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嘘の向こう側  作者: 亀


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第311章 返す人

朝の配給所で、一人の男が紙袋を二つ抱えて立っていた。


「これ、返したいんですけど」


海は受付の奥から顔を上げた。


「二つともですか?」


「はい」


紙袋には、乾燥食品と保存用の水、それから簡単な薬が入っていた。


海は袋の中を確認した。


「何か問題がありましたか?」


「いえ」


男は少し考えてから首を振った。


「昨日は必要だったんです。でも、今朝になって、いらなくなりました」


海は袋を机の上に置いた。


「誰かに渡す予定でしたか?」


「そういうわけでもないです」


「では、どうして二つ受け取ったんですか?」


男は少し黙った。


「昨日は、二人いたので」


海はそれ以上聞かなかった。


男の後ろには、配給を待っている人が何人かいる。


受付を長く止める必要もなかった。


「返却として記録します」


「理由は?」


「必要なら書けます」


男は紙袋を見た。


「……『必要なくなった』でいいです」


海はそのまま記録した。


受け取った日。

返した日。

数量。

そして本人による返却理由。


それだけだった。


男が帰ったあと、隣で作業していた湊が言った。


「昨日は二人いたってことですよね」


「そう言っていました」


「今日は?」


海は答えなかった。


湊も、それ以上は聞かなかった。


昼前になると、別の女性がやって来た。


「すみません。昨日返した薬なんですけど」


海は記録を確認した。


「こちらですか?」


「はい。もう一度受け取れますか?」


「必要になったんですか?」


女性は頷いた。


「母が帰ってきました」


海は記録を確認した。


昨日、女性は薬を一袋返している。


理由は「使用予定がなくなった」。


今日、同じ薬を再び必要としている。


海は薬を準備した。


「前に返したものと同じ種類です」


「分かっています」


「では、受け取りを記録します」


女性は受け取った薬を鞄に入れた。


帰る前に、少し迷ってから言った。


「昨日、返したときに、理由をちゃんと書いてもらってよかったです」


「どうしてですか?」


「今日また受け取ったからです」


女性は笑った。


「昨日の記録だけを見ると、もう必要ない人に見えるでしょう」


海は少し考えた。


「そうかもしれません」


「でも、そうじゃなかった」


「昨日は、必要なかった」


女性は頷いた。


「そうですね」


それだけ言って、女性は帰っていった。


午後、記録を整理していると、湊が一枚の紙を持ってきた。


「これ、どうします?」


そこには昨日返却した男の名前があった。


返却数は二人分。


今日、別の場所から同じ名前の人について問い合わせが来ていた。


「同じ人かもしれません」


湊が言った。


「かもしれませんね」


「確認しますか?」


海は紙を見た。


問い合わせには、名前と以前の居住区だけが書かれている。


本人の現在地は分からない。


「必要な確認だけにしましょう」


「名前が同じなら、確認してもいいんじゃないですか?」


「確認すること自体が悪いわけではありません」


海は紙を裏返した。


「ただ、何を確認したいのかが分からないまま確認すると、別のものまで探すことになります」


湊は黙っていた。


海は問い合わせの紙に一行だけ書いた。


「返却記録あり。本人確認は未実施」


「これで返します」


「それだけですか?」


「今は」


湊は紙を受け取った。


「分かりました」


夕方になると、朝の男がもう一度来た。


今度は一人だった。


「さっきの返却なんですけど」


海が顔を上げる。


「はい」


「一つだけ、戻してもらえますか」


「昨日二人分受け取って、今日二つ返して、今度は一つですか?」


「はい」


男は少し困ったように笑った。


「事情が変わったので」


海は新しい袋を一つ準備した。


「理由は記録しますか?」


男はしばらく考えた。


「……昨日のことも、今日のことも、あまり書かないでください」


「返却と再受け取りの記録は必要です」


「それは分かっています」


男は袋を受け取った。


「でも、誰といたとか、誰がいなくなったとか、そういうことは書かないでほしいです」


海は頷いた。


「分かりました」


必要な記録だけを残した。


数量。

日付。

本人による返却。

本人による再受け取り。


それ以上は書かなかった。


男が帰ったあと、湊が言った。


「最初から何も聞かなかったほうがよかったのかもしれませんね」


海は記録を閉じた。


「聞いたことが間違いだったとも限りません」


「じゃあ、何が違うんですか?」


「聞いたあとに、何を残すかです」


湊はしばらく考えた。


受付の外では、夕方の人たちがそれぞれの荷物を持って帰っていく。


誰かは多く受け取り、

誰かは返し、

誰かは昨日と同じものを受け取り、

誰かは昨日と違うものを選んでいた。


同じ一日でも、必要なものは変わる。


海は最後の記録を書き終えた。


その横には、昨日の返却記録が残っていた。


消す必要はなかった。


昨日、返したことも事実だった。


今日、もう一度必要になったことも、同じように事実だった。

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