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嘘の向こう側  作者: 亀


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第六十章 担当者名は記載しない

透は、女から送られてきた写真を拡大した。


古い移管表。


紙の端は少し黄ばんでいる。


中央には、


引継ぎ元:第七管理系統


引継ぎ先:外部確認系統


と書かれていた。


その下。


担当者名は記載しない。


右下には、


N―07


透は画面を保存した。


そして、


すぐには何も言わなかった。


これまで見てきた資料では、


担当者が書かれているものもあった。


「使用名」


「確認者」


「所属」


そういう欄があった。


しかし、


この移管表には、


最初から担当者名を書く欄がない。


透は女に聞いた。


「この資料、どこにありました?」


「弟のノートに挟まってた」


「原本?」


「たぶんコピー」


「裏側は?」


「何もない」


透は、


少し考えた。


「この資料、弟さんが作ったものではないですよね」


「分からない」


「日付はありますか」


「右上にある」


写真を送ってもらう。


日付は、


弟が会社を辞める少し前だった。


透は、


以前見つけた別の資料の日付と並べた。


移管表。


N―07の記録。


弟のメール。


それぞれが近い時期に存在している。


しかし、


どれが先だったのか。


どれを見て、


どれを書いたのか。


そこまでは分からない。


透は、


紙に三つの項目を書いた。


資料が存在した


弟が見た


弟が作った


そして、


一番上だけに印をつけた。


存在したことは、


写真から確認できる。


残り二つは、


まだ分からない。


「どうしたの?」


女が聞いた。


「この資料が重要かもしれません」


「やっぱり?」


「ただ、重要だからといって、弟さんの行動を説明できるとは限りません」


女は少し黙った。


「分かってる」


「なら、まずこの資料そのものを見ます」


「何を見るの?」


「誰が書いたかではなく、何を書かないことにしているか」


電話の向こうで、


女が黙った。


透は写真をもう一度見た。


担当者名は記載しない。


なぜ書かないのか。


理由は書かれていない。


個人情報保護。


担当者が頻繁に変わるから。


役職だけを管理するため。


責任者を特定させないため。


単純に、


この表が業務単位の管理表だから。


いくつも可能性がある。


透は、


一つに決めなかった。


翌日。


透は、


以前話を聞いた元社員にこの資料を見せた。


「これは見たことがありますか」


元社員は、


写真をしばらく見つめた。


「似たものなら」


「この形式ですか」


「たぶん」


「担当者名を記載しない、という部分は?」


「ありました」


透は少し驚いた。


「なぜですか」


「移管表だからです」


「それだけ?」


「基本的には」


元社員は、


紙を指で示した。


「引き継ぐのは人ではなく、仕事だからです」


透は、


その言葉を聞いて、


以前の記録を思い出した。


「でも、実際には担当者が変わりますよね」


「もちろん」


「では、なぜ書かない?」


「担当者は別の資料で管理するからです」


透は書いた。


移管表=業務


担当者=別資料


「その別資料は?」


「人事資料だったり、業務担当表だったりします」


「つまり、この紙だけでは担当者は分からない」


「そうです」


「でも、別資料と組み合わせれば分かる可能性がある?」


「可能性はあります」


透は、


「可能性」という言葉をそのまま残した。


元社員は続けた。


「ただし、昔の担当表が残っているとは限りません」


「保存期間?」


「それもあります」


「では、移管表だけ残って、担当者表がなくなることも?」


「あります」


透は、


少しだけ黙った。


仕事は残る。


移管の記録も残る。


しかし、


担当者は残らない。


その構造なら、


後から記録を見た人間は、


仕事が誰によって行われていたのかを知ることができなくなる。


それ自体は、


隠蔽とは限らない。


業務記録として必要な情報と、


人事情報として必要な情報が、


最初から別れているだけかもしれない。


透は、


そこを分けて書いた。


記録が分かれていること ≠ 誰かが隠したこと


元社員が帰った後、


透は女に連絡した。


「移管表について、一つ分かりました」


「何?」


「担当者名がないのは、この資料が業務の移管を記録するためだからかもしれません」


「じゃあ、担当者は別の資料にある?」


「可能性があります」


