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嘘の向こう側  作者: 亀


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第八十七章 参照理由

透は「参照理由詳細」を開いた。


画面が一度だけ読み込みを繰り返した。


表示されたのは、短い一文だった。


「旧業務名称の継続使用確認。」


女が読んだ。


「名前を残すための確認」


「うん」


「担当者交代の前に?」


「そう書いてある」


透は記録の日時を確認した。


兄が南区へ入る前日。


その日の午前。


「業務引継ぎ確認」


その日の午後。


「旧業務名称の継続使用確認」


そして翌日。


「処理継続可否」


さらにその翌日。


「処理結果確認」。


女は画面を見たまま言った。


「順番がある」


透も同じことを考えていた。


最初に、引継ぎを確認する。


次に、名称をそのまま使うことを確認する。


その後、処理を継続する。


最後に、結果を確認する。


「つまり、南区へ入った日に突然始まった仕事じゃない」


女が言った。


「うん」


「前の日から準備されていた」


「記録上は、そう見える」


「じゃあ、兄が南区へ入ったこととは別に、業務そのものが動いていた」


透は頷いた。


それは、これまでより大きな違いだった。


兄が南区へ入った。


その日にN―07が処理された。


その二つだけを見れば、兄の行動と業務の処理を結びつけたくなる。


しかし、業務側の記録を見ると、その前日から処理の準備が始まっている。


兄が南区へ行ったから始まったのか。


もともと始まっていた仕事と、兄の行動が同じ日に重なったのか。


まだ分からない。


女は画面をスクロールした。


「参照対象、もう一つある」


「どれ?」


「旧名称一覧」


透は開いた。


そこには複数の名称が並んでいた。


現在名称。


旧名称。


使用開始日。


使用終了日。


継続使用。


そして、一つだけ備考が付いている。


「旧名称は担当者変更後も変更しない。」


女が言った。


「また同じ」


「うん」


透は、その行を拡大した。


「担当者変更後も変更しない」


この言葉だけなら、以前から何度も見てきた。


だが、今回はその前後関係が少し違った。


名称を変更しない。


だから、外から見れば同じ名前が残る。


担当者は変わる。


管理系統も変わる。


処理方法も変わる。


それでも名称だけは残る。


透は言った。


「これなら、あの二つの名前も説明できるかもしれない」


女が顔を上げた。


「二つの名前?」


「前に見つけた紙」


N―07の横に書かれていた二つの名前。


一つは個人名のように見えた。


もう一つは別の名前だった。


当時は、その二人が同じ人物なのか、別人なのか、それとも一人が二つの名前を使っていたのか分からなかった。


しかし今なら、別の可能性もある。


「二つとも人の名前じゃなかった可能性」


女は少し考えた。


「どちらも業務上の名称?」


「あるいは、一つが担当者名で、もう一つが窓口名」


「それなら、同じ紙に二つ書かれていてもおかしくない」


「うん」


ただし、まだ仮説だった。


透はそこに線を引かなかった。


「この名称継続記録から、二つの名前を直接つなげることはできない」


「分かってる」


女はそう言って、別の画面を開いた。


「でも、調べる方法はある」


「何?」


「名称変更履歴」


透は少し驚いた。


「そんなものがある?」


「ある」


女が検索した。


旧名称。


新名称。


変更理由。


変更日。


検索結果が出た。


しかし、そこには「名称変更履歴」だけではなく、


「名称使用区分変更履歴」


という項目もあった。


女がそれを開いた。


最初に出たのは、


「個人名称」


次に、


「業務名称」


そして、


「窓口名称」


「三つある」


透は画面を見た。


「同じ文字列でも、区分が違う」


「うん」


「だから、名前だけを検索すると、全部一緒に出てくる」


「そういうこと」


透は少し黙った。


「兄が『名前を追うな』と言った理由も、こういうところにあるのかもしれない」


女は答えなかった。


しばらくして、


「でも、兄がこの仕組みを知っていたとも限らない」


と言った。


透は頷いた。


「そうだね」


それは重要だった。


兄が残した言葉が、現在見つかっている制度や記録の仕組みと似ている。


それだけで、兄がこの仕組みを完全に理解していたことにはならない。


人は、自分が見た範囲から言葉を残す。


後から別の人が、その言葉に意味を足してしまうこともある。


透は画面を見ながら言った。


