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第55話「回想と後悔 ――修行時代――」

 翌日はまたしても雨天だった。

 陽斗は窓の桟に腰掛けて、しとしとと雨が降る街を眺めていた。


 虹都は景観保護のために、露店が禁止されているので雨だからといってあまり街並みに変化はない。

 しかし街から聞こえてくる音が雨音だけのような気がして、陽斗はどこかもの悲しい印象を受けた。


「…………」


 陽斗は傘をさして歩く母娘連れを見下ろしながら、思いにふける。

 考えるのは異世界に転移させられた時に、滞在していたログハウスでの修行期間のことだ。



   ■



 木刀同士がぶつかり合う音が森に響く。

 カン、カンと断続的に鳴っていた音が、ふいに止んだ。


「……ここまで。休憩にするっす」

「あ、ありがとうございました」


 陽斗は荒い息をつきながらもそう述べると、もう立っていられないとばかりに大の字に倒れた。

 澪は陽斗のためにせっせと脇においておいたコップに、自身の魔力で作った水を注ぎタオルと一緒に手渡す。


「サンキュ……」身体を起こして受け取り、喉を鳴らす。「……プハァッ」


 よく冷えた水が火照った身体に――酒飲みの言葉を借りれば五臓六腑に――染み渡る。

 澪は陽斗が美味しそうに飲む姿をニコニコと膝を抱えて眺めている。自分からでた水を陽斗に飲ませていることに、僅かばかりの興奮を覚えていることは内緒だ。


「そう見られてると飲みにくいんだが……まあいいか。それよりどうだ俺? 強くなってると思うか?」

「もちろんっすよ。陽斗様は筋が良いっすよ」


 チラリと目が覚めるような澪の美貌を眺めると、陽斗の目には一滴の汗もかいていないように見えた。

 おべっかを言っているのではないかと疑いたくなるが、それを聞くとなんだか皮肉っぽい気がする。


「そうか。ありがとう」


 結局素直に受け取っておくことにした。

 しかし陽斗のほんの一瞬しかしなかった沈黙の意味を、澪は正確に見抜いたようだった。


「お世辞じゃないっすよ。体力は目に見えて付いてきてるっすし、剣の扱いも様になってきたっす」


 澪は「ただ……」と前置きして、


「強いて言うなら、ちょっと防御が疎かっすかね」

「防御……? それってただ躱すのとは違うのか?」

「確かに陽斗様は反射神経もかなりいいみたいっすね。並の相手の攻撃だったら見てから躱すのも容易だと思うっす」


 だったらいいじゃないかという顔をする陽斗に、澪はうーんと唸った。


「陽斗様の問題はその防御に関する意識の低さっすね」すると澪はいきなり来い来いとでも言うかのように手首を曲げた。「陽斗様ちょっと私にパンチしてみるっす」

「えっ?! いきなりなんだよ」

「いいからやってみるっす。絶対クリーンヒットはしないっすから」

「む」


 この修行期間で陽斗が澪に敵わないことは十分承知したが、だからといって反骨心まで失った訳ではない。

 いつか超えてやろうと言う気概は、当初から持ち続けていた。


「いくぞ」

「いつでもどうぞっす」


 陽斗は澪と睨み合う。

 と言っても陽斗がそう感じてるだけで、彼女は至って余裕の態度だ。


 合図は何だったか。

 風が吹いたか。二人の間に木の葉が落ちたか。

 ビュッと陽斗の拳が澪目掛けて放たれた。


「――シッ」


 陽斗の噛み締めた歯から息が漏れる。

 少なくとも陽斗は本気で打った。

 しかし澪は涼しい顔で陽斗の手を受け止めてしまう。


「むむむ……」

「陽斗様、拳を押しこまないで欲しいっす。もう終わりっすよ」

「はあ……ダメか」

「まあまあ」


 澪はそのまま陽斗のことを慰めるのかと思いきや、


「……じゃあ今度は私の番っすね」

「え?」


 陽斗が澪を見た時には、既に彼女は振りかぶっていた。


「ちょ、待っ! うわっ」


 陽斗はいきなりのことに、顔を腕で庇って目を瞑ってしまう。


「じょーだんっすよ、陽斗様。こっち見るっす」


 恐る恐るまぶたを上げると、澪の拳は陽斗から僅か数cmのところでピタリと止まっている。


「うわっ」


 陽斗はビクリとして後ずさる。


「分かったっすか?」

「……澪が強いってことがか?」


 陽斗は幼馴染の女の子に醜態を晒してしまったことに、不満顔で唇を尖らせた。


「違うっすよ。攻撃は例え訓練をしなくとも誰にでもできるっす。陽斗様が私にパンチを打ったように。でも防御は訓練しないと出来ないんすよ」

「なるほど……でも俺だって来ると分かってたら……」

「敵がこれから攻撃しますと合図をくれるとでも?」

「うっ」


 澪の言葉は正論だ。

 澪は陽斗の足元に転がる木刀を指した。


「勘違いしないで欲しいんすけど、陽斗様は武器を持って戦うっす。その場合は実は躱した方がいい事の方が多いっす」

