第八十二章 既存記録
「既存記録……」
透は、その四文字をもう一度読んだ。
紙の上では、それだけだった。
受付区分――業務継続。
受付経路――既存記録。
処理先――M―2。
関連業務コード――N―07。
受付担当――空欄。
女はしばらく黙っていた。
「本人申告じゃない」
「うん」
「少なくとも、この受付記録だけを見るなら」
透は頷いた。
「でも、それだけでは、誰が始めたのかは分からない」
「そう」
女は紙の端を指で押さえた。
「だから、次は『既存記録』が何だったのかを見る」
透は記録の下にある欄を探した。
受付経路の一覧には、窓口、電話、書面、外部連絡、既存記録、その他、と並んでいる。
その横には小さく注意書きがあった。
「既存記録を受付経路として登録した場合、原受付情報は別記録を参照すること」
透は読み終えてから、女を見る。
「別記録」
「うん」
「つまり、これ自体が最初の記録じゃない」
「そういうことになる」
二人はすぐには次の画面を開かなかった。
これまで見てきた記録は、どれも何かの前段階を持っていた。
P―4はM―2へ分かれていた。
M―2はQ―1の確認に使われていた。
N―07は古い系統から新しい系統へ引き継がれていた。
そして今度は、Q―1―117そのものが「既存記録」を入口にしていた。
記録を一つ掘るたびに、最初だと思っていた場所が、ただの途中だったと分かっていく。
透は画面を切り替えた。
「既存記録受付一覧」
その項目があった。
開く。
いくつかの番号が並んでいる。
受付番号。
受付日。
受付区分。
参照元区分。
参照元番号。
処理先。
関連業務コード。
透の指が止まった。
「ここだ」
参照元区分。
参照元番号。
彼はQ―1―117の番号を入力した。
しばらくして、一件だけ表示された。
受付番号――Q―1―117―R。
参照元区分――旧業務記録。
参照元番号――M―2―024。
処理先――M―2。
関連業務コード――N―07。
透は画面を見つめた。
「M―2―024……」
女もその番号を見た。
「移管前確認」
以前見つけたM―2の一覧を思い出す。
M―2―024。
確かに、その説明は「移管前確認」だった。
「じゃあ……」
女が言いかけて止まった。
透は続けなかった。
二人とも、そこから先に何が言えるか分かっていた。
Q―1―117は、本人申告から始まった記録ではない。
その前にM―2―024があった。
そしてM―2―024は、移管前確認だった。
ただし、それだけだ。
「移管前確認が、何を確認したのか」
透が言った。
「そこまでは、まだ分からない」
「うん」
女は頷いた。
「でも、順番は少し見えてきた」
透はメモに書いた。
Q―1―117
↓
既存記録
↓
M―2―024
↓
移管前確認
↓
N―07
↓
C―12
書き終えたところで、透はペンを置いた。
「この線……」
「一本に見える?」
「今は」
女は首を横に振った。
「前にもあったでしょう」
透は黙った。
「線が一本とは限らない」
その言葉は、もう何度も聞いていた。
けれど、今までとは少し意味が違って見えた。
一つの記録から次の記録へ進んでいるように見えても、実際には途中で別の記録を参照しているだけかもしれない。
AがBを作ったとは限らない。
BがAから生まれたとも限らない。
Bを処理するために、Aを参照しただけかもしれない。
透はその違いを、以前より慎重に考えられるようになっていた。
「M―2―024を開こう」
女が言った。
透は番号を選択した。
表示された記録には、最初にこう書かれていた。
処理区分――移管前確認。
対象業務――N―07。
移管元――第七管理系統。
移管先――C―12。
確認項目――業務継続性。
確認結果――完了。
透は一つずつ読んだ。
そして、最後の欄で止まった。
「参照対象……」
女が近づく。
そこには、
「既存業務記録」
と書かれていた。
「番号は?」
「空欄」
透は画面を拡大した。
参照対象――既存業務記録。
参照元番号――記載なし。
「また空欄」
女が言った。
「うん」
「これじゃ、どの記録を見たのか分からない」
「正確には、『どの番号を見たのか』が分からない」
透が訂正した。
女は一瞬だけ透を見た。
「そこ、気にするんだ」
「最近は」
「前なら?」
「番号がないなら、何も分からないと思ってた」
女が少しだけ笑った。
「今は?」
透は画面を見た。
「番号がないこと自体が、記録の仕様かもしれない」
「そう」
「でも、それが何を意味するかは別」
女は頷いた。
「それでいいと思う」
透は画面を閉じなかった。
M―2―024には、もう一つ気になる項目があった。
「確認方式」
そこには、
「既存記録照合」
とだけ書かれていた。
「自動照合じゃない」
