第48話「賭け ――三限目――」
三限目。
(やべ……何言ってるか全く分からねー……)
「ふぁ……」
陽斗はあくびを噛み締め、目尻に溜まった水分を拭いながら、口頭での説明を続ける教師に目を向ける。
今は『魔導陣学』という科目の授業なのだが、当然今日が一回目の授業という訳ではない。
中等学院で習う基礎があれば、ある程度理解もできようが、陽斗にはそれもない。
ちなみに人が筆記具を用いて描いた図形を『魔導陣』と言い、全てのにではないが位階魔法の発動時に現れるのが『魔法陣』だ。
人工的なものには『魔導』の言葉が用いられる。
「ふぁあ……あふ……」
貸し与えられた教科書をパラパラとめくった後、陽斗は我慢できずに机に突っ伏した。
――――…………。
「――……ルト。ハルト!」
「んぅ……何だよ、ソフィー」
ソフィーは無言で前を指差す。
「ん? ……げっ」
前方では、イライラした様子で神経質そうに腕を組む教師が陽斗を睨んでいた。
「アハハ……何? 今どんな状況?」
陽斗は愛想笑いを浮かべると、小声で隣りに座るソフィーに訊ねる。
「居眠りを注意したけど、アンタがなかなか起きないから怒ってるみたいね」
他人事のように語るソフィーに何か言おうとした口が開ききる前に、教師から言葉が発せられた。
「さすが学院長のお計らいで招かれただけのことはあるようですね。どうやら私の授業は君には必要ないとお見受けする」
「めちゃくちゃ怒ってるーッ?!」
陽斗は小さな声で叫ぶという器用な技を披露した。
「しかし私も教師だ。無試験で生徒に授業不要の評価を授けることはできん。一つ教科書から問題を出すとしよう。それに答えられれば、居眠りだろうが教室を出ていこうが構わない」
「うっ、またこのパターン……」
陽斗が既視感に喘いだ時、教室にまたもやあの高笑いが響き渡った。
「オーホッホッホッ! 先生! その生徒に答えられる訳ありませんわ! 中等学院の卒業試験のレベルにも達していないと今朝、証明されたのですから」
「む、そうなのか?」
シャスティナの嫌らしい目つきと、教師の訝しんだ視線が陽斗に突き刺さる。
居眠りしていた陽斗を怒る教師はともかく、シャスティナの勝ち誇った笑みはムカムカしてくる。
(なんとかあいつの鼻を明かせないか……お、そうだ)
陽斗考えを悟られないように平静を装いながら、声を投げかけた。
「おい嫌味女」
「イヤッ……! それはもしかしなくてもワタクシのことかしら?!」
「なんだよ俺に名前で呼ばれたいのかよ」
「ぐぬぬ……しかしもっと他にあるでしょう! ワタクシを称えるような呼び名が!」
「じゃあ学年一位(笑)で」
ひくつきそうになる口端をなんとか抑えて告げると、シャスティナは照れた様子で、
「……ふ、ふん! 判れば宜しいのですわ!」
陽斗はその反応を見て、普段褒められ慣れていないんだろうなあと、少しだけシャスティナを哀れんでしまった。
少女たちがひそひそと言葉を交わす。
「……ねえ、ハルトは絶対褒めてないわよね」
「ええ、たぶんカッコワライが付いてるっすね。私、ちょっとだけシャスティナさんが可哀想に見えてきたっす」
「カッコワライ?」
しかしだからと言って、ここで引けない。
陽斗は意識して、相手を小馬鹿にしたような顔を作った。
「お前ができないからって俺までできないって決めつけるのは止めろよ」
「……は?」
「聞こえなかったのか? お前は今から出題される問に答えられないかもしれないが、俺は答えられるっつってんだよ」
そこまで言われては、シャスティナもいつまでも悄然とはしていられない。
「ふざけないでくださいまし! 今朝の問題に答えられなかった無知なおサルさんが、高等科1年の範囲を答えられるはずがないでしょう!」
「答えられるって」陽斗は何の気もないようにさらりと本命を口にする。「何なら不正解だったら、謝罪して即刻この学校を出て行ってもいい。お前の望むところだろ?」
シャスティナは陽斗の言葉の意味が頭に染みこんでくると、大きく高笑いを教室中に響き渡らせた。
「今朝、馬鹿にされたのがよほど悔しかったのか知りませんけど、口を滑らせましたわねえ! ええ、ええ! 答えられなかったら出て行ってもらいましょう!」
陽斗は肩を竦めた。
「ああ、そのかわりもし正解だったら俺たちに昼飯奢れよ」
「いいでしょういいでしょう! その可能性は万が一もありませんけどねえ!」
シャスティナは「ただし!」と言って、陽斗に鋭い視線を送った。
