第345章 受け取らなかった理由
「受け取らない」と書かれた紙が入ってから、二日が過ぎた。
海はその紙を、他の二枚とは別に保管していた。
誰が書いたのか分からない。
誰に向けた言葉なのかも分からない。
ただ、その意思だけは残っていた。
昼前、湊が記録を整理していると、一人の男性が訪ねてきた。
「以前、ここに封筒を預けた人から連絡はありましたか?」
海は確認した。
「どの封筒ですか?」
男性は少し迷った。
「『生きている』と書かれていたものです」
「その人からは連絡がありません」
「そうですか」
男性は帰ろうとした。
海は呼び止めなかった。
しかし、男性は入口の前で立ち止まった。
「一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい」
「もし、その人が返事を受け取りたくないと言ったら、どうなりますか?」
「返事を渡しません」
「理由を聞かない?」
「本人が話したいなら聞きます」
男性は頷いた。
「そうですか」
「何か心当たりがありますか?」
男性は少し考えた。
「昔、私も同じことをしたことがあります」
「返事を受け取らなかった?」
「はい」
「どうして?」
男性はすぐには答えなかった。
「返事を受け取ったら、次に自分が返事をしなければならないと思ったからです」
海は黙って聞いた。
「何かを終わらせたかったんです」
「返事が来ること自体が嫌だった?」
「そういうわけではありません」
男性は苦笑した。
「返事が来たら、また始まってしまう気がしたんです」
「何が?」
「昔の関係が」
男性はそれ以上話さなかった。
「だから、受け取らなかった」
「はい」
「今は?」
男性は少し考えた。
「今でも、たぶん同じです」
そう言って帰っていった。
午後、今度は写真を預けていた女性が来た。
「調べた記録を一つ、返したいです」
海は紙を受け取った。
そこには、写真の人物と思われる名前と、現在の居住地域が書かれていた。
「本人だと確認できたんですか?」
「いいえ」
「では、なぜ返すんですか?」
女性は少し笑った。
「知りたい気持ちがなくなったわけではありません」
「はい」
「でも、ここまで調べたら、自分が相手の生活に入り込もうとしている気がしてきました」
「それで?」
「今は、これ以上調べません」
海は紙を封筒に戻した。
「記録は残しますか?」
「残してください」
「探すことをやめたことも?」
「はい」
女性は少し考えてから付け加えた。
「でも、もし向こうから連絡が来たら、話は聞きます」
海はその言葉も記録した。
女性が帰ったあと、湊が言った。
「探さないけど、連絡は受け取る」
「はい」
「さっきの男性とは逆ですね」
「そうですね」
「同じように見えて、違う」
海は記録を閉じた。
夕方、例の少年から手紙が届いた。
短い手紙だった。
――父のことを伝えてください。
その下に、
――返事はいりません。
と書かれていた。
海は少し考えた。
少年は以前、父の死と名前だけを伝えてほしいと言っていた。
今度は、返事を求めないことまで明確にした。
海は記録を更新した。
――父が亡くなったことを伝える。
――父の名前を伝える。
――返事を求めない。
その夜、海は三つの封筒を並べた。
一つは、返事を受け取らない人。
一つは、探さないが連絡は受け取る人。
一つは、伝えるが返事を求めない人。
それぞれが違う距離を選んでいた。
翌朝、最初の男性が戻ってきた。
「昨日、言い忘れたことがあります」
「何でしょう?」
男性は机の上を見た。
「もし、あの封筒が見つかったら」
「はい」
「中身は、私には見せないでください」
海は頷いた。
「分かりました」
「でも、誰かが受け取ったことだけは教えてください」
「誰が受け取ったかは?」
「それも、教えなくていいです」
男性は少し笑った。
「受け取った人がいる。それだけでいいです」
海はその希望を記録した。
そして、男性が帰ったあと、海は封筒の中にある三枚の紙を確認した。
一枚目。
――生きている。
二枚目。
――返事は、これだけです。
三枚目。
――受け取らない。
海は三枚を元の順番に戻した。
誰が誰に向けて書いたのか。
まだ分からない。
ただ、言葉を受け取ることにも、受け取らないことにも、それぞれ理由があることだけは、少しずつ記録に残り始めていた。




