03 - 要求
「……?」
目覚めた視界に映ったのは、見たこともない装飾の嵐。
しっかり見れば、それが豪奢な天井だということが頭に入ってくる。 次いで、身体が沈み込むような感触。まるで、綿布の倉庫に閉じ込められたかのような肌触りに、違和感を覚える。
少年は、疑いながら視界をめぐらし、気づいた。
これは、ベッドだ。しかも、奴隷の身分が寝転がれるような種類のものでない、豪華絢爛な高級寝具だ。
「お目覚めになりましたか?」
「……!」
突然の声に驚いて、怪訝な瞳で声の先を見る。
「あらあら、そんなに驚かないでくださいまし。とって食うのなら、もう少し熟してからの方がいいですわ」
そこには、女性が一人たっていた。
黒いエプロンドレスに、ホワイトブリム。大きな屋敷に仕える、メイドの身支度そのままの女性だった。
彼女の雰囲気は、穏やかだった。だが、その雰囲気にも、少年の警戒心がとれることはない。
そんな少年の様子を見て、メイドの微笑が苦笑へと変わる。
「冗談ですわ。真面目すぎるのも、損なことがございましてよ?」
メイドの表情は、なぜか親しみに満ちている。
まるで、姉が弟を見るような、なにかを許しているような瞳だった。
――そう、姉のような視線。少年にとっては、味わったことのない感覚のはずなのに。
突然のことが多く、ここは夢なのか、と少年は考える。
「いいえ、ここは夢ではありません。……さりとて、現実にしては、あまりにも奇跡的すぎますけれども」
心中を呼んだかのような答えに驚く少年へ、メイドは続ける。
「わかります、わかりますとも。これは繰り返される喜劇ですもの。わかりますわ、あなた様のご心中」
まくしたてるように、劇的なように、メイドは熱のこもった声で言葉を続ける。
歌うように、恋うように、焦がれるように。
初めて出会ったはずの少年へ、しかし、身も知らぬ誰かへ告げるのではない、寂しげな親しみを込めて。
メイドは芝居がかった口調で、唖然とする少年へと、言葉を贈る。
「ですからわたくしが存在し、あなた様がここに生まれる。そしてその先に待つのは、ある一つの結果という喜劇」
耳慣れない響きと口調が、少年の耳を襲う。
ふと想い出したのは、かすかに聞こえたことのある、街中で行われていた舞台劇。
造りこまれたかのようなメイドの言葉は、舞台で役者が述べていた口上に、どこか似ているものを感じさせた。だが、メイドがなぜそんな口調でしゃべるのか、その真意をくみ取ることが少年にできようはずもなかった。
ただただ、圧倒されるだけ。なぜかもわからぬ、メイドの熱っぽい視線と声音に。
――そして、ふっと。
メイドの言葉から、力が抜けた。その些細なささやきは、今までの反動として、また印象的なものだった。
「何度も、何度も、道化は廻り、役者は舞台を再生するだけ。発展することは、舞台の終わりを意味するのです」
さきほどまでの語調とは異なる、どこか弱さや優しさを感じさせる言葉。
二面性を持つような不思議なメイドの姿に、少年は、瞳を惹かれることとなった。
少年が見つめるのを受け止めたまま、メイドは再び口を開く。
なにかを決心した、まっすぐな瞳を少年へと向けながら。
先ほどまでと同じような、それでいて寂しさをふくんだ口調で。
「……ですから、今度こそは――」
だが、メイドが口を言葉を発しはじめた、そのタイミングだった。
「そこまでにしなさい」
低く重い、断定の言葉が、その場に響いた。
「……?」
メイドの言葉を止める声。
それは、壮年の男性特有の低い声だった。
メイドは、声が響くと同時に口を閉ざした。
表情は、何もない。
さきほどのまでの彼女の表情からは、まるで想像ができないもの。まるで人形のような無表情さに、少年は驚きを感じる。
メイドはふりかえり、後方にいるであろう声の主へと会釈する。
だが、なぜか一瞬で少年の方へとふりかえり、瞳を彼と合わせた。その瞳は、さきほどと同じ、親愛に満ちたものだった。
「では、また後ほど」
そう少年に告げて、メイドはその場を後にする。
「失礼いたします」と小さく呟く声が、距離をとって聞こえた。
ドアの閉じる音が響き、彼女の姿は少年の視界から消えた。だが、千変万化する彼女の姿は、少年の瞳と意識に深く焼き付いたのだった。
「――使用人が失礼をしたようだ」
男はそう呟いて、ゆっくりと少年へ近づく。新たに少年の瞳へは、壮年の紳士の姿が映っている。
理由はわからないが、紳士の姿は、少年へ不安を感じさせた。男の顔がしっかりと見られるようになればなるほど、その想いは強くなってゆく。
