第321章 覚えている人
数日後、受付に一人の女性が来た。
「写真のことで、少し聞きたいことがあります」
海は保管棚から写真を取り出した。
女性は写真を見るなり、真ん中に写っている人物を指差した。
「この人、知っています」
「本人ですか?」
「はい」
「どこで知り合いましたか?」
「避難所です」
海は昨日の記録を思い出した。
「以前、誰かを待っていたという話がありました」
女性は少し驚いた顔をした。
「待っていた?」
「そう聞いています」
「違います」
返事は早かった。
「その人は、誰かを待っていたんじゃありません」
海は記録用の紙を閉じた。
「何をしていたんですか?」
「人を避けていたんです」
「誰から?」
「分かりません」
女性は写真を見たまま続けた。
「毎日同じ場所にいたのは、そこに人が少なかったからです」
「本人から聞いたんですか?」
「はい」
「いつ?」
「何度か話しました」
女性は少し笑った。
「でも、名前は聞きませんでした」
海は頷いた。
「名前を知らない?」
「知らないです」
「それでも本人だと分かりますか?」
女性は写真を見た。
「顔は覚えています」
海は写真をしまった。
「では、『本人から、人を避けるためにその場所にいたと聞いた』と記録します」
女性は頷いた。
「それでお願いします」
昼過ぎ、昨日の男性が再び来た。
「昨日の話、少し訂正したいです」
海は記録を確認した。
「誰かを待っていたように見えた、という話ですね」
「はい」
「訂正しますか?」
「お願いします」
男性は少し困った顔をした。
「今思えば、待っていたかどうかは分かりません」
「では、どう書きますか?」
「毎日同じ場所にいたのを見た、だけで」
海は記録を書き直した。
「分かりました」
男性は帰る前に言った。
「僕は、勝手に意味をつけていたんですね」
「そうかもしれません」
「でも、そのときは本当にそう思ったんです」
「それも記録しておけます」
男性は少し笑った。
「じゃあ、それでお願いします」
夕方、写真に写っていた男性について話した老人も来た。
「この前、元気だったと伝えてほしいと言いましたけど」
「はい」
「やっぱり、それも伝えなくていいです」
「分かりました」
「その人が今どうしているか、知らないほうがいい気がしてきました」
海は頷いた。
「伝えないということで記録しますか?」
「それもいらないです」
「分かりました」
老人は少し迷ってから言った。
「でも、昔一緒に働いていたことだけは、覚えていてください」
「それはできます」
老人は帰っていった。
夜になり、湊が三つの記録を並べた。
一つ目は、
「その場所で誰かを待っていたように見えた」
二つ目は、
「本人から、人を避けるためにそこにいたと聞いた」
三つ目は、
「昔、一緒に働いていた」
湊は首を傾げた。
「全部違いますね」
「はい」
「どれが正しいんでしょう」
海は一枚目の記録を見た。
「最初の人は、そう見た」
二枚目を見る。
「次の人は、本人から聞いた」
三枚目を見る。
「最後の人は、一緒に働いていた」
湊は黙った。
「全部、同じ種類の情報ではありませんね」
「そういうことです」
「じゃあ、全部残してもいい?」
「必要なら」
湊は三枚を別々の場所に戻した。
そのとき、受付の外から声が聞こえた。
「すみません」
二人が振り返ると、若い男が立っていた。
男は写真を見ていない。
ただ、受付の前に立って言った。
「昔、ここにいた人を探しています」
海は椅子を勧めた。
「名前は分かりますか?」
男は頷いた。
「はい」
「現在の名前ですか?」
「分かりません」
男は少し考えてから、古い名前を口にした。
湊の手が止まった。
その名前は、写真の裏に残されていた記録と一致していた。
海はすぐには返事をしなかった。
男は続けた。
「その人が、まだ生きているか知りたいんです」
海は静かに聞いた。
「見つかったら、どうしたいですか?」
男は答えなかった。
ただ、しばらく考えたあと、
「それも、分かりません」
と言った。
海はその言葉を聞いて、記録用の紙を一枚出した。
今度は、名前だけを書いた。
それ以上は、まだ書かなかった。




