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貴婦人形  作者: 子無狐
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02 - 奴隷

 ――このまま、虫のように死んでゆくのだと。

 そう、少年は知っていた。

 誰にも気づかれず、知られることもないままに、ただ死骸という形でくずおれる。

 それ以外に生きる方法も死ぬ方法もないのだと、少年は気づいていた。

 ――そんな運命を、受け入れていた。


 暑く、蒸し暑い日だった。

 照りつけるような太陽の下、少年はその身体をジリジリと焼いていた。

 じゃらり、と鎖の音がする。

 同じ音が、周囲に幾十。

 彼の身体にも巻かれている鎖は、同じ年頃の少年たちも同様に巻かれている。

 少年の身分は、奴隷だった。

 買われ、売られ、自意識など存在しない、最底辺の存在。個別の商品にすらなれない――使い捨ての部品だった。

 街の人々の冷たい視線が、少年達に刺さる。

 哀れ、軽蔑、安心、嫌悪、そこには様々な表情が見てとれる。

 しかし、そんな視線を気にしていては、奴隷という身分で生きてゆくことはできない。少年もそう自覚していた。

 物心ついたときは、もう少しまともな生活をしていたと少年は感じている。だが、戦乱と政情が目まぐるしい世界にあって、安定などは無きに等しい。

 気づいていれば、今の年まで生きている仲間が珍しいほどの年になってしまっていた。

 幸せだった頃の記憶が、本物なのか幻想なのか。日々の過酷さは、その記憶さえ曖昧にさせる。

 奴隷の生活は、過酷である。死ぬ者も多い。

 だが、悲しむ者はいない。

 彼らは人でなく、物と呼ぶにも乱雑に扱われる、消耗品という存在として用いられていた。代わりは、いくらでもいるのだから。

 どうせ死ぬ身なら、と吠える奴隷もいる。かといって、はい上がれるのはほんの一握り。逆転勝ちのカードを切るにも、それなりの実力が必要。

 それがわかっているからこそ、誰一人として脱走しない。する気力もわかないのかも知れないが

 少年も、脱走などを考えたことはなかった。残念ながら、人心を掌握することも、金利を把握することも、治世を読む術も、なにひとつとして知らないことを自覚していた。ここから逃げ出して、生きてゆく術を知る余裕もなかった。

 ただ、消費され、考えることも悩むこともできず、生命が尽きるまで働く。

 そして、捨てられる。

 少年の感慨は、おそらく、他人に漏らしても首肯されたであろう。


 ――生まれてきた理由は、人に成れず死ぬこと。


 それは悲観でも哀れみでもなく、ただの事実として少年と共にあった。

 少年は、だから、その日もいつもどおりに奴隷の一人として、街道を歩いていた。

 変わるはずがない日々の、当たり前の一日として。

 じっと静かに、自分の命が埋もれてゆく日を、想いながら。


 ――だが、その日、少年の瞳に映ったものは、いつもの変わらぬ隷属の風景ではなかった。


「――え?」

 少年が目を奪われたのは、その横顔にだった。

 想わず、驚きの声をだして、動きが止まってしまう。

 見咎められれば、懲罰が待っているのに。

 それでも少年は、瞳を固定してしまった。美しき横顔を作り出す、その存在の元へと。

「……!」

 言葉が出ず、(うめ)くことすらできない。それほどの衝撃が、少年の内心を揺さぶる。

 視線の先に、もう仕事場の風景は映っていない。

 少年の瞳の中にあるのは、彼にとって異世界である、街の噴水広場だった。少年にとって、その噴水広場にたたずむその二人連れは――世界の輝きを変えてしまうほど、まぶしく映った。

 噴水が照りかえす光のせいでは、もちろんない。ちらりと周囲の人々の視線を盗み見るに、それはどうも自分だけではないと少年は察せられた。それほどに、その二人連れは目立つ光を放っていた。