「じゃあ」

「甘いっす」


 澪の強い口調に陽斗は息を呑んだ。

 陽斗の安全ひいては生存率を上げる事に繋がるからか、訓練時の澪は陽斗に厳しい。


「いつでも武器を持っているとは限らないっすし、出来ないのと出来るのにやらないでは大きく違うっす」


 澪は陽斗に防御技の利点を滔々と語る。


「ターン制のゲームのように、攻撃と防御を一回ずつ行って交代……なんてことは実際の戦闘では起こらないっす」

「そう……だな」

「最初に攻撃した側が例え相手に当てなくても、大きく相手に隙を作ったとなれば、続けて攻撃しないのは非合理ってなもんす。そして防戦一方なんて言葉があるくらいっすから、ここから防御側が攻撃に転じるのはなかなか難しいっす」

「……それで武器での戦いは躱した方がいいってことなんだな」

「飲み込みがいいっすね。そのイメージ力は大事っすよ」


 澪は嬉しそうにうんうんと頷く。


「攻撃も防御も結局は戦いの中の手番の一つっす。あ、ここでの手番ってのはターンのことじゃなくて、攻撃ないし防御で取りうる行動のことっすからね」

「分かってる」

「で、防御側が攻撃に転じるにはどうすればいいかって話っす。陽斗様、分かるっすか?」


 陽斗はしばし考えた上で、答えを出す。


「……一つの手番で防御と攻撃を同時に行えばいい? つまり防御と攻撃を一体化させた技がある……?」

「100点っすね」

「修行始めてから初めて手放しで褒めてくれたな」

「えっ?! 私そんなに厳しくしてたっすか?!」


 どうやら自覚がないらしい。


(性格変わってたもんな……)


 陽斗の無言をどう受け止めたのか、澪は急にオロオロしだした。

 そして目尻に涙を溜め、上目遣いに陽斗を見上げた。


「……私の事嫌いになったっすか?」


 陽斗は苦笑し、澪の頭をポンポンと撫でた。


「心配しすぎだ。何年幼馴染やってると思ってんだ。こんなことくらいで澪のことを嫌いになったりする訳がないだろ。それに厳しくして欲しいって言ったのは俺だしな。澪は俺が生き残るために厳しくしてくれてるんだから、これからも変に手心を加えないでくれよ?」

「は、はるひょさまっ」


 澪はボンッと顔を赤らめ、陽斗の手の感触を確かめるように両手を頭の上に載せた。

 陽斗は笑いながらそれを指さし、


「なんだサルのマネか?」

「もう! からかわないで欲しいっす!」


 澪がポコポコと可愛らしく叩いてくるが、全く痛くない


「あははっ。悪かったって。……それで、防御の重要性の話だろ? 続きを教えてくれよ、澪」


 陽斗が話題を逸らそうとしているのが、分かったのだろう。澪はぷくっと頬を膨らませた。


「……先生」

「えっ?」

「陽斗様は私の弟子だっていう自覚が足りないっす。もっと敬うっす。修行中は先生と呼ぶっす」

「メイドなのに先生なのか? 上下関係が矛盾してないか?」


 雑談半分に揚げ足を取ると、ギンッと睨みつけられた陽斗は慌てて背筋を正した。


「はい! すいません! 調子乗りました! 澪先生!」


 澪は陽斗の「澪先生」の発言に少し照れた様子を見せた。


「……しょ、しょうがないっすね! 教えてあげるから心して聞くっす。……あ、でもあともう一回言ってくれないとやっぱり教えてあげないっす」

「……澪先生」

「えへへ」

(自分で言わせて、自分で照れてる……)


 陽斗の呆れの視線に気づいた澪は、咳払いで一旦場を仕切りなおした。

 顔つきも真剣なものへと変わり、陽斗も謹聴の心構えを作る。


「……防御技の真髄、それは心を強くすることっす」

「……は?」


 防御と攻撃を一体化させた防御技というのは、つまるところカウンターのことだ。

 それが真剣勝負において、どれだけ重要であるかを説かれると思っていた陽斗が間抜けな声を出した。


「分からないっすか? 守りの技を持っておくというのは、いわば備えっす。備えあれば憂いなし。攻撃されても大丈夫って意識があるのとないのとの差は大きいっす。これはいいっすか? 心構えができていればさっきの私のパンチだって、もっと冷静に受け止められたはずっす」

「ああ」

「それにカウンターっていうのは、ギリギリまで相手の攻撃を引きつけて、なおかつ自分の体でいなさないと意味を成さない技っす。当たることを恐れていては絶対にできないんすよ。つまりカウンターを修得しているというのは、もうそれだけで心が強いってことの証左なんす」

「なるほど……」

「それに――」


 澪は陽斗の手をとって包み込んだ。


「私たちは二人一組っす。仲間が身を守る技を持っていないっていうのは不安じゃないっすか? ……私は不安っす。陽斗様が戦いで傷つくんじゃないかって怖くて怖くてしょうがないっす……それこそ自分の戦いどころじゃないっすよ……」

