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嘘の向こう側  作者: 亀


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第322章 探している理由

男は、海の前に座ったまま黙っていた。


名前を書いた紙だけが、机の上に置かれている。


「その人を探している理由を、話せますか?」


海が聞くと、男は首を振った。


「話したくないわけではありません」


「はい」


「自分でも、よく分からないんです」


海は紙を片付けなかった。


「では、分かることだけで大丈夫です」


男は少し考えた。


「昔、一緒にいました」


「家族ですか?」


「違います」


「友人?」


「たぶん」


「たぶん?」


「友人だったと思います」


男は苦笑した。


「でも、最後に会ったときは、喧嘩をしました」


海は何も言わなかった。


「それから、連絡が取れなくなりました」


「どのくらい前ですか?」


「十二年くらい」


「それから、探したことは?」


「何度か」


「見つかりませんでしたか?」


「はい」


男は机の上の紙を見た。


「だから、もう探さなくてもいいと思っていました」


「それでも、今日は来た」


「最近、名前を見たんです」


「どこで?」


男は少し迷った。


「古い記録です」


海は記録の種類を聞かなかった。


「その名前が、本人のものだと思ったんですか?」


「分かりません」


「似た名前の可能性も?」


「あります」


「それでも確認したい?」


男は頷いた。


「生きているかだけでも」


海は名前を記録した。


「現在の名前が分からない場合、探すのは難しいです」


「はい」


「昔の住所は?」


「あります」


「本人の意思について、何か知っていますか?」


男は首を振った。


「知りません」


「会いたくないと言っていたことは?」


「……最後に、もう来るなと言われました」


湊が顔を上げた。


男は続けた。


「だから、今まで探さなかったんです」


「それでも、今日来た」


「はい」


「理由は?」


男はしばらく黙っていた。


「その言葉が、本当に最後の言葉だったのか、分からなくなったからです」


海は少し考えた。


「十二年前の言葉を、今の意思として扱うことはできません」


男は頷いた。


「でも、無視することもできない」


「はい」


「だから、知りたいんです」


海は紙に一行だけ追加した。


「過去に本人から接触を拒否されたという申告あり」


男はそれを見た。


「そんなことまで書くんですか?」


「確認に必要なら」


男は少し考えた。


「では、書いてください」


その日の午後、海は古い記録を調べた。


名前は見つかった。


しかし、その人物がその名前を現在も使っている証拠はなかった。


以前の居住地も見つかった。


そこには別の人が住んでいた。


さらに調べると、十年ほど前に一度だけ転出記録があった。


転出先は記録されていない。


湊が言った。


「ここまでですか?」


「今のところは」


「探している人に伝えますか?」


「分かったことだけ伝えます」


男は夕方に戻ってきた。


「何かありましたか?」


海は記録を見せた。


「以前、この名前の人がここにいた記録があります」


男は息を吐いた。


「やっぱり……」


「ただし、現在も同じ名前を使っているかは分かりません」


「はい」


「十年ほど前に転出した記録があります」


「行き先は?」


「ありません」


男はしばらく黙った。


「生きている可能性は?」


「分かりません」


「死んだ可能性は?」


「それも分かりません」


男は俯いた。


しばらくして、笑った。


「結局、何も分からないですね」


「はい」


「でも、ここにいたことは分かった」


「はい」


男は紙を見た。


「それだけでもいいです」


帰る前に、男が言った。


「もし、本人が見つかって、会いたくないと言ったら」


海は待った。


「そのときは、もう探しません」


「今は?」


「今は、もう一度だけ確認したいです」


海は頷いた。


「分かりました」


男が帰ったあと、湊が聞いた。


「一度だけって、どういう意味でしょう」


「本人に聞いてみないと分かりません」


「でも、探す人の言葉も変わるんですね」


海は記録を閉じた。


「人の意思は、昔の記録だけでは決まりません」


机の上には、十二年前の拒絶と、今日の探索が並んでいた。


どちらも消すことはできない。


そして、どちらか一方だけを現在の答えにすることもできなかった。

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