第七十章 同じ仕事
「同じ人なのか、同じ仕事なのか。」
透は、その言葉をしばらく見ていた。
紙の上では、
二つの記録が近くに並んでいる。
兄の所在確認。
そして、
S―21―014。
どちらも、
所在確認不要。
どちらも、
本人申告。
どちらも、
K―14。
違うのは、
対象者コードだけだった。
「これだけ見ると、
同じ人みたいにも見える」
女が言った。
「でも、
同じ仕事を同じ日に処理しただけかもしれません」
「うん」
「だから、
先に対象者コードの仕組みを調べます」
透は、
S―21―014の資料を開いた。
そこには、
S―系統の説明があった。
S―系統。
所在・連絡関連の簡易処理管理。
ただし、
個人情報そのものは保存しない。
本人識別に必要な情報は、
別管理。
透は、
そこで手を止めた。
「また、
別管理だね」
女が言った。
「はい」
「じゃあ、
S―21―014だけでは、
誰なのか分からない」
「そういう設計です」
「どうして?」
透は、
資料の次のページをめくった。
そこには、
理由が書かれていた。
「処理担当者が、対象者の個人情報を必要以上に閲覧しないため。」
女は、
その文章を読んだ。
「なるほど」
「必要な情報だけを、
必要な人に見せる」
「だから、
コードだけ渡される」
「はい」
透は、
少し考えた。
この仕組みそのものに、
良い悪いを付けることはできない。
情報を分けることで、
不要な閲覧を防げる。
一方で、
後から全体を調べようとすると、
記録が分散している。
その両方がある。
透は、
資料の端に書いた。
分離は、保護にもなる。
同時に、追跡を難しくもする。
女は、
その文字を見てから、
S―21―014を指した。
「じゃあ、
この番号を人に戻すには、
別の記録が必要なんだね」
「はい」
「T―2?」
「おそらく」
二人は、
T―2の資料を探した。
T―2は、
個人識別情報を直接管理する番号ではなかった。
照合用の中間管理区分。
対象者コードと、
別管理された個人記録を照合する際に使う。
透は、
資料を読んでいく。
そこで、
一つの注意書きに気づいた。
「照合結果のみを返し、照合元情報は処理担当者に開示しない。」
「また結果だけ」
女が言った。
「はい」
「一致か不一致かだけ分かって、
何と何が一致したのかは分からない」
「処理する人によっては、
それで十分だったんでしょう」
「でも、
後から調べる人には足りない」
「だから、
別の権限が必要になる」
透は、
K―14を見た。
確認者コード。
権限者管理台帳。
旧権限体系。
その線が、
少しずつつながってきた。
しかし、
まだ人にはつながらない。
透は、
T―2の照合記録を調べた。
S―21―014。
照合結果――一致。
照合日――同日。
照合者――K―14。
「また一致」
女が言った。
「はい」
「何が一致したの?」
透は、
画面を見た。
そこには、
それ以上の説明がなかった。
照合項目――非開示。
「分からない」
「……」
「一致という結果しか残っていません」
女は、
少し黙った。
「じゃあ、
兄の記録と同じ人なのかどうかも、
この段階じゃ分からない」
「はい」
透は、
その言葉を訂正しなかった。
分からない。
それでよかった。
むしろ、
ここで答えを作ってしまえば、
記録を調べている意味がなくなる。
しばらくして、
女が別の資料を開いた。
「これ、
見て」
そこには、
古い照合処理の例があった。
対象者コード。
照合コード。
確認者コード。
結果。
そして、
一番下に、
処理目的。
その項目には、
複数の選択肢が並んでいた。
住所確認。
所在確認。
連絡確認。
本人確認。
業務継続確認。
「目的が違っても、
同じ確認者コードを使えるんだ」
女が言った。
「はい」
「じゃあ、
K―14が同じだから、
同じ仕事とは限らない」
「その通りです」
「逆に、
同じ仕事だから同じ確認者コードだった可能性もある」
「はい」
二人は、
また一つ、