なぜなら、男は仮面をつけていた。伺えるのは口元だけ。
まるで、瞳を隠すような仮面。その仮面のせいで、全体の表情をうかがうことはできず、また疑わしさも強まっている。
年の頃は、三十から四十代だろうか。ただ、仮面で表情が覆い隠されていることや、老成した感じもあり、年齢はよくわからなかった。
男が近づいて、立ち止まる。
少年は、言葉を発さない。それは、警戒と動揺を意味している。
身なり、風格、言葉遣い、漂う雰囲気――紳士と少年は同等の存在ではない。そう、少年には察せられた。
目の前の男は、貴族の者だ――少年は、そう考える。
この国の中枢を支え、先行きをとりまとめ、天に最も近いといわれている者達。神に最も近しい、現人神。そうした力を持った者達だ。
その存在は、奴隷たる少年にとって、空想の神と同じほどに遠い存在でしかない。
なのに、男は――紳士は、少年の眼の前にいる。少年の疑念の瞳を、まっすぐに受け止めながら。
「どうして君がここにいるのか、か……」
呟いて、紳士はかすかに笑う。なぜか、どこか自嘲するように。
覗き見える微笑に、少年はどこか嫌悪感を感じた。
人生を皮肉るような、なにかを達観したかのような、全てを見透かしたかのような笑み。
それは、少年にとって『余裕』があるものの象徴のように見えたからだ。
顎へと手元をのばし、考え込むようなしぐさで、紳士は口を開く。
「福祉とも言えるし、情けともつくろえるし、気まぐれからもきているし、遊びでもあるが……」
紳士は、いくつかの言葉を選んで少年へと語る。そのどれが紳士にとっての本音か、判別はできない。
だが、全て嘘だろう――なぜかはわからないが、少年にはそうわかる。
「そう、そうだな……強いて言うなれば」
少年には、なぜか、次の言葉に対する反応を先読みできた。
その言葉が、紳士にとっての本音であるということ。
そして、その言葉が――
「運命、と言えるのかもしれないな」
――少年にとっては、傲慢な超越者の道楽にしか聞こえない言葉だということも。
「……ふざけるな」
怒りから生まれた言葉なのか、反抗心から生まれた言葉なのか。想わずついて出た言葉は、紳士への罵倒だった。
それは、損な反応でしかない。少年は今までの状況判断で、そんなことは理解していた。それでも自身の唇は、内心の怒りを止められなかった。
この場にいて、生きているということ。それは、奴隷として明日をも知れぬ生き方をしていた少年にとっては、奇跡というしかない出来事だった。奇跡を自分から捨てるなど、愚か者のすることだ。少年にもそうわかっている。
だが、少年にはなぜか――そうしなければいけないという、強い想いが生まれていた。それは、今まで感じたことのない、不思議な感情だった。
一つだけ言えるのは、目の前にいる男が好きになれないという、生理的嫌悪感だった。
「……かえる」
反抗の言葉を紡ぎ出す。
そして、紳士は即座にその言葉を否定した。
「帰るところなどあるまい」
紳士の言葉は、真実をついていた。
少年もまた、うっすらとその事実を感じてもいた。
奴隷の身だった少年が、今、紳士とともにこの場にいる。それが表す意味は、たった一つの簡単な答えでしかない。
「お前は私に買われたのだ。その身体、その声、その意志、その存在。それらは全て、私のものなのだよ」
奴隷としての立場を、再確認させられるような言葉。事実、そうなのだろう。
少年の立ち位置は、何も変わっていない。彼を扱う周囲の者達が、変わっただけのこと。
身にまとわされた黒のジャケット、整えられた髪、不似合いな清潔さ。違和感すら感じる。だが、その立ち位置こそ、今の少年が置かれている現実なのだ。
「……どう、したい?」
紳士の指摘を受け入れながら、しかし、少年の反応は変わらない。
教育もまともに受けず、また、忠義の精神などを持たない少年の言葉は不躾だ。それは先の感情と合いまり、見るものが見れば、不遜以外の何者でもない態度となる。
紳士は、そんな少年の言葉にも態度を変えることはない。むしろ、すでに想定していたかのような、不思議な余裕を見せている。その紳士の余裕が、少年の心を、さらにざわつかせる。
「難しいことではない。まあ、今のままでは難しいかもしれないが……心配することはない」
口を開いた紳士は、次いで、こう告げた。
「執事になってほしいのだよ。私と、私の愛する人形のためのね」
その言葉の意味をくみ取れず、紳士を見つめる少年。
執事など、見たことも聞いたことも数えるほどしかない、遠い存在。
――なぜ、ただの一奴隷でしかない自分に?
