第八十四章 継続されたもの
画面の下には、三回目の参照記録が残っていた。
参照日時――南区へ入った日。
参照対象――N―07。
参照者コード――M―2―A。
確認目的――処理継続可否。
そして、その下に一つだけ空欄ではない項目があった。
「継続対象区分――旧業務」
透は、その文字を見た。
「旧業務……」
女が繰り返した。
「人じゃない」
「うん」
「場所でもない」
「うん」
透は画面を拡大した。
さらに下には、
「旧業務コード――N―07」
「移管先――C―12」
とある。
女は腕を組んだ。
「つまり、南区に入った日に確認されていたのは、兄の所在じゃなくて、N―07という業務がまだ続いているかどうか」
「この記録だけなら、そう読める」
「でも、兄はその日に南区へ入った」
「それも事実」
二つの事実が、同じ日付の中に並んでいる。
それだけだった。
透は、以前ならそこから一つの物語を作っていたかもしれない。
兄がN―07を追っていた。
N―07が南区に関係していた。
だから兄は南区へ行った。
けれど、今はそれを一度止めることができた。
「同じ日だからって、同じ原因とは限らない」
女が言った。
「うん」
「兄が南区に入った理由は、まだ別にあるかもしれない」
「そう」
女は画面を見たまま黙っていた。
やがて、彼女は小さく言った。
「でも、偶然とも決められない」
透は頷いた。
「だから、見る」
次に開いたのは、「継続対象詳細」だった。
項目は少なかった。
対象業務――N―07。
旧処理――所在・照会関連。
新処理――C―12。
継続理由――既存案件の処理継続。
個人情報移管――なし。
担当者情報――別管理。
透は最後の項目を見た。
「担当者情報、別管理」
女が言う。
「また別管理」
「うん」
「つまり、ここを見ても担当者は分からない」
「そう」
透は画面を下へ送った。
「担当者情報参照先――権限者管理台帳」
女が顔を上げた。
「権限者管理台帳」
「K―14が出てきたところ」
「そう」
以前見た記録が頭に浮かぶ。
確認者管理区分一覧。
現在の名称――権限者管理台帳。
旧権限体系は終了。
K―14。
本人確認。
外部照会。
しかし、K―14そのものが人を意味するとは限らなかった。
透は権限者管理台帳を開いた。
K―14を検索する。
結果は一件だった。
「権限区分――旧照会権限」
「有効期間――旧制度期間」
「現行処理への直接使用――不可」
「参照履歴――あり」
透は画面を見つめた。
「直接使用は不可」
女が言った。
「つまり、今の担当者がK―14を使ったわけじゃない」
「そう」
「じゃあ、M―2―Aも同じ?」
透は一瞬止まった。
「分からない」
「でも、参照者コード管理表には、担当者交代後も処理区分が変わらなければコードを変えないとあった」
「うん」
「じゃあ、M―2―Aも人の名前じゃない」
「可能性は高い」
女は少し考えた。
「K―14も人じゃない。M―2―Aも人じゃない。N―07も人じゃない」
「そうなる」
「じゃあ、今まで私たちが探していた『誰がやったのか』って……」
透は答えなかった。
その問いには、まだ答えがない。
ただ、少なくとも記録の表面に現れるコードの多くは、個人名ではなかった。
役割。
権限。
処理区分。
業務。
参照方式。
それらが一つの記録の中で組み合わされている。
人間が処理しているはずなのに、記録上は人間が消えていく。
透は、その構造に少し奇妙な感覚を覚えた。
「人がいないんじゃない」
女が言った。
「記録に残す必要がないだけかもしれない」
透は顔を上げた。
「それは大事かもしれない」
「何が?」
「人が記録から消えていることと、人が存在しないことは違う」
女は黙った。
「担当者が空欄だからって、誰も処理していないとは言えない」
「うん」
「逆に、コードがあるからって、そのコードの人物を特定できるとも限らない」
女はゆっくり頷いた。
「また、同じこと」
「うん」
「記録と現実を同じものとして見ない」
透はそれを書き留めた。
そのとき、女が別の項目を見つけた。
「これ」
「何?」
「継続理由の詳細」
透は画面を開いた。
そこには一文だけあった。
「旧処理の未完了案件について、移管先にて処理継続する。」
女が読んだ。
「未完了案件」