「兄の言葉も、記録と同じように扱った方がいいのかもしれない」


「どういう意味?」


「兄が言ったことは、兄がそう言ったという事実」


「うん」


「でも、その言葉が何を指していたかは、別に確認する」


女はしばらく黙っていた。


「言葉も記録だから?」


「たぶん」


「また、たぶん」


透は笑った。


「でも、少なくとも今はそう考えた方がいい」


女も少しだけ笑った。


画面に戻る。


名称使用区分変更履歴。


一件の記録が表示された。


変更前――個人名称。


変更後――業務名称。


変更日――かなり前。


理由――運用変更。


透は目を止めた。


「個人名称から業務名称へ?」


「そう」


「これ、かなり重要じゃない?」


「重要かもしれない」


「でも、名前は?」


「非表示」


「またか」


女は肩をすくめた。


「名前が見えないなら、結局そこから人には戻れない」


透は頷いた。


「でも、名前の種類は変わっている」


個人名称。


業務名称。


同じ文字列が、別の意味で使われる可能性がある。


透はその履歴を保存した。


その直後、画面の下に小さな注意書きが出た。


「名称区分変更後も、旧名称を参照する処理が存在する場合、旧表記を継続表示する。」


女が読んだ。


「旧表記を継続表示」


「つまり……」


透は言葉を選んだ。


「今見ている名前が、現在の名称とは限らない」


「古い名前が、そのまま表示されている可能性がある」


「うん」


「じゃあ、名前を見つけても、その名前がいつのものなのか確認しないといけない」


透は頷いた。


これまで何度も「名前が残っている」と考えてきた。


しかし、本当に残っていたのは、人ではなく表記なのかもしれない。


人が変わっても。


役割が変わっても。


業務が移管されても。


古い表記だけが残る。


そして、後からその記録を見た人間は、同じ名前を見てしまう。


同じ人だと思う。


透は小さく呟いた。


「名前が残ることと、人が残ることは違う」


女が頷いた。


「そして、名前が変わることと、人が変わることも違う」


透はその言葉を聞いて、メモに一行追加した。


「名称の継続と、人の継続を分ける。」


そのときだった。


女が画面の端を指した。


「これ、見て」


「何?」


「参照理由詳細の下」


そこには、先ほどまで表示されていなかった項目があった。


「前回参照理由」


透が開く。


一件だけだった。


「名称と担当者情報の不一致確認。」


透は止まった。


女も動かなかった。


名称。


担当者情報。


不一致。


しかも、それが今回の「名称継続使用確認」の前回理由になっている。


透はゆっくり言った。


「名前と担当者が一致していなかった」


「そう読める」


「だから、名前を変えなかった」


「それは、まだ分からない」


「うん」


女は画面を見た。


「でも、少なくとも、この記録では名前と担当者情報を別々に扱っている」


透は頷いた。


そして、その下にもう一つだけ項目を見つけた。


「不一致内容――非表示」


また空欄だった。


しかし今回は、透は空欄を見てすぐに諦めなかった。


「非表示の理由を見よう」


女が頷く。


二人は「表示制限情報」を開いた。


そこに書かれていた。


「個人情報保護のため、担当者個人を特定可能な情報は非表示。」


透は画面を見つめた。


担当者個人。


つまり、ここには少なくとも個人を特定できる情報が存在している。


ただし、今の権限では見えない。


「人がいる」


女が言った。


「うん」


「今度は、記録の中に人がいることは確認できる」


透は頷いた。


「でも、誰かは分からない」


「そう」


そして二人は初めて、


「人が存在しない」のではなく、


「人が記録上は切り離されている」


という可能性を、同じ意味としてではなく、別の問題として考え始めた。


画面には最後に一行だけ残っていた。


「担当者個人情報の参照には、別権限が必要。」


透はその文章を見た。


別権限。


また別の線が出てきた。


しかし、今度は名前を追う必要はなかった。


必要なのは、その「別権限」がどの記録系統に属しているのかだった。


透は検索欄に、


「担当者個人情報――参照権限」


と入力した。


検索結果が表示される。


その中に、一つだけ見覚えのない管理区分があった。


「J―3」


透は画面を見つめた。


女も、その文字を見た。


「新しい番号」


「うん」


「今度は、何の線?」


透はすぐには答えなかった。


ただ、検索結果の説明欄に書かれた短い言葉を読んだ。


「担当者個人情報――別管理。」


また「別管理」だった。

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