第323章 一度だけの確認
翌朝、古い転出記録について新しい情報が入った。
湊が一枚の紙を持ってきた。
「昨日の人のことです」
海は紙を受け取った。
「何か見つかりましたか?」
「転出先ではありません」
「では?」
「転出した日の記録に、別の名前が残っています」
海は記録を確認した。
古い名前の横に、現在は使われていない別の名前が書かれていた。
「この名前は?」
「分かりません」
「同じ人かどうかも?」
「確認できません」
海は二つの名前を並べた。
「関係を示す記録はありますか?」
「ありません」
「では、同一人物として扱わないでください」
「はい」
湊は紙を戻した。
「でも、探している人に伝える価値はありますか?」
海は少し考えた。
「その名前が何を意味するのか分からない以上、伝えると余計な想像を生むかもしれません」
「分かりました」
昼前、昨日の男が再び来た。
「何か分かりましたか?」
海は昨日までに確認できた情報だけを伝えた。
「転出記録はあります。ただし、現在の名前や行き先は確認できません」
男は頷いた。
「そうですか」
「一つ、別の名前が記録に残っています」
男が顔を上げた。
「その名前は?」
海は答える前に続けた。
「ただし、同一人物だという確認はありません」
男はしばらく考えた。
「教えてください」
海は名前を伝えた。
男の表情が変わった。
「……知っています」
「本人ですか?」
「分かりません」
「どこで知りましたか?」
「昔、あいつが使っていた名前です」
湊が記録を確認した。
「それなら、同じ人かもしれませんね」
男は首を振った。
「違うかもしれない」
海は男を見た。
「どうしてですか?」
「その名前を使っていた頃、あいつは別の場所にいました」
「時期は?」
「ちょうど十二年前です」
海は記録を見た。
転出記録の日付と近かった。
それでも、確定はできない。
「本人に確認したことはありますか?」
「ありません」
「では、今の段階では可能性だけです」
男は頷いた。
「分かっています」
しばらく沈黙が続いた。
「探しますか?」
海が聞いた。
男は答えなかった。
「昨日は、もう一度だけ確認したいと言っていました」
「はい」
「今日、その名前を知りました」
「はい」
「それでも探したいですか?」
男は目を閉じた。
「……分かりません」
海は紙を机の上に置いた。
「それでいいと思います」
「いいんですか?」
「分からないまま決める必要はありません」
男は長く黙っていた。
「昔は、答えが欲しかったんです」
「はい」
「今は、答えを知ったあと、自分が何をするのかが怖い」
海は何も言わなかった。
「会えたら、謝りたいと思っていました」
「今も?」
「分かりません」
男は笑った。
「十二年も経つと、謝りたいのか、謝ったことにしたいのか、自分でも分からなくなります」
「それも、本人に会ってみないと分からないかもしれません」
男は頷いた。
「そうですね」
男は立ち上がった。
「今日は、探しません」
海は頷いた。
「分かりました」
「でも、名前は残しておいてください」
「必要な記録として?」
「はい」
「分かりました」
男が帰ったあと、湊が言った。
「昨日は探したいと言って、今日は探さないと言いました」
「はい」
「どちらが本当なんでしょう」
海は記録を閉じた。
「今日の本人は、今日の気持ちを話しただけです」
「じゃあ、明日は?」
「明日は明日のことを決めればいい」
夕方、海は二つの名前が書かれた記録を別々に保管した。
同じ人かもしれない。
別の人かもしれない。
今は確かめられない。
そして、確かめないことを選ぶ人もいる。
その選択も、記録の一つとして残された。




