第54話「曇天 ――違和感――」
体験入学から二日が経った朝。
ベッドの上で深く沈んでいたソフィーの意識がなだらかに浮上してくる。
「んぅ……」
一つ寝返りを打つと、薄い掛け布団の中で自分の体の感触を確かめるようにもぞもぞと動いた。
しばらく身体を伸ばしたり丸めたりしてから、やがて目を開けた。
「……朝」
ソフィーは広がる髪に気を付けながら、怠惰そうに何も身に着けていない上半身を起こす。
くっと伸びをすると、彼女の双丘が強調された。
涙が溜まった目尻をこすりながら雨戸が閉められた窓に顔を向け、ポツリと漏らす。
「……雨、止んだかしら」
体験入学の翌日は雨だった。
オクラの糸を引いたような粘ついた雨で、ソフィーはやけに肌寒く感じたのを覚えている。
ソフィーはベッドを抜け出してシャツを羽織ると、部屋の窓を空けた。
雨上がり特有の、地面から立ち上る湿った空気が彼女の鼻腔を通り抜ける。
「ふぅー。いまいちね……まあ降ってないだけマシかしら」
見上げた空は灰色で、夏の青空を覗かせてはくれない。
「天気ばっかりは仕方ないわね……」
ふと水を自在に操る少女を思い出す。
(ミオならもしかして、雨を降らすのも止ませるのも自由自在なのかしら)
ソフィーはありえそうな気がして表情が弾けた。
ひとしきり声を押し殺しながら笑うと、窓を閉める。
「そろそろ着替えなきゃね」
朝食の時間まであと少し。
隣の部屋で陽斗と澪も起き出している頃だろうと当たりをつけると、ソフィーは壁に掛けてある冒険者装備一式に手を伸ばした。
「ふんふふーん」
天気とは裏腹に、明るい音色を刻む鼻歌を歌いながら考えるのは一昨日の試合のことだ。
(あの女子リーグ戦。ミオの戦績は1勝0敗12引き分け)
その1勝とはもちろんソフィーが相手だ。
ソフィーはそれを、澪に「勝敗をつけるのに相応しい力量を示せた」のだと考えている。
(ミオも言ってたけど、強くなっているわよね。アタシ)
確かに澪はあの時本気ではなかったのかもしれない。
しかしドラゴンのブレスをも防ぐ澪の強さは隔絶している。
それを十分承知しているソフィーは、澪に侮られたなどとは思っていない。
(でもいつか並んで追い越して、一昨日の借りは返さなきゃね)
このまま負けっぱなしで納得するソフィーでもなかった。
その為には――
「地道にでも一歩ずつよね。まずは今日のクエストを完璧に終えてみせるわ!」
ソフィーはやる気に満ちた表情で今日の目標を定めつつ、手早く準備を進める。
最後にニーハイソックスを短いスカートの下に穿いたハーフパンツに吊って、ブーツに足を通して完了だ。
「さて、今日からまた冒険者生活ね!」
ドアノブに手をかけると、腰の剣を揺らして一歩を踏み出した。
■
受けたクエストは勿論討伐系だが、対象は初めて対峙するモンスターだ。
手足を生やしたオタマジャクシのようなモンスターで、雨天時や雨上がりの後によく姿を見せる。
名前は「ヨツアシオタマ」で陸でも活動できるのが特徴だ。
ソフィーたちのノルマは15匹。既に9匹を倒し終わっている。
残りを探しまわっていると、遠くに6匹の群れを見つけた。
「ようやくこの泥から上がれるわね。数もちょうど15体になるし、今日はもうノルマ超えは狙わなくていいわよね?」
「そうっすね~」
そう言う澪も喜色を浮かべていた。
雨上がりでぬかるんだ地面を歩いて汚れるのは、もううんざりといった様子である。
「……いつも通り、俺が前衛でいいな」
陽斗は怖いくらいの真剣な顔つきで、会話にも加わらず先頭を歩いて行ってしまう。
澪が心配げにチラチラとそんな陽斗を見ていた。
「どうしたのアイツ?」
「なんか一昨日帰ってきた時くらいから、ずっとあんな調子なんす。理由も話してくれないし……」
ソフィーが陽斗に訊ねる間もなく、三人は戦闘態勢に入る。
「来るわよ! 最後だからって気を抜かないでよ!」
