第338章 同じ名前の返事
二日後の朝、二つの封筒のうち一つに返事が届いた。
差出人の名前は書かれていなかった。
中には短い紙が一枚だけ入っていた。
――その名前について、私に確認しないでください。
海は紙を読み終えると、封筒に戻した。
誰からの返事なのか。
どうしてその名前を知っているのか。
それ以上は書かれていなかった。
湊が横から覗いた。
「拒否ですか?」
「そうだと思います」
「誰が拒否したのかは?」
「分かりません」
「でも、返事は来た」
「はい」
湊は少し考えた。
「じゃあ、名前を伝えたこと自体は間違いじゃなかった?」
海は答えなかった。
返事が来たことと、伝えてよかったことは別だった。
昼過ぎ、昨日の男性が再び来た。
「返事はありましたか?」
海は確認した。
男性がどちらの封筒について聞いているのか、すぐには分からなかった。
「どの名前についてですか?」
男性は名前を言った。
海はもう一つの封筒を確認した。
「まだ返事はありません」
「そうですか」
男性は少し残念そうだった。
「では、もう一度だけ伝えてください」
「同じ名前を?」
「はい」
「理由は?」
男性はしばらく黙った。
「前回は、自分の名前だけ伝えればいいと思ったんです」
「今は?」
「一度だけ話したい、と伝えてほしい」
海は紙を取り出した。
「今の希望を記録しますか?」
「はい」
男性は名前を書いた。
その下に、
――一度だけ話したい。
と書いた。
海はそれを受け取った。
「以前の伝言とは別のものとして扱います」
「分かりました」
男性が帰ったあと、湊が言った。
「前は言わなかったのに、今回は伝えるんですね」
「本人の希望が変わりました」
「昨日と今日で?」
「はい」
「それでも記録を残す?」
「前の希望も残っています」
湊は記録を見た。
そこには、
――名前のみ伝えてほしい。
その下に、
――現在は、一度だけ話したいとの希望。
と書かれていた。
「前の記録を消さないんですね」
「消す必要がありません」
「でも、今は違う」
「だから新しい記録を追加します」
その日の夕方、少年からも連絡があった。
「父の名前について、もう少し分かりました」
「何が分かったんですか?」
「父が亡くなる少し前に、その人から手紙が来ていたらしいです」
「手紙?」
「はい。でも、父は読まなかったそうです」
「誰から聞いたんですか?」
「母です」
海は少し黙った。
「手紙は残っていますか?」
「ありません」
「内容は?」
「分かりません」
「送り主の名前は?」
「それも分かりません」
少年は少し笑った。
「結局、何も分かっていないんです」
「そうですね」
「でも、一つだけ分かったことがあります」
「何ですか?」
「父は、その人から連絡が来る可能性を知っていた」
海は何も言わなかった。
少年は続けた。
「だから、父が一方的に探していたわけではないかもしれません」
「かもしれません」
「でも、これ以上は調べません」
「分かりました」
電話が切れた。
海は少年の名前を見た。
そして、少年が最初に書いた名前を見た。
二つの名前は別だった。
父の名前。
探している人の名前。
その間に、十年分の記憶と、残っていない手紙があった。
夜になって、海は返事の届いた封筒をもう一度開いた。
――その名前について、私に確認しないでください。
短い一文だった。
誰が書いたのかは分からない。
けれど、その名前を知っている人が、少なくとも一人いることだけは分かった。
海はその事実だけを記録した。
それ以上のことは、書かなかった。