陽斗が内心で「かかった」と思っているとも知らずに。
「私は昼食の代金がかかっているのに対して、あなたは謝るだけ。少々不公平ではありませんこと?」
「……何が望みだ?」
「もし答えられなかったら、ワタクシの靴を舐めなさい」
「ちょっ……!」
「いい、ソフィー。いいぜ、答えられなかったら靴だろうがどこだろうが舐めてやるよ」
「く、靴だけでいいんですのよ!」シャスティナが何を想像したのか顔を赤らめる。「……勝ち目のない勝負を持ちかけるなんて随分とお間抜けなことをしましたわね! 後悔なさい! ……先生、出題を!」
「……生徒同士の賭け事など、本来なら教師である私が止めねばならないのだろうが……いいだろう。では出題だ。
『魔導陣の意義と書き方の注意点を述べ、光属性第8位階魔法〈光の護封〉の魔導陣を記し、魔導陣学の今後の課題について論じよ』」
ざわりと教室が震えた。
教師はそのざわめきを心地よく聞く。
このクラスの生徒がよく予習していることが実感できたからだ。
これは教科書の全範囲に渡った問いである。
生徒たちが教科書に一通り目を通していなければ、このざわめきはなかっただろう。
シャスティナは確信を深めた。
(居眠りする前に教科書をめくっていたようですが、もしかしたら今日の範囲を暗記したのかもしれませんわね。先生も今日の講義の部分から問題を出すと、そう読んだのでしょう? しかし先生はこう仰っていましたわ。『無試験で生徒に授業不要の評価を授けることはできん』と。つまり一年を通した期末試験に匹敵する問が出される確率が高かった。そしてワタクシはその賭けに勝った! 甘かったですわね! これでワタクシの勝ちは決まったも同然! さあ、ワタクシの下で跪き――)
陽斗が口を開く。
(――その口で無様に許しを請うて、この学院を出て行きなさい!)
シャスティナは勝利を疑っていなかった。
当然だろう。この問に中等学院にも通っておらず、学のない陽斗が答えられる訳がない。
そう――ついさっき彼に貸し与えられたばかりの教科書を、まるごと暗記してでもいない限りは。
「オーホッ――」
「魔導陣の意義は『詠唱に魔力を載せることが出来ない者に魔法の恩恵を与えること。そして同一魔法の反復発動における手続きの省略』である。~(中略)~
魔導陣を描く際にはその道具もまた重要である。まず筆記具として製造された物でなければならず、道端に落ちている石で引っ掻いた魔導陣では最大効果を引き起こせない」
陽斗がシャスティナの様子を窺うと、口をポカンと開けていた。
視線が合うと、陽斗はニャァと意地の悪い笑みを浮かべる。
「なっ!」
陽斗の回答は続く。
「色もまた重要である。属性に対応した色で描くことが望ましい。魔導陣の外側は必ず円形でなければならない。何故なら~(中略)~。
魔導陣学の課題については大きなもので3つあり、一つは属性魔力を持たない者でも~(中略)~。3つ目は魔法の威力増大の為の魔導陣の開発である」
先程とは違う意味で教室がざわめく。
そして陽斗はおもむろに前に出て、魔導陣を書き始めた。
黒板やチョークといった上等なものはない。羊皮紙に羽ペンだ。
それを見て、教師は唇を震わせた。
「せ、正解だ」
「あ、ありえませんわ……」
シャスティナの笑みにヒビが入り、愕然とした表情で陽斗を見つめる。
陽斗はその表情を見て、馬鹿にされた事への復讐心を満足させた。
「昼飯6人前、忘れるなよ」
陽斗がビシっとシャノンを指を差して決める。
教室が静寂に包まれた。
シャノンがやわらかなほほ笑みと共に、パチパチと手を叩き始める。
それを皮切りに教室が拍手のうねりに飲み込まれた。
「いやーどうもどうも」
陽斗は後頭部を触りながら着席する。
「さっきアタシのことを笑ったしっぺ返しを喰らうと思ったのに」
味方の勝利だというのに、何故かソフィーは不満顔だった。
「いやでも凄いよ。僕もまさか答えられるとは思わなかったなあ」
「陽斗様は一度見たものは絶対に忘れないんすよ」
「まあ」
シャノンが驚いたように手を口に当てる。
「何だ覚えたことを話しただけだったんじゃない。記憶力だけはいいみたいね。記憶力だけは」
「だけって何だよ、だけって! まるで俺が考えるのが苦手なバカみたいじゃないか」
「あら、その通りでしょ? 考えるのが苦手だから居眠りして当てられた訳だし」
「う……」
図星だった陽斗は答えに窮す。
笑いに包まれた一同を、シャスティナが悔しげな歯ぎしりと共に眺めていた。




