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嘘の向こう側  作者: 亀


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第四十一章 二つの名前

女から送られてきた二つ目の名前を、透は何度も見た。


一つ目と同じように、手書きだった。


名前の右側。


そこには、やはり、


N―07


と書かれている。


文字の大きさも似ていた。


筆圧も近い。


少なくとも、女が言った通りなら、二つとも弟の字だった。


透は二枚の写真を並べた。


一つ目の名前。


二つ目の名前。


どちらも知らない名前だった。


「この二人を、弟さんは知っていたんでしょうか」


透が送ると、しばらくして返事が来た。


「分かりません」


「本人に聞いたことは?」


「ありません」


「ノートには他に何か?」


「ありません」


少し間があった。


「ただ、一つだけ変なところがあります」


「何ですか」


「二つ目の名前は、紙の端に書かれています」


透は画像を拡大した。


確かにそうだった。


一つ目の名前は紙の中央。


二つ目は、右端。


まるで後から書き足したように見える。


そして、その下には何もない。


透は画面を閉じた。


翌日、女と会うことにした。


今回は、どちらかが一方的に資料を見せるのではなく、二人で同じものを確認することにした。


駅から少し離れた喫茶店。


女は先に来ていた。


テーブルの上には、小さな透明袋が置かれていた。


中には二枚の紙が入っている。


「これです」


女が言った。


透は紙を見た。


一枚目。


名前。


N―07。


二枚目。


別の名前。


N―07。


「同じ紙ですか」


「違います」


「どちらも弟さんのノート?」


「一枚目はノートから切り取ったものです」


女は二枚目を見た。


「これは、靴箱の奥にあった封筒の中に入っていました」


透は頷いた。


「紙の種類も違いますね」


「はい」


「一枚目はノートの紙」


「二枚目は古い書類の裏です」


透は紙を裏返した。


何もない。


だが、紙そのものがかなり古い。


「この名前、弟さんの字に間違いないですか」


「私にはそう見えます」


「断言はできない?」


「はい」


女は少し考えてから言った。


「弟の字だと思います。でも、私が知らない誰かの字を、弟の字だと思っている可能性もあります」


透は顔を上げた。


「そう考えるんですね」


「最近は、何でもすぐ決めない方がいいと思うようになりました」


透は少し笑った。


「僕もです」


二人は紙を見続けた。


しばらくして、透が言った。


「一つ確認したいことがあります」


「何ですか」


「この二つの名前を、同じ人間だと思っていた可能性はありませんか」


女は首を振った。


「弟が?」


「はい」


「分かりません」


「例えば、偽名とか」


「それなら、どうして二つともN―07なんでしょう」


透は答えなかった。


そこが問題だった。


同じ番号。


違う名前。


普通なら、どちらかが間違っていると考える。


しかし、これまでの記録では、


間違いではなく、意図的に違う情報が存在している場合もあった。


女が言った。


「元同僚に見せてみませんか」


「まだ見せない方がいいと思います」


「どうして?」


「彼が何を知っているのか、先に確認したいからです」


「質問する?」


「はい」


「何を?」


透は少し考えた。


「N―07を使っていた人間について」


「名前は見せない?」


「まだ」


女は頷いた。


その日の午後、二人は元同僚と会った。


場所は以前とは違う。


古い公園のベンチだった。


元同僚は、透を見るなり言った。


「今日は何ですか」


「少し聞きたいことがあります」


「弟のこと?」


「それもあります」


透は、二つの名前を見せなかった。


代わりに聞いた。


「N―07の横に、名前を書くことはありましたか」


男は少し考えた。


「ありました」


「一つだけ?」


「いえ」


「複数?」


「場合によります」


「名前が違っても、同じN―07になることは?」


男は透を見た。


「ありました」


女が口を開いた。


「どういう場合ですか」


男はすぐには答えなかった。


「……同じ処理をするときです」


透は前日に聞いた言葉を思い出した。


処理を合わせる。


「つまり、人間ではなく処理に番号がついていた?」


「そういうこともあります」


「では、N―07が同じだからといって、同じ人間とは限らない?」


「限りません」


「逆も?」


男は頷いた。


「同じ人間でも、違う番号になることがあります」


女が聞いた。


「どうして?」