「ああ……」
「?」
ソフィーは陽斗の返答に違和感を覚えるも、それが形になる前にモンスターとの接敵距離に否が応でも現実に引き戻された。
四体のヨツアシオタマは泥の上澄みに浮かぶ僅かな水を、まるで水上スキーのようにサーッと滑るように迫ってくる。
「<水流操作>!」
澪が唱えた魔法は、周囲の泥水をモーゼのように割り、ヨツアシオタマの進路上から水分を根こそぎ奪う。
滑水ができなくったヨツアシオタマたちは機動力を奪われ、陽斗とソフィーの前で止まった。
「……ッ」
「ハアァッ!」
前衛二人が良い的とばかりに動きが鈍くなった四体を順次屠っていく。
残りの数も二体となり、あと一息というところで事件が起こった。
「あと二体……ッ」
陽斗がソフィーの準備を確認もせずに、泥を跳ねさせながら駆けて行く。
「一人で行っちゃダメ! 待ちなさい!」
慌ててその後を追うソフィー。
早く終わらせたいという女子陣の話を聞いて、それを叶えようとでもしたのか陽斗が二体同時に仕掛けた。
陽斗が袈裟懸けに振りかぶる。一度で仕留めようとでもしたのか普段の彼と比べても、大きすぎる動きだった。
一体は動く間も与えず屠ることが出来た。
しかしヨツアシオタマもただ見ているばかりではない。その大振りのせいで、もう一体には行動する時間を与えてしまったのだ。
「ハルト!」
攻撃中の陽斗の回避や防御は間に合いそうにない。
間一髪で追いついたソフィーが陽斗を突き飛ばし、モンスターの前に出た。平素の陽斗をフォローする役割が咄嗟に身体を動かした。
ソフィーは剣でモンスターの突進をガードしようとしたが、オタマジャクシはヌルリと剣を滑ってソフィーに体当たりを決める。
「キャッ!」
ソフィーの上に馬乗りになったヨツアシオタマは、追撃をかけようと水掻きのついた手を光らせた。
ヨツアシオタマの必殺技――往復ビンタだ。
ソフィーが倒れこんだのはぬかるんだ土の上だった。半ば身体が泥に嵌り込んでしまい、防ごうにもすぐには動けない状態である。
「くっ……」
ソフィーは助けを求めるつもりで、陽斗に目線を送ったが、何故か陽斗は棒立ちになったまま動かない。
ここは喰らうしかないかと思った時、氷の弾が飛んできて、モンスターを弾き飛ばした。
「ソフィー、大丈夫っすか?」
澪が駆け寄って、泥の中から助け起こしてくれる。
「ありがとう、ミオ……ちょっとハルト! 何で……ハルト?」
すぐに助けてくれなかった陽斗に、文句の一つでも言ってやろうと開いた口が止まる。
陽斗が顔を汗でびっしょりと濡らし、息を荒くして目をこれでもかと見開いていたからだ。
ソフィーを見ているようで、その実焦点は合っていないかのように、黒い瞳が揺れている。
「アンタ今日なんか変よ? 足場が悪いにしても、動きが硬かったし、判断も拙速だったわ。まるでモンスターと戦うのを恐れる初心者みたいな……具合でも悪いの?」
「陽斗様? そうなんすか?」
「い、いや……」
はっと我に返った様子で、陽斗は首を振った。
「顔真っ青よ? 風邪のひき始めかも」
ソフィーが額に手を当てる為に陽斗に近寄ろうとすると、僅かに脇腹に痛みが走る。
「イテテ……」
すると慌てた様子で陽斗が駆け寄ってきて、ソフィーの体を支えた。
「大丈夫か?! さっきのモンスターにやられたところか?!」
「ちょっと。大げさよ。ただの打ち身。しばらくしたら治るわ」
「いや俺のせいだ。すまん……澪、頼めるか?」
「分かったっす。……〈治癒〉」
「ありがとミオ」ソフィーが陽斗に向き直る。「アンタも具合悪いならミオに見てもらったら?」
「いや俺は大丈夫だから……ソフィー」
陽斗は「本当に済まない」と言って頭を下げる。
「…………」
ソフィーは顔を顰めて、陽斗の違和感の正体を悟る。
陽斗はフォローされた時、いつもは謝罪ではなく笑って礼を口にしていた。
ソフィーはモヤッとした感情を抱いた。




