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嘘の向こう側  作者: 亀


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第三十六章 誰が決めたのか

翌朝、透は昨日の白石との会話を何度も思い返していた。


「人が自分で決めた場所を、記録するためにも使われていた」


その言葉だけが、頭から離れなかった。


弟の記録には、


所在確認:不要


と書かれていた。


そして、その横には、


本人申告による


とある。


もし本当に本人が申告したのなら、弟自身が自分の所在を他人に確認されない状態を選んだことになる。


だが、それだけではない。


誰かが本人にそうするよう勧めた可能性もある。


本人は別の意味で申告したのかもしれない。


あるいは、本人にはその処理が何を意味するのか知らされていなかったのかもしれない。


記録だけを見ても、その違いは分からない。


透は紙を一枚取り出した。


そこに三つの言葉を書いた。


本人が決めた。


誰かに勧められた。


誰かに決められた。


その下に、さらに書き足した。


記録上は、全部同じになる。


ペンを置いた。


そこで、スマートフォンが鳴った。


女からだった。


「今、少し話せますか」


「はい」


「昨日の件で、一つ見つかりました」


「何ですか」


「弟の会社の古い規程です」


透は姿勢を正した。


「どんな規程ですか」


「所在確認についてです」


「何と書いてありますか」


女は紙をめくる音をさせた。


「『本人の申告により所在確認を不要とする場合、確認者を置かない』」


透は黙った。


「確認者を置かない?」


「はい」


「つまり、誰が処理したか分からない」


「そういうことだと思います」


透は昨日の記録を思い出した。


処理端末はN―07。


確認者は空欄。


本人申告。


所在確認不要。


すべてが、同じ仕組みの中に入っている。


「その規程は、いつ作られたものですか」


「日付が古いです。弟が入社するより前です」


「誰が作ったんですか」


「会社名が違います」


「旧会社?」


「はい」


透は少し考えた。


会社は変わった。


建物は残った。


番号も残った。


記録の形式も残った。


だが、その間に働いていた人間は入れ替わっている。


「規程を使った記録は、弟さんだけですか」


「いいえ」


女は答えた。


「他にもあります」


「何人くらい?」


「古いものまで含めると、かなりあります」


透は立ち上がった。


「それなら、弟だけを特別に扱ったとは限らないですね」


「はい」


女の声が少し静かになった。


「でも、弟の記録には一つだけ違うところがあります」


「何ですか」


「処理された三日後に、南区へ行っています」


透は黙った。


「他の人は?」


「ほとんどは、そのまま普通の所在確認に戻っています」


「弟だけが戻っていない?」


「はい」


「戻っていない、というのは?」


「所在確認不要の状態が続いたままです」


透は窓の外を見た。


それなら、南区へ行ったこと自体が最初の出来事ではない。


その三日前から、弟はすでに普通の記録から外れていた。


南区は、その後に起きたことだった。


「弟さんは、南区へ行く前から、何かを準備していたのかもしれません」


女が言った。


透は少し考えてから答えた。


「かもしれません」


「それだけですか」


「はい」


「もっと何かあると思いませんか」


「思います」


透は正直に答えた。


「でも、思うことと、分かっていることは別です」


電話の向こうで、女が少し笑った。


「最近、そういう言い方をしますね」


「そうですか」


「前は、すぐに誰かを疑っていた気がします」


透は黙った。


確かに、以前ならそうだったかもしれない。


記録が消えれば、誰かが消したと思った。


警告が来れば、誰かが止めようとしていると思った。


誰かが隠していれば、何かを知っていると思った。


けれど、今は少し違う。


隠していることと、嘘をついていること。


知っていることと、決めたこと。


本人が選んだことと、本人が選んだように見えること。


それらは、同じではない。


「一つ聞いていいですか」


女が言った。


「はい」


「もし弟が、自分で所在確認を不要にしたのだとしたら、どうしますか」


透は答えなかった。


しばらく考えてから、言った。


「本人に聞きます」


「見つかったら?」


「はい」


「弟が『探さないでほしかった』と言ったら?」


透は窓の外を見た。


「その時は、考えます」


「どうするか決めないんですか」


「今決めても、意味がないと思います」


電話の向こうが静かになった。


「そうですね」


女が言った。


「まだ、見つかっていませんから」


二人は電話を切った。


透は机に戻った。


古い鍵を手に取った。


N―07。


そして、もう一度紙を見る。


本人申告による。


その言葉を見ながら、透はふと別の可能性に気づいた。


「本人申告」は、


本人が自分で申告した、


という意味とは限らない。


本人から聞いた内容を、誰かが申告した。


本人の名前を使って、誰かが処理した。


本人が一度話した内容を、後から別の人間が申告として扱った。


記録する側にとっては、すべて同じ形式にできてしまう。


透はその考えを女に伝えようとして、やめた。


まだ伝えるには早い。


自分が思いついただけの可能性だからだ。


代わりに、古い会社の規程をもう一度読み返した。


そこには、最後に小さな注記があった。


「本人確認を必要としない場合、申告内容の真偽を別途確認する必要はない。」


透はその一文を何度も読んだ。


確認しない。


確認する必要もない。


それは、嘘を許すための仕組みなのか。


それとも、本人の選択を尊重するための仕組みなのか。


どちらとも言えなかった。


ただ一つだけ分かった。


この仕組みの中では、


真実かどうかを確認しないこと自体が、正式な処理になる。


透は紙を折った。


その時、スマートフォンに新しい通知が入った。


白石からだった。


「N―07について、少し話したい。」


透は画面を見た。


以前なら、すぐに会いに行っていた。


今は違った。


返信する前に、透は一度考えた。


白石が何を知っているのか。


それを聞く必要があるのか。


そして、自分は何を伝えるつもりなのか。


しばらくして、透は短く返した。


「分かりました。こちらから場所を決めます。」


送信した。


自分で場所を決めた。


それだけのことだった。


けれど今の透にとっては、それも一つの記録だった。

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