第317章 戻ってきた荷物
その日の午後、一人の女性が大きな箱を抱えて受付に来た。
「これ、返したいんです」
海は箱を受け取った。
「昨日のものですか?」
「はい」
箱には、保存食、衣類、毛布、それから小さな子ども用の靴が入っていた。
「全部返しますか?」
「全部です」
「理由は?」
女性は少し迷った。
「必要なくなったので」
海は箱の中を確認した。
「昨日は必要だった?」
「はい」
「今日は?」
「もう必要ありません」
女性は箱の横に置かれた子ども用の靴を見た。
海は何も聞かなかった。
女性はしばらく黙っていた。
「子どもがいたんです」
「はい」
「昨日まで」
海は顔を上げた。
「今は?」
「親戚のところへ行きました」
女性は淡々と言った。
「ここより安全だから」
海は頷いた。
「それなら、返却理由は『必要なくなった』で記録します」
女性は少し驚いた。
「それだけでいいんですか?」
「他に残したいことがあれば、書けます」
「……いえ」
女性は首を振った。
「それだけでいいです」
荷物を受け取ると、女性は帰っていった。
しかし、二時間ほどして、また戻ってきた。
今度は一人ではなかった。
十歳くらいの男の子が隣に立っていた。
「すみません」
女性が言った。
「さっきの荷物なんですが」
「はい」
「一つだけ、戻してもらえますか?」
海は返却した箱を確認した。
「どれですか?」
男の子が小さく手を上げた。
「靴」
女性が振り返った。
「それはもう使わないでしょう?」
「使う」
男の子は短く答えた。
女性は何も言わなかった。
海は子ども用の靴を箱から出した。
男の子の足に合わせる。
少し大きい。
「履けます」
「はい」
海は靴を渡した。
男の子は靴を抱えた。
「ありがとう」
女性は息を吐いた。
「すみません」
「何がですか?」
「さっき、全部いらないと言ったので」
海は首を振った。
「必要なものが変わることはあります」
女性は男の子を見た。
「この子は、行きたくないと言っているんです」
男の子が口を開いた。
「行きたくない」
女性はしゃがんだ。
「でも、行ったほうがいいの」
「どうして?」
「安全だから」
「ここは危ないの?」
女性は答えなかった。
海も口を挟まなかった。
しばらくして、男の子が靴を抱えたまま言った。
「じゃあ、僕が行くって言うまで待って」
女性は困った顔をした。
「そんなこと言ってたら、いつになるか分からないよ」
「分からない」
男の子は母親を見た。
「だから、今決めたくない」
女性は黙った。
海は二人から少し離れたところで、返却された箱を整理していた。
しばらくして、女性が立ち上がった。
「今日は帰ります」
「はい」
「この子と、もう一度話します」
男の子は靴を履いた。
少し大きかった。
それでも歩けた。
二人が帰ったあと、湊が言った。
「結局、行くんでしょうか」
「分かりません」
「昨日は行くことが決まっていたんですか?」
「本人たちが決めたことなら、そうだったんでしょう」
「今日は?」
「今日は、まだ決まっていない」
湊は返却された箱を見た。
「同じ荷物なのに、意味が変わりましたね」
海は頷いた。
「荷物は同じでも、人の状況が違います」
夕方、女性だけがもう一度来た。
「明日、行くことにしました」
海は頷いた。
「靴は?」
「持っていきます」
「分かりました」
女性は少し笑った。
「この子が、自分で決めました」
海は何も言わなかった。
女性は受付を離れた。
外では、男の子が新しい靴を履いたまま待っていた。
昨日必要だったもの。
今日いらなくなったもの。
そして、今日になってまた必要になったもの。
それぞれの理由は、同じ箱の中には書かれていなかった。
それでも、箱の中身だけを見れば、何が起きたのかを想像することはできる。
海は、想像したことを記録には書かなかった。