判断材料を分けた。
同じ確認者。
同じ処理日。
同じ処理結果。
それぞれは、
単独では人を特定しない。
その日の夕方。
透は、
兄の所在確認記録をもう一度見た。
所在確認:不要
本人申告による
そして、
その横に、
今まで気にしていなかった欄がある。
処理目的:所在確認
さらに、
その下。
照合区分:T―2
透は、
手を止めた。
「これ……」
女が振り向く。
「どうした?」
「兄の記録にも、
T―2があります」
女が、
すぐに隣へ来た。
「S―21―014と同じ?」
「はい」
「じゃあ、
やっぱり……」
「ただし」
透は、
言葉を止めた。
「同じT―2というだけです」
「……そうだった」
「T―2は、
中間管理区分です」
「人じゃない」
「はい」
女は、
小さく息を吐いた。
「本当に、
全部が人に見えてくるね」
透は、
頷いた。
番号。
コード。
確認者。
処理目的。
照合区分。
どれも、
人間の行為から生まれたものだ。
けれど、
それ自体は人間ではない。
透は、
ふと、
兄の古いメモを思い出した。
「番号が同じだから、同じものだと思うな。」
そして、
もう一つ。
「番号が変わったから、別のものだとも限らない。」
当時は、
N―07について書かれた言葉だと思っていた。
けれど、
今なら、
もっと広い意味にも見える。
コードが同じでも、
用途が違う。
コードが違っても、
同じ処理につながる。
だから、
番号だけを追ってはいけない。
透は、
新しい紙を出した。
中央に、
一つの丸を書いた。
処理
そこから、
四本の線を引く。
対象者
申告
確認
照合
さらに、
その下に、
小さく書いた。
「誰が、何をしたかを分ける。」
女が、
その図を見た。
「これなら、
少し見える」
「何がですか」
「少なくとも、
『本人申告』という言葉だけでは、
本人が何をしたか分からないってこと」
透は、
頷いた。
「そうです」
「申告した人。
申告を受けた人。
記録した人。
確認した人。
照合した人。
全部、
同じ人とは限らない」
「はい」
「そして、
同じ人かもしれない」
「はい」
女は、
少し笑った。
「結局、
また分からない」
透も、
少しだけ笑った。
「でも、
前よりは分からない場所が狭くなっています」
その夜。
透は、
最後に一枚の資料を開いた。
本人申告処理に関する旧運用メモ。
短い資料だった。
その中に、
一行だけ、
赤線が引かれている。
「本人申告は、申告者を示す項目ではなく、処理の起点を示す区分である。」
透は、
その文章を何度も読んだ。
女も、
黙っていた。
申告者ではない。
処理の起点。
つまり、
「本人申告による」という記録があっても、
それだけでは、
誰が、
どのように、
何を伝えたのかは分からない。
それは、
入口の種類を示しているだけだった。
透は、
紙の端に、
一つだけ書いた。
「入口と、本人を同じものとして見るな。」
その瞬間、
兄が残した言葉と、
少しだけ重なった。
名前を追うな。
仕事を追え。
記録と人を同じものとして見るな。
透は、
新しい資料を閉じた。
まだ、
兄がどこにいるのかは分からない。
P―4―003が誰なのかも分からない。
S―21―014が誰なのかも分からない。
ただ、
一つだけ、
以前より明確になったことがある。
「本人申告」という言葉は、
本人そのものを示してはいなかった。
それは、
ただ、
記録がどこから始まったと扱われたのか。
その一点だけを示していた。
そして、
その「起点」のさらに前には、
まだ、
別の記録がある。
透は、
画面に表示された項目を見た。
受付経路:――
そこだけが、
空欄だった。
透は、
その空欄を見ながら、
静かに言った。
「次は、
ここです」
女は、
画面を見た。
「受付経路?」
「はい」
「窓口なのか、
電話なのか、
書面なのか」
「あるいは、
別の経路なのか」
二人は、
その空欄を残したまま、
画面を閉じた。
まだ、
何も決まっていなかった。




