第342章 返事を選ぶ人
三日後、少年が再び来た。
「昨日のことを、少し考えました」
海は顔を上げた。
「何を考えましたか?」
「父が探していた人が生きているかもしれない、という話です」
「はい」
「僕は最初、それだけ分かれば十分だと思いました」
「今は?」
「少し違います」
少年は椅子に座った。
「もし本当にその人なら、父が最後に会いたかった理由を聞いてみたい」
海は黙って聞いた。
「でも、その人が話したくないなら、聞きません」
「どうして?」
「父のために探しているけど、その人の人生まで父のために使わせる必要はないと思ったので」
海は頷いた。
「それなら、何を伝えたいですか?」
少年は少し考えた。
「父が亡くなったことだけ」
「名前は?」
「父の名前も伝えたいです」
「会いたいとは?」
「言わなくていいです」
海は記録した。
――父が亡くなったことを伝えてほしい。
――父の名前を伝えてほしい。
――面会の希望は伝えない。
少年は書かれた内容を確認した。
「これでお願いします」
「分かりました」
少年が帰ったあと、湊が言った。
「前とは変わりましたね」
「はい」
「最初は何も伝えたくなかったのに」
「考える時間があったからかもしれません」
「人の気持ちは、変わるものですね」
「変わらないこともあります」
午後、今度は例の男性が来た。
「伝言を取り下げたことについて、もう一つ訂正したい」
海は記録を開いた。
「どうしますか?」
「『連絡を希望しない』ではなく、『自分から連絡するつもりはない』にしてください」
「意味が違いますね」
「はい」
「相手から連絡が来ることは拒まない?」
「そこまでは決めていません」
海は記録を訂正した。
男性は紙を見た。
「これなら今の自分に近いです」
「分かりました」
男性は帰った。
その日の夕方、写真を預けた女性も戻ってきた。
「写真を返してください」
海は封筒を渡した。
女性は受け取ったが、すぐには帰らなかった。
「やっぱり、探してみようと思います」
「誰を?」
「この写真の人です」
「理由は?」
女性は写真を見た。
「会いたいかどうかは、まだ分かりません」
「それでも?」
「生きているかどうかくらいは、自分で確認したい」
「本人に会うことまで決めているわけではない?」
「はい」
海は頷いた。
「どこまで探しますか?」
女性は考えた。
「今分かっている記録だけ」
「それ以上は?」
「その先は、そのとき決めます」
海は古い記録を取り出した。
名前は分からない。
住所も古い。
ただ、写真が撮られた場所だけは分かっていた。
女性はそれを見た。
「ここから先は自分で調べます」
「分かりました」
「もし、何か分かったら?」
「知らせてもいいです」
女性は少し笑った。
「ありがとうございます」
女性が帰った後、海は机の上を整理した。
一人は、
「父の死だけを伝えてほしい」
一人は、
「自分からは連絡しない」
一人は、
「生きているかだけ確認したい」
三人とも、以前とは少し違う選択をしていた。
その夜、海は古い記録を閉じた。
すると、封筒の下から一枚の紙が出てきた。
――生きている。
昨日の匿名の紙だった。
海はそれをしばらく見た。
そして、紙の裏側に新しい文字があることに気づいた。
小さく、薄い文字だった。
――返事は、これだけです。
海はその紙を裏返したまま、机の上に置いた。
誰が書いたのかは、まだ分からない。
ただ、その言葉を受け取る側が、どんな返事をするかは決まっていなかった。




