第五十三章 残っている仕事
翌朝、透は一人で古い会社の住所を調べていた。
探しているのは名前ではない。
人でもない。
仕事だった。
昔、外部窓口として使われていた名前。
その名前を使う仕事が、今も残っているのか。
そこから始めることにした。
古い会社の資料には、会社名の変更履歴が残っていた。
名称変更。
事業譲渡。
部署統合。
担当窓口の変更。
しかし、外部との連絡先には、いくつか同じものが残っている。
電話番号。
住所。
そして、
一つの「窓口名」。
透は、その名前を紙に書いた。
人の名前としてではなく、
窓口名
として。
その下に、昔の住所を書く。
さらに現在の住所。
二つの住所を見比べる。
会社は変わっている。
建物も一部改修されている。
それでも、外部との連絡を受ける部署だけは、別の会社に引き継がれていた。
透はそこへ電話をかけることをためらった。
何を聞くべきか、まだ決まっていない。
「昔の名前を知っていますか」
それだけでは、何も分からない。
相手がその名前を知っていても、
同じ人間を意味するとは限らない。
透は電話をやめた。
代わりに、公開されている会社案内を調べた。
そこには、
「お問い合わせ窓口」
「物流関連窓口」
「登録情報確認」
という項目が並んでいた。
そして、
古い資料にあった名前とよく似た表記が一つだけ残っていた。
透は画面を見つめた。
完全に同じではない。
漢字が一文字違う。
だが、読み方は同じだった。
「……同じ名前とは限らない」
透はそう呟いた。
そして、別の資料を開いた。
古い書類では、
使用名。
現在の資料では、
窓口名称。
表記は違う。
役割も少し違う。
ただ、
仕事内容には似た部分があった。
透は写真を撮った。
今度は女に送った。
現在も似た仕事が残っているようです。
ただし、同じものかはまだ分かりません。
すぐに返信が来た。
それなら、今の担当者を探す?
透はしばらく考えた。
まだです。
どうして?
まず、仕事が本当に同じものなのか確認したいです。
女から、
分かった。
と返ってきた。
透はスマートフォンを置いた。
その時、
机の端に置いていた古い資料が目に入った。
「確認者」
という欄。
透は昨日の年配の男性の話を思い出した。
使用名を引き継ぐ人間。
確認する人間。
外部窓口。
それぞれが違う可能性がある。
ならば、
仕事を探す時も、
「誰がやっているか」ではなく、
「何をしているか」から見た方がいい。
透は古い資料をもう一度開いた。
窓口の仕事として記録されている内容を一つずつ抜き出す。
問い合わせを受ける。
情報を確認する。
必要な部署へ回す。
記録を更新する。
そして、
場合によっては、
「確認不要」とする。
透の手が止まった。
確認不要。
それは、
これまでN―07と一緒に出てきた言葉だった。
しかし、
確認不要という処理だけでは、
何を意味するのか分からない。
本人が希望した。
管理側が判断した。
別の部署ですでに確認済みだった。
確認する必要がない種類の情報だった。
どれもあり得る。
透は古い資料をめくった。
すると、
一枚だけ別形式の帳票が出てきた。
そこには、
「確認方法」
という欄がある。
その選択肢に、
「本人」
「所属」
「窓口」
「既存記録」
「不要」
と並んでいた。
透はしばらく動かなかった。
「窓口」。
この一言が気になった。
本人ではない。
所属でもない。
記録でもない。
窓口を通じて確認した場合、
確認した人間そのものを記録しないこともできる。
透は紙に書いた。
確認者 ≠ 窓口
そして、
窓口 ≠ 人
さらに、
確認済み ≠ 本人が確認した
と続けた。
そこまで書いてから、
一つの可能性に気づいた。
兄が調べていた二つの名前。
一つは使用名。
もう一つは確認者名。
もしそうなら、
兄が調べていたのは、
二人の人間が同じ人物なのか、
という問題ではなかったのかもしれない。
「誰が確認したことになっているのか」
それを調べていた可能性がある。
透はすぐに、その考えを仮説として紙の端に書いた。
そして、
大きく丸をつけることはしなかった。
その夜。
女から電話が来た。
「一つ、聞いてみました」
「何を?」
「弟が使っていた古い会社の連絡先です」
「元同僚に?」
「はい」
「何か分かった?」
「今も同じ仕事をしている部署があるそうです」
透は黙った。
「ただ、会社は別です」
「事業を引き継いだ?」
「その可能性があるみたい」
「担当者は?」
「分からない」
「名前は?」
「それも分からない」
透は頷いた。
「それで十分です」
「十分?」
「はい」
「まだ人が分かってないのに?」
「だからです」
透は窓の外を見た。
「人を先に探すと、その人に合わせて過去の記録を解釈してしまうかもしれない」
女はしばらく黙っていた。
「弟も、そう考えていたのかな」
「分かりません」
「またそれ」
「でも」
透は続けた。
「弟さんが名前を避けていた理由は、少し分かる気がします」
「何?」
「名前を知ると、人間を知った気になってしまうから」
電話の向こうで、
女が小さく息を吐いた。
「じゃあ、次は仕事を見る?」
「はい」
「今も残っている仕事を?」
「そうです」
「そして、その仕事が昔と同じなのか確認する」
「はい」
「その後で人を探す?」
透は少し考えた。
「必要なら」
電話が切れた。
透は机に戻った。
紙には、
仕事
と書かれている。
その下に、
過去
現在
と二つの欄を作った。
過去の仕事。
現在の仕事。
まだ、
同じとは言えない。
しかし、
完全に別とも言えない。
その間に、
会社が変わり、
人が交代し、
名前が残り、
記録の形式が変わっている。
透は最後に一行書いた。
「人が引き継ぐのではなく、仕事が人を引き継がせることがある。」
書き終えた時、
スマートフォンが震えた。
白石からだった。
昔の仕事を調べているなら、古い窓口には行かない方がいい。
透は画面を見た。
「行くな」という言葉。
以前なら、
それだけで足を止めていた。
今は違う。
透は返信した。
なぜですか。
しばらくして、
白石から返事が来た。
今の窓口が、昔の窓口と同じとは限らないからだ。
透はその文章を見た。
そして、
もう一通。
そして、昔の窓口を知っている人間が、今も同じ仕事をしているとも限らない。
透は画面を閉じた。
白石の言葉は、
止めるための警告なのか。
情報を与えているだけなのか。
それも、まだ分からない。
ただ、
一つだけ確認できた。
白石も、
「名前」ではなく、
「仕事」を見ている。
透は椅子に座り直した。
次に調べるべきものは、
昔の名前ではない。
その名前が、
どんな仕事を指していたのか。
そして、
その仕事が今、
どこに残っているのか。
透は新しい紙を取り出した。
そこには、
まだ誰の名前も書かなかった。




