第五百六十一章 調査報告
通信が再び接続された。
透の前には、これまで集めてきた資料が並んでいた。
古い組織の記録。
研究施設に残された資料。
戦争以前の文書。
戦後の家系に伝わった記録。
そして、X-17について残されていた断片的な資料。
それらを一つずつ確認しながら、透は最後の報告書をまとめていた。
これは、塔に対する正式な調査結果だった。
人間側が約束を破ったのか。
なぜ連絡が途絶えたのか。
技術がどのように使われたのか。
そして、その技術が現在の人間社会に何を残したのか。
すべてを一つの結論にまとめることはできなかった。
だから、透は確認できた事実と、そこから導いた推測を分けて記録した。
最後のページには、短い文章だけを残した。
『人類が約束を守らなかったことは事実である』
その下に続ける。
『しかし、それが当時の人類全体による統一された意思だったとは確認できない』
さらに。
『共同研究によって生まれた技術は、国家間の競争に利用され、戦争を拡大させた』
『その結果、当初の組織は崩壊し、塔との通信経路も失われた』
『その後の人類は、技術の起源を完全には理解しないまま、それを生存のために利用した』
透は最後の一文を書いた。
『現在の人類を、当時の人類と同一視することはできない』
それで十分だった。
それ以上の判断は、塔側に委ねることにした。
「送ります」
透が言う。
人間側の代表が頷いた。
「お願いします」
透は通信装置を操作した。
調査報告が送信される。
一つ。
二つ。
三つ。
大量の記録が、塔へ向かって送られていく。
送信が完了するまで、しばらく時間がかかった。
やがて画面に表示が出た。
『受信完了』
透は椅子にもたれた。
「これで、終わりです」
人間側の代表が尋ねた。
「塔はどう判断するでしょうか」
「分かりません」
透は答えた。
「それを確認するために、ここまで来たので」
通信はそのまま維持された。
しかし、すぐには返事が来なかった。
数分。
十数分。
さらに時間が過ぎる。
塔の内部で、報告書が読まれている。
透には、その場の様子を見ることはできない。
ただ、通信が切れていないことだけが分かった。
やがて。
一つの声が返ってきた。
「報告を確認した」
透は顔を上げた。
「はい」
「我々の内部でも、現在、内容を確認している」
声の奥には、明らかな緊張があった。
「意見が分かれている」
透は黙って聞いた。
「まず、主戦派から伝える」
別の声が入った。
「人類は、我々との約定に違反した」
声は強かった。
「共同研究の成果を国家間の競争に利用した」
「そして、それを軍事技術として使用した」
「その結果、多数の人間が死亡し、文明そのものが崩壊した」
透は何も言わなかった。
「これは単なる研究上の失敗ではない」
「我々が渡した技術が、戦争に使われた」
「約定を破った結果として、地球には大きな被害が生じた」
声が少し強くなる。
「我々は、この事実を無視するべきではない」
通信室の人間たちも、黙って聞いていた。
「人類には責任を取らせるべきだ」
「少なくとも、何らかの制裁が必要だ」
透は画面を見つめた。
そこへ、別の声が入った。
「待ってほしい」
先ほどとは違う、落ち着いた声だった。
「報告書には、別の事実も書かれている」
「技術は戦争に使われた」
「それは否定できない」
「しかし、その後の人類は、その技術によって生き延びた」
主戦派の声が返る。
「それは結果論だ」
「そうかもしれない」
主和派の声は否定しなかった。
「だが、我々が判断するのは、過去の一場面だけではない」
「報告書には、戦後の人類が技術を生活に利用した記録もある」
「食料の生産」
「水の確保」
「エネルギーの供給」
「そして、崩壊した社会の再建」
「それによって、多くの人間が生き残った」
しばらく沈黙が続いた。
主戦派が言った。
「それでも、約束違反は消えない」
「消えない」
主和派が答えた。
「だからこそ、我々は今の人類を確認する必要がある」
「確認して何になる?」
「分からない」
その答えに、透は少しだけ目を細めた。
「だから、見に行く」
主和派の声が続いた。
「我々が記録だけを見て判断すれば、過去の人類だけを見て現在を判断することになる」
「現在の人間が何を考えているのか」
「どのような生活をしているのか」
「技術を何のために使っているのか」
「それを確認してからでも遅くはない」
主戦派はすぐには答えなかった。
やがて、別の声が言った。
「ならば、人間の高層だけを見ればいい」
「それでは足りない」
主和派が返した。
「彼らが我々に見せたいものだけを見ることになる」
「普通の人間の生活も見る必要がある」
「街を歩くのか」
「必要なら」
「危険だ」
「それなら代表団を構成すればいい」
また沈黙。
透は、塔の内部で初めて具体的な議論が始まったことを感じていた。
誰も完全に納得していない。
誰も完全に否定していない。
だからこそ、話し合いが続いている。
しばらくして、塔側から透に声がかかった。
「透」
「はい」
「お前は、この報告を提出した後、どうするつもりだ」
透は少し考えた。
「私は人間社会に残っています」
「それは知っている」
「だから、必要なら案内します」
主戦派が反応した。
「お前は人類側に立つのか」
透は答えなかった。
代わりに、静かに言った。
「私は、調査結果を提出しただけです」
「判断するのは、あなたたちです」
その言葉に、通信の向こうが静かになった。
やがて、塔から正式な決定が伝えられた。
「塔は、地球への接近を一時停止する」
人間側が顔を上げる。
「船体は太陽系外縁に留める」
「同時に、二つの代表団を地球へ派遣する」
透は聞いた。
「二つ?」
「主戦派代表」
「そして主和派代表」
「双方が別々に人類社会を確認する」
「その後、人類側の代表と会談する」
透は静かに頷いた。
主戦派が何を見るのか。
主和派が何を見るのか。
そして、同じ人間社会を見た二つの代表が、どんな結論を出すのか。
それはまだ誰にも分からない。
通信の最後に、塔側から告げられた。
「これは最終判断ではない」
「地球への調査と、会談のための訪問だ」
「分かりました」
透は答えた。
通信が切れた。
観測室に静けさが戻る。
誰かが小さく息を吐いた。
「二つの代表団が来る……」
透は窓の外を見た。
空には何も見えない。
しかし、太陽系の外側には、もう塔の船がいる。
そして近いうちに、その中から二つの異なる立場の人間が、この世界へ降りてくる。
透は、まだ何も決まっていないことを理解していた。
約束をどうするのか。
技術をどうするのか。
過去の責任をどう扱うのか。
それらは、これから始まる会談の中で決められる。
その前に。
塔の代表たちは、まず人間の世界を見る。
本当に、今の人間がどのように生きているのかを。




