06 - 誘い
憂鬱である、というべきなのか。
少年はまばゆい日差しを窓から受けながらも、そんなことを感じている。
心境的にはそれほど落ち込んではいないのに、身体がどこか気だるい感覚がある。
仕事は着実に、そして滞りなく回っている。
屋敷に仕えていた老執事からも、かなりの仕事を任せられるようになり、少年抜きに屋敷の運営は回らなくなっている。
少年は、未だに今の境遇が夢のようだと感じる時がある。
過去と現在、その立場を想い出せば、それは奇跡と幸運の巡り合わせという他なかった。
この生活が壊れることなど、想像することすら恐ろしい。そう考えるのが普通の人間の思考だと、少年自身にもわかっていた。
だが、と内心の想いが消えない。
仕事に対してでも、身に余る幸運でも、得体の知れない主に対するものでも、ない。
浮かぶのは、あの日の視線。無機質な眼に見つめられ、まぶしい陽射しの下で問いかけられた、人形の姿。
「……強すぎる」
あの日の日差しは、あまりにもまぶしかった。
瞳に焼きついた姿が、しっかりと脳裏にも焼き付いて、消えることがない。
人形とその後、特別親しくなるような機会も時間も巡ってはこなかった。あの出会いが何らかの変化をもたらしたかと言えば、それは否であった。
人形が近づいてくることも、少年が誘いに行けるようになることも、全く無いままであった。
まるで幻の一時のような時間に、何度も想いをはせる。それが生産的でないと理解はしていても、身体と心の憂鬱感は高まるばかりだった。
ある程度仕事が片付いて、一息ついた、その瞬間だった。
――ごっつん、と鈍い音が少年の耳に響いた。
「――ぃっ!?」
少年の頭部に痛みが走る。
衝撃は、久しく忘れていた鈍痛を一瞬で広げていった。
「……!?」
頭を抱えて、背後を見やる。
そこに見えたのは、感心するようなメイドの表情だった。
「あら、けっこう良い音ですわね。中身はけっこう詰まっていらっしゃる?」
イタズラをしかけたことを悪びれた様子のないメイドの声に、少年は憂鬱な気分を吹き飛ばされる。
「……そういうことじゃないだろ!」
やや声を荒げてしまうのは、少年にとっては珍しいことだ。
基本的に少年は、誰に対してもやや距離感をとってしまう。それは、奴隷時代に身についてしまった、保身的な感覚なのかも知れない。
ただ、このメイドに対しては、こうした気安い態度をどうしてもとってしまうことがある。
それは、決して悪いことではないのだが、少年はそんな自分になぜか恥ずかしさを感じてしまうのだった。
そんな少年の心中を知ってか知らずか、手に持った本をテーブルの上に置きながら、メイドは彼の頭の上を手のひらでさすり上げる。
「痛いのは、痛みを感じるあなたのせいね?」
「……意味がわからない。殴った自分のことは棚上げする気かい?」
「棚の上に上げているのは、あなたの意識でしょう。ふりかえっても、今の物事が変わることはないのよ?」
からかうように言うメイドに、少年は声を失う。
どこか苦みを感じさせる顔だったのか、メイドは微笑の色を濃くして詫びる。
「ごめんなさい」
「……いいですよ、それは事実ですから」
そうして、このメイドにだけは弱さをさらけ出してしまう。
少年にとって、それもまた不思議なことであった。
「……あなたは、なぜ」
少年はそこまで言葉を紡ぎ、口を閉じた。
メイドの怪訝な表情が視界に入る。
だが、少年は見つめられずに視線をそらした。口にしようとした言葉を胸にしまいながら。
――なぜ、僕を彼女にひきあわせてくれた?
あの日になぜ、少年は人形に出会うことが出来たのか。あまりにもタイミングが良すぎる事態は、偶然とは想えなかった。
陽の光を浴びに人形を連れだす時間を、少年のスケジュールと合わせるように、メイドがセッティングしたのではないか――少年は、そう推測していた。
(……だけど……なぜだ?)
少年がその配慮をいやがっているわけではなく、むしろ感謝の気持ちがあるくらいだった。
しかし、メイドにとってはなんのメリットもない出会いの場を、なぜ彼女はセッティングしてくれたのだろうか。
ただ、それを聞いてしまったら――という不安も、少年はあわせて感じており。
疑問は口に出来ることなく、少年は口をふさいでしまったのだった。
「どうしたの?」
「いや……なんでもないよ」
うつむいてしまった少年に、メイドは一つうなずいて、「ふむ」と声を出し。
「では、参りましょうか」
「え?」
メイドはぐっと少年の手をつかんで、女性の身にしては力強い勢いで彼の身体をぐいと引っ張る。
「ま、待って……!」
「いいから、ね?」
振り返りながらそういうメイドの表情は、少年にとってとても気安い、安心できるものだった。
少年は、知っていた。
悩みに際して彼女に呟けば、なんらかの答えを返してくれる。それを、少年は知っていたからこそ、聞けなかった。
その答えが、少年の望むものであったなら――この日々が、変わりだす。
それを、知っていたから。