疑念を浮かべる少年の視線をそらすかのように、紳士は頭を背後へと巡らせる。
次いで、少年も視線を移動させて――
「――っ!」
――息を呑み、言葉を失い、表情を驚きがつつむ。
予想しない衝撃に、必死に内心を落ち着かせようとするが、うまくいかない。
驚く彼へ、紳士の背後から現れたモノが、会釈をする。
さらり、しゃらり――と、衣擦れと髪すべりの音が響く。
部屋の中央、紳士の側にたたずんで、そのモノが言葉を発する。
薄い口紅に彩られた、生気の薄い唇から。ささやくように、誘うように、転がるような声で、ゆっくりと。
少年に向けて、透明な声音を響かせる。
「はじめまして、あなた様……」
美しい姿をした少女は、淡々と、少年に挨拶の言葉を告げた。
「き、みは……?」
整えられた金の髪と、透き通るガラス玉の瞳、磨き抜かれた白磁の肌。
身にまとうは、幾十幾百の装飾術がこらされた黒いゴシックドレス。
それらを合わせてみれば、そこには、この世に在らざる少女としての理想像が浮かび上がる。
その姿は、あの暑い日に見た幻影と同じモノ。少年が追い求めた、幻の横顔。
だが、少年の驚きは、それだけではなかった。
眼前の少女の存在、それだけでも驚くべきことだったはずなのに。
同じ違和感が、あの日と同じく、少年に驚きを与えていた。
「……な、ぜ?」
――ただ、一点。
少年にとって、かすかに見えた、彼女の鎖。
その右顔面へと痛々しく巻かれた、白い包帯。
それさえ無ければ、彼女は究極の理想像であったはずなのに。
少年にとって、二重の驚きを彼女はもたらした。
究極と、欠損――相反する要素が、彼女という存在には詰められていた。
「……」
うちひしがれる少年に、声がかかる。
「紹介しよう、少年」
今までと同じように――いや、むしろ、今まで以上に『余裕』を感じさせる声で。
紳士は、少女へと手を指し示し。
少女もまた、その残った方眼で、紳士へと視線を移す。
そして、紳士を見つめる少女の姿に――少年は、またも衝撃を受けてしまう。
見つめる少女の瞳は、まるで恋人を見つめるような、かすかな熱を込めた少女の瞳。
少年に向けられたものとは、まるで異なった光を宿しているよう――そう、少年には想われた。
そんな二人の姿を目の当たりにした少年は、ただじっとその姿を見つめるしかなく。
並び立つ二人から、少年へと告げられた言葉は、やはり彼の範疇を超えるものだった。
「彼女は、もっとも私が美しいと感じる人形であり――最高の理想像でもある」
「……なん、だって?」
少年は驚きの声を上げる。そして紳士は、その表情に満足したかのように、微笑した。少年が不快に感じる、わかりきったような微笑みを。
紳士は少年に追い打ちをかける。反論も、妥協も、迷いも許さない、断固とした口調で。
「君にはわかるまい。だが、わかるようになってもらう。それこそが――君を執事へと招く、最大の理由なのだから」
「……!」
――少年にとって、紳士の言葉の意味は、まるで理解できないものだった。
――だがその紳士の言葉で、少年の心にある感情が生まれていた。
――今までは持てなかった、目標という名の、反逆の心。
――少年は、変わりゆく運命を受け入れることを、決意した。
――あの日見た、自分の中にある理想像を、手に入れるために。




