01 - 人影
――右手に持った鉄塊の感触が、いやに冷たい。
「はぁ、はぁ、ぁ……」
息が荒く、右手が震える。
少年の手は、しかし鉄塊をぎっしりと握りしめて離さない。
――離せない、の間違いでもある。
薄暗い、かすかな灯火だけが照らす室内。
豪華な調度品や、シミ一つない敷物がひかれた、豪勢な空間。
きらびやかさをそぎ落とされた薄闇のなか、少年の瞳は眼前に注がれている。
まっすぐに、とりつかれたように。
淡い光に姿を彩られた、もう一つの影。
室内と調和するような、豪華絢爛なドレスと、陶器のような生命観のない肌。
美しく反射する金の髪と、女性の理想を追求したような身体のライン。
女性らしく見えるその人影は、見た者がその瞬間に魅入られてしまいそうな、異様な存在感があった。
「……」
だが、その人影は地面に倒れふし、身動き一つしていない。
もしこの光景を他者が見ていたならば、少年が人影を打ち倒したに違いない、というふうに言うだろう。
しかし、それにしては――奇妙でもあった。
人影からは一滴の血も流れておらず、また、少年の衣服や手にも汚れはついていない。
――変わりに周囲に散らばっているのは、破片だ。
人の身体から出たものではない、堅い人工物。
まるで陶器のようにも想えるそれらが、人影の周囲に散らばっていた。
少年は、微動だにしない。
ただ、おぼろな薄明かりのなかで、人影をただ見下ろしている。
それは、まるで、なにかを待っているかのようにも見え。
「――っ!」
だが、その動き出した瞬間を、恐れているようでもあり。
ゆっくり。とても、ゆっくりと。
人影――女性の影が、わずかな光によって、怪しく変わる。
動き始めた女性の身体が、部屋に満ちた空気と影を変えてゆく。
ころり、ぽろり、と。
かすかに音がする。
無音だった室内に、堅く乾いた音が、少年の耳に響く。
その音は、人影から発せられていた。
金の髪に隠された女性の顔から、地面へとナニカが落ちる音だった。
「……あ、あああぁ……!」
少年は口元を歪め、声をもらす。
歓喜とも苦痛とも判別できない、うめき声。
人影は上半身だけを起こし、その顔を少年へと向ける。
少年は、人影の顔を見て、ようやく右手の鉄塊を地面へと落とした。
緊張感の解けた口元で、ゆっくりと人影に近づきながら、少年は夢遊病者のように、言葉を発した。
「そう、そうだ、その影こそが……!」
とりつかれたような少年を、人影はただ見つめている。
身を起こしたことで現れた、造り物のようなガラス玉の瞳の奥で。
少年が、その肌に触れる。
光に照らされ、不自然なほどに反射する人影の肌。
まるで、人の肌ではないことを主張するかのように、汚れやシミは一つもない。
少年は、満足だった。その、美しく造形されたかのように整えられた女性の顔に――闇が空けられていることに。
人影の顔半分は、いっさいの輪郭を表すことができなかった。
美しくコーティングされた造りものの表情は、瞳も肌もなにもなく、半分、暗く暗い闇が、ぽっかりと空いていた。
地面に落ちていたのは、彼女の欠片であり――少年が望んだのは、彼女の欠損だった。
人影は、ただ、ガラス玉のような瞳で少年を見つめ、暗い闇の空洞で、少年の姿をとらえ続けた。
そして少年は、人影の闇を見つめ続けながら、想いだしていた。
地面をはいずり、明日をも知れず、ただ死んでゆくだけだと想っていた、あの日のことを。
――あの日、僕が惹かれたのは、間違いなく――
初めて彼女を見た、始まりの日を。
まるで、闇に惹きこまれるかのように、重く沈みこみながら。