透は、その言葉を繰り返した。
「南区へ入った日に、N―07の未完了案件が一つ残っていた」
「そう読める」
「でも、何の案件かは書いてない」
「うん」
「人の所在確認だった可能性もある」
「ある」
「会社や業務の照会だった可能性もある」
「ある」
「ただの事務処理だった可能性もある」
「ある」
二人はそこで止まった。
可能性だけが増えていく。
けれど、どれもまだ確認できない。
透は「未完了案件」の詳細を開こうとした。
画面に注意書きが出た。
「詳細情報は、個別案件管理系統にて参照可能。」
女が息を吐いた。
「また別の系統」
透は苦笑した。
「そうみたい」
「個別案件管理系統……」
二人はその名称を検索した。
いくつかの候補が出た。
業務継続管理。
旧照会案件管理。
個別処理履歴。
その中で一つだけ、N―07との関連が記録されていた。
「旧照会案件管理」
透が開く。
検索条件には、
業務コード――N―07。
移管先――C―12。
未完了案件――対象。
と入力されていた。
結果は二件。
一件目――業務照会。
二件目――所在関連照会。
透は画面を見た。
「二つある」
女も見た。
「兄の記録とは、まだ結びつかない」
「うん」
「一件は業務照会。もう一件は所在関連」
「どちらもN―07」
「そう」
透は一件目を開いた。
業務照会。
対象――法人情報。
処理状況――移管済み。
完了日――南区に入った日の翌日。
透は画面を閉じた。
「これは兄とは直接関係なさそう」
「少なくとも、人の所在確認ではない」
「うん」
次に二件目を開く。
所在関連照会。
処理状況――継続。
移管先――C―12。
対象者――別管理。
参照元――旧記録。
透の手が止まった。
女も画面を見ていた。
「対象者、別管理」
「うん」
「名前は?」
透は名前欄を開こうとした。
すると、警告が表示された。
「個人情報保護のため、現行権限では氏名表示不可。」
女は画面を見つめた。
「じゃあ、番号は?」
「対象者識別番号も非表示」
「何も見えない」
「いや」
透は別の欄を見た。
「関連記録番号だけある」
そこには、
「Q―1―117」
と表示されていた。
二人とも、しばらく何も言わなかった。
透はゆっくり画面を見直した。
Q―1―117。
以前見つけた記録。
本人情報の自動照合。
旧参照番号は空欄。
受付経路――既存記録。
処理先――M―2。
そして今。
N―07の未完了案件。
所在関連照会。
対象者は別管理。
関連記録――Q―1―117。
女が先に口を開いた。
「これ……」
透は答えなかった。
「兄の記録なの?」
透は画面を見たまま言った。
「まだ分からない」
「でも、Q―1―117が所在関連照会に使われている」
「うん」
「しかもN―07」
「うん」
「南区に入った日に継続された案件」
「うん」
女は黙った。
透も黙った。
そして、透は一つだけ確認した。
「この記録の『対象者』と、兄が同じ人物だと確認できる項目は?」
女は画面を見た。
何もない。
氏名――非表示。
生年月日――非表示。
登録番号――非表示。
所属――非表示。
残っているのは、
Q―1―117。
それだけだった。
女はしばらくして、静かに言った。
「まだ、名前に戻れない」
透は頷いた。
「だから、次はQ―1―117が、なぜこの案件に関連付けられたのかを見る」
画面の右下に、
「関連付け理由」
という項目があった。
透がそれを開く。
一行だけ表示された。
「既存記録に基づく自動関連付け。」
透はその文章を読んだ。
女も読んだ。
二人の間に、また沈黙が落ちた。
自動関連付け。
誰かが名前を入力したわけではない。
誰かが「この人だ」と記録したわけでもない。
既存の情報をもとに、システムが関連付けた。
では、その「既存記録」とは何なのか。
画面には、まだ一つだけ開いていない項目が残っていた。
「自動関連付け元情報」
透は、その項目に指を置いた。
今度は、すぐには押さなかった。
その先に何があるかは分からない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
ここから先は、人を探すのではなく、
「なぜ二つの記録が同じものとして扱われたのか」
を調べる必要がある。
透は、ゆっくり画面を開いた。




