第324章 探さないという連絡
三日後、男から一枚の紙が届いた。
海は封筒を開ける前に、差出人の名前を確認した。
昨日まで何度も来ていた男だった。
中には短い文章が書かれていた。
――探すのをやめます。
理由は書かれていなかった。
海はその紙を記録に挟んだ。
湊が横から覗いた。
「本当にやめたんでしょうか」
「今は、そう決めたのでしょう」
「連絡してきたということは、何か理由があったのかもしれません」
「そうかもしれません」
海は紙を裏返した。
何も書かれていない。
昼過ぎ、男本人がやって来た。
「手紙、届きましたか?」
「はい」
「昨日、少し考えました」
男は椅子に座った。
「もし見つけても、何を言えばいいのか分からなくなったんです」
「謝る?」
「それも考えました」
「昔のことを話す?」
「それも」
「何も言わない?」
男は苦笑した。
「それも考えました」
海は黙って待った。
「それで、思ったんです」
男は窓の外を見た。
「俺が会いたいと思っていることと、相手が会いたいと思っていることは、別なんですよね」
「はい」
「昔は、それを一緒に考えていました」
「今は?」
「別々に考えたほうがいいと思っています」
海は頷いた。
男は少し安心したように息を吐いた。
「だから、探すのをやめます」
「記録も消しますか?」
男は驚いた。
「消せるんですか?」
「あなたが書いたものについては、扱いを相談できます。ただ、過去に作られた記録そのものを消せるとは限りません」
「そうですか」
「残しておきたいものはありますか?」
男は考えた。
「名前だけ」
「理由は?」
「いつか本人が自分で来たとき、ここに記録があったことを知れるかもしれないから」
海はその言葉を書き留めた。
「本人に知らせるために探すのではなく?」
「はい」
「本人が来た場合だけ?」
「はい」
「分かりました」
男は立ち上がった。
「これで終わりです」
そう言って帰ろうとした。
入口まで行ったところで、振り返った。
「海さん」
「はい」
「もし、本人が来て、俺のことを聞いたら」
海は待った。
「どうしますか?」
「……何も言わなくていいです」
「何も?」
「本人が聞きたいなら、俺が書いたものを見せてください」
「それだけですか?」
「はい」
男は少し考えた。
「いや」
「はい」
「最初に、一つだけ聞いてください」
「何を?」
「俺に会いたいかどうか」
海は頷いた。
「分かりました」
男はそれ以上何も言わずに帰った。
その日の夕方、一人の女性が窓口に来た。
「古い名前について、確認したいことがあります」
海は顔を上げた。
女性は紙を一枚差し出した。
そこには、昨日まで探されていた名前とは違う名前が書かれていた。
「この人を知っていますか?」
海は記録を確認した。
「どうして、この名前を?」
女性は少し迷った。
「昔、この名前で呼ばれていた人を知っています」
「本人ですか?」
「分かりません」
「今、その人を探していますか?」
女性は首を振った。
「探していません」
「では、何を確認したいのでしょう」
女性は紙を見た。
「この名前を、もう使っていないことだけ確認したいんです」
海は少し考えた。
「名前を使っていないことを確認するのは難しいです」
「そうですよね」
「現在の名前を確認したいわけではありませんか?」
「違います」
「では?」
女性は静かに答えた。
「昔の名前を、もう本人に返してあげたいんです」
湊が顔を上げた。
女性は続けた。
「その名前で呼ばれるのが嫌だったんです」
「本人が?」
「本人です」
「そう聞いた?」
「はい」
海は紙を受け取った。
そして、昨日までとは違う種類の記録を作った。
名前を探すためではない。
名前を使わないという本人の意思を残すための記録だった。




