↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘の向こう側  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/590

第九章 見えているもの

 地上へ出る階段を上がり切ったところで、透は足を止めた。


 夜の空気は冷たかった。


 南区の外側から見る居住区は、いつもと何も変わらない。


 建物の窓には明かりがある。


 中央通路には巡回車が走っている。


 遠くでは、誰かが笑っている声まで聞こえた。


 世界は正常だった。


 少なくとも、そう見えた。


 透は端末を取り出した。


 通信は戻っている。


 南区へ入る前に送られてきた三つのメッセージも、まだ残っている。


 ――白石を疑う必要はない。


 ――彼は、君を守ろうとしている。


 ――ただし、彼が何から君を守っているのかは、まだ誰にも分からない。


 透は三つ目の文章をもう一度読んだ。


「誰にも分からない……」


 その言葉が引っかかった。


 白石本人にも分からないのか。


 それとも、送信者が分からないだけなのか。


 考えているうちに、端末が震えた。


 今度は匿名ではなかった。


 白石恒一。


 着信だった。


 透はしばらく画面を見つめた。


 出る。


 出ない。


 指が止まる。


 以前なら、迷わなかった。


 しかし今日は違った。


 透は一度深呼吸してから、通話を受けた。


「……もしもし」


『透か』


「はい」


『どこにいる?』


 いつもの声だった。


 落ち着いている。


 怒っている様子もない。


 だからこそ、透は答えに迷った。


「……南区の近くです」


 少し沈黙があった。


『そうか』


 それだけだった。


 透は拍子抜けした。


「怒らないんですか?」


『怒る理由はある』


「じゃあ……」


『だが、今は怒っている場合じゃない』


 透は黙った。


「白石さん」


『何だ?』


「南区第七居住棟って、何なんですか?」


 電話の向こうで、呼吸の音が聞こえた。


 数秒。


 それから白石が答えた。


『古い施設だ』


「それだけですか?」


『それ以上、私にも分からない』


 透は目を閉じた。


 その答えを聞いて、安心したのか。


 それとも、不安になったのか。


 自分でも分からなかった。


「じゃあ、どうして僕が南区に行くことを知っていたんですか?」


 沈黙。


 今度は、少し長かった。


『……誰かから聞いた』


「誰ですか?」


『分からない』


「分からない?」


『匿名の連絡だった』


 透は黙った。


 自分に届いた匿名メッセージ。


 白石にも匿名の連絡。


 同じ人物なのか。


 それとも、別々の人間なのか。


 分からない。


 白石が続けた。


『透。ここから先は、私の言うことをそのまま信じなくていい』


 透は目を開いた。


「……え?」


『自分で確かめろ』


 その言葉を聞いた瞬間、透は胸の奥に妙な違和感を覚えた。


 白石は昔から言っていた。


 何も考えなくていい。


 私を信じればいい。


 危険な場所へ行くな。


 今まで、それが透を守ってくれた。


 なのに今。


 白石自身が、


 自分を信じなくていい


 と言っている。


「白石さんは……僕に何を隠してるんですか?」


 電話の向こうで、白石が息を吐いた。


『たくさんある』


 透は言葉を失った。


 否定しなかった。


 言い訳もしなかった。


 ただ、そう答えた。


『だが、一つだけ覚えておいてほしい』


「何ですか?」


『私が隠していることと、私が嘘をついていることは、同じじゃない』


 透は黙った。


 その言葉は、妙に残った。


 隠すこと。


 嘘をつくこと。


 似ているようで、違う。


 けれど――


 隠された情報を受け取る側からすれば、その違いをどうやって判断すればいいのか。


「……僕には、分かりません」


『そうだろうな』


 白石の声は静かだった。


『だから、自分で決めろ』


 通話が切れた。


 透は端末を下ろした。


 しばらく、その場に立っていた。


 遠くで巡回車が通り過ぎる。


 いつもの放送が流れる。


『本日の居住区内の稼働状況は正常です』


 正常。


 透はその言葉を聞きながら、南区の方を振り返った。


 閉鎖された場所。


 存在しないはずの建物。


 登録されていない人間。


 消える記録。


 そして、自分に届く匿名の情報。


 何が本当なのか。


 何が嘘なのか。


 まだ分からない。


 ただ一つだけ。


 透は初めて気づいた。


 嘘というものは、必ずしも嘘そのものとして現れるわけではない。


 誰かが黙っているだけかもしれない。


 誰かが知らないだけかもしれない。


 誰かが間違えているだけかもしれない。


 そして、その全部が重なった結果――


 誰も嘘をついていないのに、


 誰も本当のことを知らない世界ができることもある。


 透は端末をポケットにしまった。


 居住区へ向かって歩き始める。


 だが、その途中で一度だけ振り返った。


 南区の暗闇の中に、あの弱い照明がまだ見えていた。


 消えなかった。


 まるで誰かが、


 そこにいることだけを伝えようとしているようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。