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嘘の向こう側  作者: 亀


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第四十章 同じ名前

翌朝、透は机の上に三枚の紙を並べた。


一枚目は、弟の所在確認記録。


二枚目は、靴箱の奥から見つかった名前。


三枚目は、弟のノートに残されていた言葉。


それぞれ別の資料だった。


それぞれ別の人間が残したものだった。


それでも、同じ方向を指しているように見える。


透は三枚目をもう一度読んだ。


名前が同じなら、人も同じだと思うな。

名前が違っても、人が違うとは限らない。


この言葉を書いた時、弟は何を見ていたのだろう。


透には分からなかった。


午前中、女から連絡が来た。


「元同僚が、もう一つ思い出したそうです」


「何ですか」


「弟が、その名前について話していた時期です」


「いつ頃?」


「南区へ行く一か月くらい前」


透はメモを取った。


「何と言っていましたか」


「『同じ名前の人間を、何人も見た』と言っていたそうです」


「何人くらい?」


「分からないそうです」


「顔は同じ?」


「違う」


「年齢も?」


「違う」


「性別は?」


女が少し黙った。


「それも違ったそうです」


透はペンを止めた。


「それなら、同じ名前を使っていた?」


「そうかもしれません」


「何のために?」


「それは聞いていないそうです」


透は椅子にもたれた。


同じ名前。


違う人間。


それだけなら、珍しいことではない。


同姓同名は普通に存在する。


だが、弟がわざわざ調べていた。


しかもN―07と一緒に。


そこには何か理由がある。


ただ、その理由が何なのかはまだ分からない。


「もう一つ」


女が言った。


「弟が、その名前について『会ったことがある』と言っていたそうです」


「本人に?」


「元同僚は、そう理解したそうです」


「でも?」


「弟は、その後にこう言ったそうです」


「何と?」


女は一度息を吸った。


「『会った人と、同じ名前を使っている人が別にいる』」


透は黙った。


「それだけ?」


「はい」


「元同僚は、その人を見たことがありますか」


「ありません」


「弟は?」


「分かりません」


電話が切れた。


透は椅子から立ち上がった。


そして、古い会社へ向かった。


以前話をした年配の男に会うためだった。


「また来ましたね」


「はい」


透は一枚の紙を差し出した。


「この名前について、知っていますか」


男は紙を見た。


しばらく黙っている。


「この名前だけでは、何とも言えません」


「N―07と一緒に書かれていました」


男の指が止まった。


「……そうですか」


「何か知っていますか」


「知っているというほどではありません」


「見たことはある?」


「あります」


「どこで?」


「管理室です」


「その名前は、誰が書いていましたか」


男は首を振った。


「覚えていません」


「一人ですか」


「複数です」


透は顔を上げた。


「複数?」


「同じ名前が、別々の書類にありました」


「同じ人間ではなく?」


「それが分からなかったんです」


「どうして?」


「所属が違っていたからです」


「所属?」


「会社も、住所も違いました」


透は黙った。


「でも、名前だけは同じだった?」


「はい」


「それで、どう処理したんですか」


男は少し困ったように笑った。


「処理できませんでした」


「できなかった?」


「確認する必要があると思ったんです」


「確認したんですか」


「しようとしました」


「結果は?」


男は答えなかった。


透は急かさなかった。


しばらくして、男が言った。


「確認しないことになりました」


「誰が決めたんですか」


「分かりません」


「記録は?」


「残っていません」


透は目を閉じた。


また、そこだった。


確認しようとした。


けれど、確認しないことになった。


誰が決めたのか分からない。


結果だけが残っている。


「その時の記録に、N―07はありましたか」


「ありました」


「所在確認?」


「違います」


「では?」


男は少し考えた。


「照合不要、だったと思います」


透はその言葉を聞いて、すぐに聞き返した。


「照合不要?」


「はい」


「所在確認不要とは違う?」


「違います」


「どう違うんですか」


「所在確認不要は、その人の場所を確認しなくていいという意味です」


男は続けた。


「照合不要は、同じ名前が同じ人間なのか確認しなくていい、という意味です」


透は紙を見た。


それなら、今までの記録の見え方が少し変わる。


名前がある。


番号がある。


けれど、その名前と人間を結びつける作業そのものをしない。


つまり、


名前が人を指しているとは限らない。


「その処理は、誰のために必要だったんですか」


男は答えなかった。


透は聞き方を変えた。


「その処理をすると、誰が困らなくなりますか」


男はしばらく考えた。


「……処理する側でしょうね」


「なぜ?」


「同じ名前の人間を一人ずつ確認しなくていいからです」


透は頷いた。


「でも、それだと別人を同じ人間として扱うこともできる」


「はい」


「逆に、同じ人間を別人として扱うことも?」


男は透を見た。


「できます」


その言葉は静かだった。


けれど、透には重かった。


同じ人間を別人として扱える。


別人を同じ人間として扱える。


どちらも、名前と番号の組み合わせだけなら可能になる。


透はしばらく考えた。


「その処理を知っている人間は、今もいますか」


「いると思います」


「名前は?」


「分かりません」


「誰に聞けばいいですか」


男は少し迷った。


「昔の記録を管理していた人間です」


「その人はどこに?」


「もう会社にはいません」


「連絡先は?」


男は答えなかった。


透はそれ以上聞かなかった。


帰り際、男が言った。


「一つだけ、覚えていることがあります」


透が振り返る。


「何ですか」


「その時、管理室にいた人間が言っていました」


「何と?」


「『名前を合わせる必要はない。必要なのは、処理を合わせることだ』と」


透は黙っていた。


それは、弟のノートにあった言葉とは反対に見えた。


名前が同じなら、人も同じだと思うな。


名前が違っても、人が違うとは限らない。


そして、


名前を合わせる必要はない。


処理を合わせる。


透は建物を出た。


駅へ向かう途中、女から新しいメッセージが届いた。


弟のノートに、もう一つページがありました。


透は足を止めた。


続きが届く。


さっき見つけた名前のことではありません。


別の名前です。


透は画面を見つめた。


でも、その名前の横にもN―07があります。


そして最後に、


この二つの名前は、どちらも弟の字です。


透はしばらく返信しなかった。


一つの名前なら、偶然かもしれない。


二つの名前なら、偶然だけでは説明できないかもしれない。


だが、それでもまだ、二人の人間がいるとは限らない。


透はスマートフォンをしまった。


そして歩き始めた。


今度は、名前そのものではなく、


なぜ弟が二つの名前を同じ番号の横に書いたのか。


そこから調べる必要があった。

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