第四十七章 剥がされた紙
翌朝、透は女から受け取った写真をもう一度見た。
紙を剥がした跡。
その下に残った、
「七」
そして、
「名」
に見える文字。
それだけだった。
透は画像を拡大し、明るさを変えてみた。
だが、文字が増えるわけではない。
見えないものは、何度拡大しても見えない。
透は画面を閉じた。
昼前、女と会った。
彼女は透明な袋に入れたノートを持っていた。
「直接見た方がいいと思って」
「ありがとうございます」
透は袋からノートを出した。
最後のページ。
確かに、紙を一枚剥がしたような跡がある。
その周辺だけ、紙の表面が少し荒れている。
「ここです」
女が指を差した。
「『名』に見える?」
「はい」
「私もそう思います」
透はノートを傾けた。
光の当たり方を変える。
それでも、残っているのは断片だけだった。
「剥がした紙は?」
「ありません」
「弟さんが自分で剥がした?」
「分かりません」
透は紙の端を見た。
きれいに切り取ったわけではない。
途中で破れている。
「急いで剥がしたようにも見えます」
女が言った。
「そうですね」
「何か見られたくないものがあった?」
「かもしれません」
「それとも、誰かに渡した?」
透は答えなかった。
その可能性もある。
しかし、どちらも証拠はない。
「一つ気になることがあります」
「何?」
「このページ、他のページより古いです」
女が驚いた。
「分かる?」
「紙の色が少し違います」
「でも同じノートですよね」
「はい」
「じゃあ、どうして?」
透はページの綴じ目を見た。
「途中で一度、紙を入れ替えたのかもしれません」
「弟が?」
「分かりません」
女は黙った。
透はノートを閉じた。
「このノート、いつから使っていましたか」
「去年の終わり頃からだと思います」
「南区へ行く前から?」
「はい」
「では、最初からこのページがあったとは限らない」
「どういうこと?」
「後から紙を追加した可能性があります」
女はノートを見た。
「じゃあ、剥がした紙も後から?」
「その可能性があります」
「弟が書いた?」
「それも分かりません」
女は少し笑った。
「本当に、何も決められませんね」
透も少し笑った。
「決める必要がないものもあります」
その言葉の後、二人はノートを見続けた。
しばらくして、女が言った。
「これ」
ページの端を指差した。
「何?」
「小さな穴があります」
透は近づいて見た。
紙の左上。
針で刺したような小さな穴が二つ。
その間隔は一定だった。
「クリップ?」
「たぶん」
「でも、何かを挟んでいた?」
「そうかもしれません」
透は考えた。
剥がした紙。
その下に残った文字。
そして、二つの小さな穴。
一枚の紙が、以前ここに挟まれていた可能性がある。
「弟は、紙を挟んでいた?」
「よくあります」
「何を?」
「領収書とか、勤務表とか」
「じゃあ、特別なことではない」
「はい」
透は頷いた。
それなら、それ以上意味を持たせない方がいい。
その時、女のスマートフォンが鳴った。
元同僚からだった。
女が電話に出る。
しばらく話してから、透を見る。
「昨日の話で、思い出したことがあるそうです」
「何ですか」
「弟が、二つの名前を調べていた理由」
透は黙った。
「本人は、名前を調べたかったわけではないそうです」
「では?」
「二つの名前が、同じ書類の中に存在していたことを確認したかった」
透は聞き返した。
「同じ書類?」
「はい」
「どんな書類?」
「元同僚は覚えていないそうです」
「それだけ?」
「ただ、その書類にはN―07があったそうです」
透はノートを見る。
「いつ?」
「会社を辞める少し前」
「弟は、その書類を持っていましたか」
「持っていなかったそうです」
「見ただけ?」
「そうです」
透は少し考えた。
それなら、
二つの名前そのものを探していたのではない。
二つの名前が同時に存在した記録を探していた。
そして、
その横にN―07があった。
それなら、昨日までの情報と少し違って見える。
「元同僚は、その書類を見た場所を覚えていますか」
「管理室だそうです」
透は黙った。
また管理室。
だが、今回はすぐに結びつけなかった。
「その書類を見た日付は?」
「分からないそうです」
「誰が持っていた?」
「分からない」
「誰が管理していた?」
「分からない」
「その書類は今?」
「ありません」
また、空白だった。
透はノートを閉じた。
「でも、一つ増えました」
女が言う。
「何が?」
「弟が調べていたものが、少しだけ見えてきた」
「二つの名前?」
「いいえ」
透は答えた。
「二つの名前が同じ場所にあったことです」
女は黙った。
「それを確認しようとしていた」
「そうだと思います」
「じゃあ、名前の意味は後から考えたのかもしれない」
「そうかもしれません」
二人は喫茶店を出た。
駅へ向かう途中、女が言った。
「でも、その書類がなくなったのは変じゃない?」
透は歩きながら答えた。
「変に見えます」
「やっぱり何か隠されている?」
「分かりません」
「また?」
「はい」
女は少し笑った。
「最近、あなたの『分かりません』は、前と違うね」
「どう違いますか」
「前は、不安そうだった」
透は少し考えた。
「今は?」
「確認できないことを、そのまま置いている感じがする」
透は答えなかった。
それは自分でも、少し分かっていた。
以前なら、
分からないことがあると、
誰かに聞いた。
誰かが答えると、
その答えに寄りかかった。
今は違う。
分からないことは、
分からないまま持っている。
それだけだった。
駅の前で、女が言った。
「私は、まだ弟を探します」
「はい」
「でも、全部を弟の話につなげるのはやめます」
透は頷いた。
「その方がいいと思います」
「あなたも?」
「僕も」
女は少し考えてから、
「じゃあ、次は別々に調べましょう」
と言った。
透は頷いた。
「分かりました」
二人はそこで別れた。
帰宅した透は、机の上に新しい紙を置いた。
中央に、
二つの名前が同じ書類にあった。
と書く。
その下に、
N―07
さらに、
管理室
と書いた。
そして、少し離れた場所に、
剥がされた紙
と書いた。
今度も線は引かなかった。
ただ、その四つを眺めた。
しばらくして、透は最後に一つ書き足した。
「同じ場所にあることと、同じ意味を持つことは違う。」
その時、スマートフォンが震えた。
白石からだった。
あの建物について、少し話したい。
透は画面を見た。
続けて、もう一通。
今度は、私からではなく、君が聞きたいことを聞けばいい。
透はすぐには返信しなかった。
しばらく画面を見つめてから、
分かりました。
とだけ送った。
そして、机の上にある四つの言葉を見た。
二つの名前。
N―07。
管理室。
剥がされた紙。
まだ一本の線にはならない。
だからこそ、
次に白石から何を聞くのか。
透は初めて、
自分の質問を先に決めることにした。