「探す?」


「はい。ただし、人を探すためではなく、移管表と別資料がどう対応していたのかを確認したいです」


「分かった」


その夜。


女から、


一枚の写真が届いた。


「これ、弟の机の引き出しの奥にあった」


古い紙だった。


表には、


いくつかの欄が並んでいる。


業務名


窓口名


確認方法


担当区分


そして、


一番下。


個人名は別管理


透は、


画面を見たまま動かなかった。


「これ、いつの資料?」


「日付はない」


「弟さんの字?」


「違うと思う」


「どこに入ってた?」


「移管表と同じ場所」


透は、


その二枚を並べて見た。


一枚目。


担当者名は記載しない。


二枚目。


個人名は別管理。


二つは、


同じことを言っているようにも見える。


だが、


完全に同じ意味とは限らない。


一枚目は、


移管表のルール。


二枚目は、


業務管理上のルール。


透は、


二つの紙を別々に保存した。


そして、


新しい紙に書いた。


業務の記録


個人の記録


その間には、


一本の線を引いた。


今まで、


「名前が残っているか」


ばかりを見ていた。


しかし、


名前が存在する場所そのものが違う。


業務資料の名前。


人事資料の名前。


外部連絡用の名前。


確認者の名前。


それぞれが、


別の目的で使われている。


だから、


同じ名前があっても、


同じ意味とは限らない。


透は、


そのことを改めて記録した。


その時、


女から電話が来た。


「ねえ」


「はい」


「弟が、どうしてこんなものを集めてたと思う?」


透は、


少し考えた。


「まだ分かりません」


「……そうだよね」


「でも、一つだけ」


「何?」


「弟さんは、人の名前そのものを調べていたというより、名前がどの資料で、どんな役割で使われているのかを見ていた可能性があります」


女は黙った。


「それなら」


「はい」


「『あの人がまだいるなら、確認したい』っていうのも……」


「人のことではない可能性があります」


「仕事?」


「仕事かもしれない。窓口かもしれない。名前かもしれない。まだ分かりません」


しばらく沈黙が続いた。


やがて、


女が言った。


「弟は、何を見ていたんだろうね」


透は答えなかった。


分からない。


今の段階では、


それ以上の答えはなかった。


電話を切った後、


透は二枚の紙を机に並べた。


担当者名は記載しない。


個人名は別管理。


その横に、


N―07。


そして、


その下に、


もう一つの資料。


引継ぎ元:第七管理系統


引継ぎ先:外部確認系統


四つを並べても、


まだ一つの説明にはならない。


むしろ、


別々の仕組みが重なっているように見える。


透は、


その重なりを無理に一本の線にしなかった。


代わりに、


紙の端へ、


一つの問いを書いた。


「個人名を別管理していたなら、その別管理資料はどこへ引き継がれたのか。」


そこで、


手が止まった。


仕事の移管だけではない。


業務記録の移管。


個人情報の管理。


外部窓口の名称。


N―07の番号体系。


それぞれが、


同じ会社の中で、


別々の経路を通っていた可能性がある。


もしそうなら、


これまで見てきた資料が、


一つにつながらなかった理由も説明できる。


最初から、


同じ場所に存在していなかったからだ。


透は、


新しい欄を作った。


業務資料


個人資料


外部連絡資料


移管資料


そして最後に、


N―07関連資料


と書いた。


五つの箱。


まだ、


それぞれの中身は十分ではない。


だが、


今度は、


どこに何が残っているのかを調べられる。


透は、


その紙を折りたたんだ。


その瞬間、


スマートフォンが震えた。


女からだった。


もう一つ、弟のメールがある。


透は開いた。


短い。


たった二行だった。


「仕事の記録と、人の記録を同じものとして見るな。」


「別々に残るから、後から同じに見える。」


透は、


その文章を何度も読み返した。


そして、


初めて気づいた。


弟が探していたのは、


「誰なのか」


ではなかったのかもしれない。


「なぜ同じに見えるのか」


だったのかもしれない。


ただし、


それもまだ仮説だった。


透はメールを保存し、


画面を閉じた。


机の上には、


まだ空白が残っている。


その空白を埋めるために、


次に必要なのは、


新しい名前ではない。


別管理されていた記録が、どこへ移されたのか。


透は、


その記録を探すことにした。

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