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嘘の向こう側  作者: 亀


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第五十章 使われていた名前

翌日、透は一人で古い会社の資料を調べていた。


前日の白石の話が気になっていた。


本名。


仕事上の名前。


役割として使われる名前。


同じ名前を、別の人間が使うこともある。


それなら、


「二つの名前があった」


という事実だけでは、


一人の人間が二つの名前を使っていたとは限らない。


透は古い資料を一枚ずつ確認した。


会社名は何度か変わっている。


住所は同じ。


部署名も変わっている。


担当者の名前も変わっていた。


ただ、一つだけ妙なものがあった。


古い一覧表の右端に、


「使用名」


という欄がある。


その隣には、


「確認者」


という欄。


さらに、


「所属」


という欄。


透はそこで手を止めた。


名前が三種類あるわけではない。


名前を使う場面が三つに分かれている。


本名。


使用名。


確認者。


そして、すべてが同じ人間とは限らない。


透はスマートフォンで写真を撮った。


その時、後ろから声がした。


「それ、まだ残ってたんですね」


振り返ると、以前の会社で働いていたという年配の男性が立っていた。


「知っているんですか」


「ええ」


男性は資料を見る。


「昔はよく使っていました」


「使用名という欄を?」


「そうです」


「どういう意味ですか」


男性は椅子を引いた。


「仕事の時に呼ぶ名前ですよ」


「本名とは違う?」


「違うこともあります」


「必ず?」


「いいえ」


透はペンを持った。


「同じ場合も?」


「あります」


「なぜ、わざわざ欄を分けるんですか」


男性は少し考えた。


「相手が本名を必要としない場合があるからです」


「相手?」


「取引先とか、外部の人間ですね」


「使用名だけで仕事ができる?」


「そういう仕事もありました」


透は資料を指差した。


「では、ここに書かれている名前が、その時に実際に働いていた本人の名前とは限らない?」


男性は頷いた。


「そうですね」


「別の人が代わりに使うことも?」


「ありました」


透は少し黙った。


「同じ使用名を、別の人が使うことも?」


男性はすぐには答えなかった。


「場合によります」


「どういう場合ですか」


「担当者が変わっても、外部には同じ窓口として扱った方が都合がいい場合があります」


「つまり、人ではなく窓口に名前を付ける」


男性は頷いた。


「そういう考え方です」


透は紙に、


名前=窓口


と書いた。


しかし、その下にすぐ、


必ずではない


と付け加えた。


「N―07という番号は?」


男性の手が止まった。


「それも知っているんですか」


「資料にあります」


男性はしばらく資料を見た。


「N―07は、名前ではありません」


「では?」


「処理の区分です」


「確認者の区分?」


「それだけではありません」


「どういう意味ですか」


男性は資料の端を指した。


「時期によって変わっています」


「同じN―07でも?」


「そうです」


「じゃあ、昔のN―07と、後のN―07は違う?」


「同じ部分もあります。でも、運用は変わっています」


透は頷いた。


「だから番号だけでは分からない」


「そういうことです」


男性は資料を閉じた。


「昔の資料を見る時は、番号だけ追わない方がいいですよ」


「なぜですか」


「同じ番号を別の意味で使うことがありますから」


透はその言葉をメモした。


少しして、男性が立ち上がった。


「ただ、これを今調べているなら」


「はい」


「一つだけ注意してください」


「何ですか」


男性は少し迷ってから言った。


「昔の使用名を、今の人間にそのまま当てはめない方がいい」


「どうして?」


「名前が残っているからです」


「名前が?」


「名前だけが残って、人が変わることがある」


透はその意味を考えた。


人がいなくなっても、


仕事は残る。


仕事が残れば、


窓口も必要になる。


窓口が必要なら、


名前が残る。


そして、


別の人間が同じ名前を使う。


そうなると、


記録の上では、


同じ名前がずっと存在している。


しかし、


その名前を使っていた人間は、


同じではない。


男性は帰っていった。


透は一人になった。


資料の中から、


「使用名」


「確認者」


「所属」


の三つを切り分けて見る。


その時、


一枚の古い記録が目に入った。


日付はかなり前。


使用名の欄に、一つの名前。


確認者の欄には別の名前。


所属欄は空白。


右端に、


N―07


とある。


透は息を止めた。


だが、すぐには写真を撮らなかった。


まず、その前後の記録を見る。


同じ使用名。


別の日。


確認者は違う。


さらに別の日。


確認者はまた違う。


使用名だけが残っている。


透は三枚を並べた。


同じ名前。


違う人間。


少なくとも、


記録上はそう見える。


そして、その三枚のうち二枚には、


N―07。


一枚には、


別の番号。


透はそこで初めて、


兄がなぜ二つの名前を調べていたのか、


少しだけ想像した。


だが、


想像しただけだった。


確かめるためには、


もう一つ必要だった。


その名前が、


誰を指していたのか。


それとも、


誰も指していなかったのか。


透は資料を閉じた。


その日の夜、女に連絡した。


古い資料を見つけました。


少しして返信が来る。


何がありましたか?


透は写真を送ろうとして、


手を止めた。


昨日までなら、


すぐに送っていた。


今は、


まず自分で確認したかった。


名前について、少し分かったことがあります。


でも、まだ写真は送らないでおきます。


しばらく返信がなかった。


やがて、


分かりました。


とだけ届いた。


透はスマートフォンを置いた。


それから、


古い資料をもう一度開いた。


同じ使用名。


違う確認者。


違う日付。


そして、


時々現れるN―07。


その時、


一番古い記録の端に、


小さな手書きの文字があることに気づいた。


印刷された資料にはない。


鉛筆で書かれている。


薄く、


読みにくい。


透は紙を傾けた。


そこには、


一行だけ残っていた。


「名前を残すのは、人を残すためとは限らない。」


透はしばらく、その文字を見ていた。


そして、その下に続くはずだった場所を見た。


何もない。


ただ、


紙が一度折られた跡だけが残っていた。

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