第四章 消えた記録
その日の仕事中、透は何度も手を止めそうになった。
頭の中には、朝の出来事が残っていた。
恒一は「何も起きていない」と言った。
声も、表情も、いつもと変わらなかった。
だからこそ、透は余計に気になった。
もし本当に何も起きていないのなら、なぜあのカードを見た瞬間、恒一の表情が変わったのか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
昼休みになり、透は食堂へ向かった。
席に座ると、向かいから一人の女性がやってきた。
「ここ、空いてる?」
「え?」
「嫌ならいいけど」
「いえ、大丈夫です」
女性は椅子を引いて座った。
透は彼女を知らなかった。
少なくとも、これまで話したことはない。
「あなた、南区の近くにいたでしょう?」
透の手が止まった。
「……どうして?」
「今朝、見たから」
女性は淡々と答えた。
「あなたと、もう一人の男性」
「恒一さんのことですか?」
「名前までは知らない」
彼女は周囲を一度見回した。
「南区に行ったの?」
「行ってません」
「そう」
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「昨日、弟が南区に入ったから」
「弟さんが?」
「うん」
女性はスプーンを置いた。
「三年前に閉鎖された場所なのにね」
透は何も言えなかった。
「弟さんは、今どこに?」
「分からない」
「……」
「昨日の夜から連絡がない」
女性は笑わなかった。
泣きもしなかった。
ただ、静かに食事を続けている。
「管理局には?」
「聞いた」
「何て?」
「そんな人物は登録されていないって」
透は顔を上げた。
「登録されていない?」
「弟の名前を伝えたら、そんな人は存在しないと言われた」
「でも……」
「私は知ってる」
女性は透を見る。
「昨日まで一緒にいたから」
その言葉に、透は返事ができなかった。
しばらく沈黙が続いた。
やがて女性は立ち上がった。
「あなた、昨日何か見たでしょう?」
「……」
「もし何か分かったら、教えて」
「僕には……」
「無理にとは言わない」
女性はそう言って、食堂を出ていった。
透は一人残された。
弟。
存在しない人物。
閉鎖された南区。
消えた配送記録。
そして、外部作業員用のカード。
すべてがつながっているように思えた。
だが、どこから考えればいいのか分からない。
仕事が終わると、透は倉庫へ戻った。
昨日のコンテナを確認する。
棚の奥。
そこに置いたはずだった。
しかし――
ない。
「……え?」
棚を一つずつ確認する。
ない。
周囲を探す。
やはりない。
透は管理端末を操作した。
昨日の配送記録を検索する。
該当なし。
コンテナの管理番号を入力する。
該当なし。
まるで、最初から存在しなかったかのようだった。
透はしばらく立ち尽くした。
そして、初めて自分から管理局の端末を開いた。
南区第七居住棟。
検索する。
結果が表示された。
――該当施設は存在しません。
透は画面を見つめた。
三年前に閉鎖されたのではない。
最初から存在しなかった。
そういう記録になっていた。
そのとき、端末の画面に新しい通知が表示された。
送信者――不明。
本文は、たった一行だった。
『南区を調べるなら、誰にも言うな。』
透の指が止まった。
そして、その下にもう一行。
『特に、白石恒一には。』