女が言った。
「Q―1―117とは違う」
透は頷く。
Q―1―117では、登録番号、氏名表記、生年月日、所属区分が自動的に照合されていた。
しかし、その前段階のM―2―024では、何らかの既存記録を参照したことだけが残されている。
誰が見たのか。
何を見たのか。
どの記録を見たのか。
その詳細は残っていない。
あるいは、別の場所にある。
透はそう考えたところで、手を止めた。
「……別の場所」
女が振り返る。
「どうした?」
「前に見た記録に、似たものがあった」
「どれ?」
「R―3―118」
女の表情が変わった。
二人はすぐにR―3の旧照会記録を開いた。
R―3―118。
照会区分――所在。
回答区分――本人申告。
回答結果――不要。
回答者――空欄。
原記録――別管理。
保存系統――第七管理系統。
透は画面を見ながら、ゆっくり息を吐いた。
「これが参照元だったとは書いてない」
「うん」
「でも、M―2―024と関係する可能性はある」
「可能性だけ」
「うん」
女はR―3―118を写真に撮った。
そして、その下にある「原記録」の項目を開いた。
そこには短い説明があった。
「旧記録参照時、原記録番号を保持しない処理区分あり」
透は眉を寄せた。
「番号を残さない?」
「そういう処理もあるみたい」
「じゃあ、M―2―024に番号がないことは、異常じゃない」
「たぶん」
また「たぶん」だった。
けれど、透はその言葉を嫌ではなくなっていた。
以前なら、たぶんの後に何かを足したくなった。
たぶん、誰かが消した。
たぶん、誰かが隠した。
たぶん、兄が関係している。
たぶん、白石が知っている。
そうやって空白を埋めていた。
今は違った。
空白は空白のまま置いておく。
その代わり、次に確認できるものを探す。
透は画面を戻した。
「M―2―024の受付元を見たい」
「受付元?」
「この処理が、どうして始まったのか」
女は頷いた。
M―2―024の受付記録を開く。
そこには、今までと同じように項目が並んでいた。
受付区分――業務確認。
受付経路――既存業務。
処理先――M―2。
関連業務コード――N―07。
受付担当――空欄。
透は一瞬、何も言わなかった。
そして、その下にある小さな項目を見つけた。
「前処理番号」
そこだけ、表示が違っていた。
空欄ではない。
だが、番号でもなかった。
「移管一覧参照」
女が読んだ。
透はその言葉を何度か繰り返して読んだ。
「前処理番号が、番号じゃない」
「うん」
「移管一覧参照」
「つまり、この処理は別の記録番号を直接引き継いだんじゃない」
女が言った。
「移管一覧そのものを見て始まった」
透は黙っていた。
机の上には、以前見つけた「業務移管一覧」の写しがあった。
旧系統。
新系統。
移管日。
対象業務。
確認方法。
旧記録の扱い。
そして、そこにはN―07があった。
旧系統――第七管理系統。
新系統――C―12。
旧記録の扱い――分離保存。
透は、その紙と画面を交互に見た。
今まで追っていたのは、人ではなかった。
記録でもなかった。
もっと正確に言えば、記録同士をつないでいる「処理の順番」だった。
その順番の中に、人の名前が入ることもある。
入らないこともある。
本人申告という言葉が入ることもある。
しかし、それだけで申告した本人まで特定できるわけではない。
透はメモの最後に一行を書いた。
「受付経路は、申告者を示さない。」
少し考えてから、もう一行を加えた。
「既存記録は、過去の事実を示さない。」
女がそれを読んだ。
「二つ目は、まだ言い切れない」
透はペンを止めた。
「そうだね」
彼は「過去の事実」を消した。
その代わり、
「既存記録は、過去に作られた記録を参照したことを示すだけ」
と書き直した。
女は何も言わなかった。
ただ、少しだけ頷いた。
二人の前には、まだM―2―024の先が残っていた。
そして、その先には移管一覧がある。
移管一覧には、N―07がある。
N―07には、過去の処理がある。
だが、その処理を誰が行ったのかは、まだ空欄のままだった。
透は次の画面を開いた。
「移管一覧の参照履歴」
その項目が表示された。
そして、その中に一件だけ、まだ見ていない記録があった。
参照日時――兄の「所在確認:不要」の三日前。
参照対象――N―07。
参照理由――移管前確認。
参照者――M―2―A。
透は画面を見た。
それから、ゆっくり女の方を向いた。
「ここから先は……」
女も画面を見ていた。
「まだ、兄だとは言えない」
透は頷いた。
「でも、兄の記録と同じ日に近い」
「それも事実」
「だから見る」
女は答えた。
「ただし、同じ人だと思わないまま」
透は画面を開いた。
次の記録が、表示された。




