自然、口が言葉をつむいでいた。

「……どうして」

「……?」

「どうして、あなたはここにいるのですか?」

 それは、この館で過ごし始めてから抱いた疑問だった。

「ここ、とは?」

「この屋敷に、あなたはどうして……いるんです?」

 人形には、自由は与えられていない。常に紳士とともに寄りそい、必要のない時は、奥の個室へと押しやられるだけ。

 少年には、分をすぎた質問かと想いながらも、聞かずにはいられない疑問だった。

 それに対して人形が返した答えは、至極当然の、淡々としたもの。

「――わたしは、人形だから」

「人形……」

「主に寄りそうことが、わたしの存在意義なのです」

 人形はあくまで淡々と、自分が館にいる理由を少年に告げた。

 少年は、心のどこかで理解しながら、あいまいに頷いた。

「そう、ですよね……」

 少年は人形の言葉を、素直に受けいれきれなかった。

 もしかすると――彼女も、もしかすると自分と同じなのかもしれない。少年には、そう感じられたからだ。

 奴隷の身として買われた自分に、人形の身として寵愛される彼女。

 一見すれば、それらは違う境遇と立場。

 だがその本質は、紳士の管理下に置かれた、同じ人の形に過ぎないのだ。

(……だが……そんなことで、いいのか?)

 内心で、少年は呟く。彼の若さと心は、そんな境遇ゆえ妥協を、受け入れるわけにはいかなかった。

 あくまで冷静に、少年は再び口を開いた。

「ですが、私には……あなたは、もっと美しいと想えるのです」

「……」

 曖昧だが、その言葉には、現状の否定を含んだ意味があった。

 その意味は、少年の立場を危うくする可能性があるもの。彼の身の奇跡を考えれば、避難する者しかいないだろう。

 この場でその言葉を聞いたのは、人形だけ。無表情のまま、静かに人形は言葉を紡ぐ。さきほどより、どこか流麗な口使いで。

「白い覆いをまとえば、それだけでシミを隠せます。その内が、浸食されているとしても」

「え……?」

「けれど、その本質に変わりはないのです。本質は、そう、覆い隠せるだけで――永遠に、根付いているものなのです」

 その人形の語りは、少年が知る彼女と違った印象を与えた。

 まるで、紳士に対するメイドの、冷たい対応とどこか似ているようにも感じられた。

 つまりは――試されているのだろうか。

 人形にとって、少年がなんであるのか。

「あの方は、この壊れたわたくしをこそ、愛してくださるのですわ。それゆえに、わたしは側にいられるのです」

 人形は、一つの瞳を少年に向ける。

 その瞳は、なんの感情もない、ガラスの造りモノ。

 だがそれゆえに、言いしれぬ説得力を持っている、透き通った瞳。

「あなたは、どう想われますか? この壊れた人形には、では、どんな主が似合うと思われます?」

 人形は問う。

 砕けていないほうの眼を向けて。

 半開きの唇で。

 ささやくように。

 訴えるように。

「それとも……ごらんになられますか? この白い鎖の下にある、本当のわたくしを」

 無機質な表情で、感情のない声音で、しかし、強い意志を感じさせる仕草で。

 白い鎖を、その細すぎる指先でなぞりながら。

 人形は、少年を見上げて、問う。

 ガラス玉の瞳で、彼の内心を貫くように。

「う……」

 その問いかけに、少年の足が一歩引いてしまう。

 その恐れは、少年の内心が脆弱であることを露呈させた。口を開こうとしても、うまくいかない。

 人形の瞳に対して少年が返せたのは、戸惑いとかすかな呻きでしかなかった。

 怯える少年へ、しかし人形は変わらぬ瞳で問いかけを続ける。

 美しい水晶の輝きと、暗く深い想いを、白い鎖の下に閉じ込めながら。


「……あなたにとって、美しいとはなんですか?」


 ――それが君だと、言えれば、言ってしまえれば、僕は――


 拳を握りしめ、言葉を耐える。

 その言葉を言ってしまえば、なにかがあふれ出る。

 それはおそらく、止まることがない。

 そして、少年は気づいてもいた。

 今、その言葉を述べれば、全てが変わってしまう。

 そして、変化を貫く覚悟も受け入れる心も、まだ自分にはないことを。

 そんな弱い自分を、自覚してもいた。

 だが、想いは自然に満ちて、止まることがない。

 自分の心の中に、制止の声を反響させる。

 そうしなければ、今すぐにでも口をついて出てしまいそうだった。だが、その抵抗は、長く持ちそうになく。

 ――少年の抵抗が破れそうな、その時だった。


「お待たせいたしました。お部屋に戻りましょうか」


 計ったかのように、メイドの声が背後から聞こえてきたのは――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