「澪……」


 そこにいるのは陽斗の師匠でも、武術の達人でもなく、ただ幼馴染を心配する女の子だった。

 よく見ると陽斗の手を握る手が微かに震えている。

 陽斗はもう片方の手で、澪の手に重ねた。


「澪……戦いたいなんて我儘言ってゴメン……でも俺も澪の足手纏いにだけはなりたくなかったんだ。……それで澪に心配かけてたんじゃ世話ないがな」

「陽斗様……」

「……だから俺にもっと色々教えてくれ。身を守る術を、戦いの心構えから全部……二人で生きて地球に帰る為に。……澪先生」


 陽斗が照れながらもそう言い切ると、高ぶった澪が泣きながら陽斗に飛びついてくる。


「ううっ陽斗様あ~! 戦うのはやっぱり危ないっすから陽斗様は何もしなくていいっすよお~!」

「ちょっ! わっ! 抱きつくな! それとさっきと言ってることが違うぞ!」

「陽斗様は私が守るっすからあっ!」

「そういう問題じゃないってさっき自分で言ってただろ!」

「うわーん!」

「ああ、もう! いろいろ台無しだあああああっ!」



   ■



「なんで忘れてたんだろ……」


 陽斗は過去へと飛ばしていた意識を戻し、ポツリと雨音に向かって呟いた。

 いや、陽斗に限って忘れるということはありえない。

 ただ意識にのぼらなかったのだ。


「それとも無自覚に目をそらしていたのか……澪にあれだけ防御の重要性を教えてもらったのに」


 陽斗は初めてウルフを殺した時から、これまで防御というのを全くしなかった。

 せいぜいが躱す程度。いつも攻めて攻めて攻めての一辺倒。

 これは比喩ではなく、本当に一回も使わなかったのだ。陽斗の記憶力がそれを教えてくれる。


「なんで……」


 モンスターの恐怖に心が麻痺していた。澪やソフィーが守ってくれることに甘えていたなど、言い訳はいくらでもできる。

 だが陽斗は己を許せそうになかった。

 何よりも許せないのは、知らずに仲間を危険に晒していたこと。


 一人が防御の意識に薄いと、それだけで仲間にその負担を押し付けることになるのは明白だ。

 油断した仲間を庇って、怪我をしたり死んだりなんていうのは物語でもありふれている。


「くそっ……何が澪を守れるくらいに強くなるだよ……自分の身ひとつ自分で守れない奴が何言ってんだよっ。バカか俺は……」


 陽斗が重い後悔と共にそう吐き捨てると、コンコンとドアがノックされた。


「ミオー? ハルトー? アタシよソフィー」

「…………」


 あまり人と会いたい気分ではなかったが、陽斗一人の感傷で無碍に仲間を追い出すことも出来ない。

 陽斗がドアを開けると、やはり明るい笑顔があった。


「あれ? ミオは?」


 立ち話も何だということで陽斗はとりあえず部屋に招き入れると、ソフィーが訊ねた。


「学院の図書館」

「ああ、そういえば学院に元々行ったのは、図書館での調べ物が目的だったわね。……じゃあなんでハルトがいるのよ。手伝いに行かなかったの? それともやっぱり具合悪いの?」

「だから違うって言ってるだろ……俺も最初は一緒に行こうとしたさ。そしたら何か他にも用事があるからって断られた」

「用事ねえ……」

「なんだよ。お前こそ何の用だよ」

「アタシは別に。暇だから遊びに来たのよ」


 ソフィーがそう言うと、二人の間にしばし無言の間が流れた。

 陽斗はソフィーを見た。

 相変わらずの美貌だが、その首筋にうっすらと汗が流れていた。


「……なによ」

「……訓練してたのか?」

「えっうそ? 汗臭かった? <清潔>の魔法かけたんだけど」


 ソフィーは腕を寄せて、自らの匂いを嗅ぐ。

 <清潔>の魔法は、掛けた時点の汚れを落とす魔法だ。汗や匂いも消し去ってくれるが、火照った身体まで冷ましてくれる訳ではない。

 魔法の後にかいた汗を陽斗は見つけたのだ。


「いや、そういう訳じゃない」


 陽斗は内心で「こいつホットミルクみたいないい匂いするんだよな」とベッドが一緒になった時に考えたことを思い出してしまったが、そんなことをおくびにでも出せば陽斗は殺されるだろう。


「じゃあ何よ」

「なあソフィー――」


 ソフィーに、今までの自分の防御の自覚に薄い戦い方で迷惑を掛けていたことを謝ろう。

 そして次から一緒に練習に参加してもいいかと陽斗が許可を求めようとした時、バンと勢い良くドアが開いた。


「陽斗様見つけたかもしれないっすよ! 元の世界に帰る為の手掛かり! 今夜虹宮に忍びこむっすよ! ……あっ!」


 最後の驚嘆は澪がソフィーの存在に気付いた声だ。

 この時不幸だったのは、澪が最近使うことに違和感を覚えなくなってきた異世界の言語を使用してしまっていたことだろう。


「……元の、世界?」


 その単語がバッチリソフィーの耳に届いてしまっていた。

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