「処理が違うからです」


「所在確認と、照合不要のように?」


男は女を見た。


「その言葉を、どこで知りました?」


女は答えなかった。


男も、それ以上は聞かなかった。


しばらくして、男が言った。


「弟さんは、そのことを調べていました」


透は聞いた。


「何を?」


「人間に番号がついているんじゃない」


男は言った。


「番号に、人間を合わせている」


女が黙った。


透も何も言わなかった。


男は続けた。


「でも、それが悪いことだとは限りません」


透は顔を上げた。


「なぜ?」


「物流でも同じです」


男は地面を見ながら話した。


「荷物一つ一つを、人間の名前だけで管理したら、同じ名前があった時に困るでしょう」


「だから番号を使う」


「そうです」


「人間にも同じことをした?」


「必要だったんでしょう」


「必要だった?」


「当時は」


その言葉には、判断がなかった。


正しいとも、間違っているとも言わない。


ただ、その時には必要だった。


透はそれを聞いて、少しだけ理解した。


問題は、


その仕組みが何を便利にしたかだけではない。


便利になったことで、


何が見えなくなったのか。


そこだった。


透は初めて二枚の紙を取り出した。


「これを見てください」


男は一枚目を見た。


表情は変わらなかった。


二枚目を見る。


その瞬間、少しだけ目を細めた。


透は何も言わずに待った。


「……この名前」


男が言った。


「知っていますか」


「名前だけなら」


「どこで?」


「管理室の資料で見たことがあります」


「一枚目?」


男は頷いた。


「では、二枚目は?」


男は紙を見た。


「こちらは知りません」


透は聞いた。


「本当に?」


男は少し黙った。


「……正確には、名前を見たことがあるかもしれません」


「どこで?」


「覚えていません」


女が聞いた。


「二つの名前は、同じ人間ですか」


男は首を横に振った。


「分かりません」


「違う人間?」


「それも分かりません」


透は黙っていた。


やがて男が言った。


「ただ、一つだけ」


「何ですか」


「この二つを同じ場所で見た記憶はありません」


透はその言葉を聞いて、紙を見た。


同じN―07。


違う名前。


違う場所。


違う時期。


それでも、同じ番号がついている。


そして弟は、それを記録していた。


「弟は、何を調べていたんでしょう」


女が小さく呟いた。


元同僚は答えなかった。


しばらくして、


「たぶん、人を探していたんじゃないと思います」


と言った。


透が顔を上げる。


「では?」


「人が、どうやって『人』として扱われなくなるのか」


男はそう言った。


それ以上は何も話さなかった。


帰り道、女が歩きながら言った。


「弟は、誰かを探していたと思っていました」


透は答えた。


「僕もです」


「でも違うのかもしれない」


「分かりません」


二人はしばらく歩いた。


駅が見えてきたところで、女が言った。


「それでも、弟が南区へ行った理由は残っています」


「はい」


「そこだけは変わらない」


透は頷いた。


「だから、そこを別に考えた方がいいと思います」


女は立ち止まった。


「別に?」


「名前の問題と、南区へ行った理由を一つにつなげない」


「どうして?」


「今まで、僕たちは見つけたものを全部一本の線につなごうとしていました」


透は二枚の紙を思い出した。


「でも、同じ番号があるからといって、同じ出来事とは限らない」


女は黙っていた。


「もし、別々のことを一つだと思っていたら」


透は続けた。


「僕たちは、存在しないつながりを作ってしまいます」


女はしばらく考えた。


「じゃあ、どうする?」


透は駅の入口を見た。


「一度、全部分けます」


「分ける?」


「弟が南区へ行ったこと」


「はい」


「N―07」


「はい」


「二つの名前」


「はい」


「所在確認:不要」


「はい」


「それぞれを、別の問題として見る」


女は小さく頷いた。


「それで、最後に本当に同じものだけを残す」


透は答えなかった。


それが正しい方法なのかは、まだ分からない。


ただ、


今までのように、


一つの仮説に全部を押し込めることだけは、


もうしたくなかった。


その夜、透は二つの名前を別々の紙に書いた。


その横には、同じようにN―07。


そして、その下には一行だけ。


「同じ番号は、同じ意味を保証しない。」


透はその紙を机の引き出しにしまった。


鍵はかけなかった。


誰かに見られる可能性を残したまま、


それでも、自分の手元に置いておくことにした。

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