 黒いコートの男爵に、黒いゴシックドレスの少女。

 不釣合いな二人であり、そしてとても映える二人でもあった。

 表現のモチーフとして選ばれるほどなのに、それを許さないような、唯一感と拒絶感。

 特に、少女の美しさは際だっていた。

 巨匠が精魂を込めて掘り抜いたかのような、完全な造形美。

 まるで、理想を具現化させるために造られた、人形のような輝きを放っていた。

 少年が眼を奪われたのは、その少女であった。仕事の手を捨てて見惚れるほどに、その少女の姿は、この街の風景から切り離されているものだったからだ。

 自身の立場と、彼女の輝き。

 ふりかえって感じる、自虐ともいえる対比が、少年の心と視線を強く惹きつけたのだった。

「――なにを見てるっ!」

 怒声とともに、少年へとなにかが振り下ろされる。

「……!?」

 鈍い音ともに、痛みが走る。

 頭部から感じるのは、商人が持つ棍棒の痛み。今までも、何度か味わったことがある、慣れ親しんだ痛み。

 だが、いつもならしかたないと受け入れる痛みが、今は不愉快でしかたなかった。

 あの少女を見る時間が、痛みによって遮られるから。

 無論、そんな少年の心中を、商人が理解できるはずもない。怒声が飛ぶ。

「誰のせいで食事にありつけると思ってやがる――!」

 いつもどおりの罵声とともに、少年へと棍棒が打ちおろされる。身体へと染みこむ痛みは、倒れ伏した少年の意識をもうろうにさせた。

 だが、今の少年にとって、あの少女の横顔を見たいという衝動以上に重要なことは、なにもなくなっていた。

 両膝に力を入れ、運んでいた廃品を地面へと放り出し、痛む頭を持ち上げて。

 少年は再び、瞳を街の中央へ走らせる。

 ――しかしそこにはもう、瞳に収めたかった少女の姿はもうない。

 まるで瞳と身体が吸いよせられるかのように、少年は足を踏みだしていた。

「――おいっ!?」

 後ろから、商人の怒声が聞こえる。その声を無視したことは、幼い頃以来始めてのことだった。

 しかし、今の少年が求めているのは、今日の空腹を慰めるパンではない。

 瞳に映ったはずの、美しい幻。

 その姿を求めて足を再び動かすと、足下に巻きついた鎖が石造りの大地を響かせた。

 少年の姿に、街の人々が大仰にざわめいて道をゆずる。避ける、が正解かも知れない。少年の底辺な身なりに、飾られた街の中央広場は、少々不釣合いすぎた。

 だがしかし、彼は走った。

 後ろから追ってくる怒声もかまわず、足の鎖が生み出す重さも気にせず、周囲の喧噪が生み出す嫌悪感も意に介さず、ただ走った。

 求めた姿を瞳に収める、ただそれだけのために。

 次第に暮れゆく瞳の中で、馬車に乗り込む少女の姿が、いやにくっきりと映った。

「……!?」

 そして、そこで始めて気づく。

 完全な存在だと想っていた彼女の顔に、少年と同じものが巻きついているということを。

 ――その美しいはずの顔へ、その輝きを閉ざすかのように、巻き付いている鎖。肌と異なるくすんだ白い包帯が、少女の顔を縛るようにしっかりと、巻きついているのだった。

「……ッ?」

 思考が歪み、足がもつれる。

 ふらついた足が、がつり、と地上の段差につまづく。

 倒れ込んだ身体が、嫌に重い。

 それでも、倒れた状態で半身だけをなんとか起こし、再び少女へと視線を向ける。

「――白い、鎖?」

 なぜ、どうして?

 ――そう少年が考えたとき、その視界は一瞬で地面へと切り替わる。

 同時に感じる、顔面へと押しつけられる痛み。自分の頭を抑える、屈強な男の腕。

「――ッッッ!!!」

 男の怒声、そして怒りの力が、少年の意識をかすれさせる。

 それは、少年を殺してしまうかもしれないような類の力。

 けれど、少年の心は不思議と穏やかだった。

 気づいてしまったからだ。あの瞳を求めれば、こうして力により押さえつけられるしかないのが、今の自分だということに。


 ――あの姿が瞳に映らないのなら、こんな日々など無くなればいい。


 そう願いながら、地面に叩きつけられた少年の意識は、同様に地へと沈んでいった。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 ――そう、もう目覚めなくてもよいと願っていたのだ。

 ――だから、なのか。

 ――夢とも現ともしれぬ、自分の想いに囚われ始めたのは。

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