第298章 また今度
数日後、少女は学校に戻った。
朝、教室の扉を開けたとき、何人かの子供が振り返った。
「来た」
誰かが小さく言った。
少女は何も答えず、自分の席に座った。
教師も、特別な挨拶はしなかった。
「おはよう」
「おはようございます」
それだけだった。
授業が始まる。
昨日まで空いていた席に、今日は人がいる。
それだけで、教室の空気が少し変わった。
昼休み、一人の少女が隣に座った。
「もう大丈夫?」
少女は少し考えた。
「分からない」
「また休む?」
「分からない」
「先生が、無理に聞かなくていいって言ってた」
「うん」
「お兄ちゃんは?」
「仕事」
「一人で帰るの?」
「今日は迎えに来る」
隣の少女は頷いた。
「じゃあ、遊ぼう」
二人は校庭へ出ていった。
教師は少し離れた場所から見ていた。
特別なことはしなかった。
ただ、何かあればすぐに動けるようにしていた。
夕方。
少女の兄が迎えに来た。
「今日はどうだった?」
「普通」
「そうか」
「明日も行く」
兄は少し驚いた。
「そうか」
「うん」
帰ろうとしたところで、少女が立ち止まった。
「お兄ちゃん」
「何?」
「前の名前、まだ覚えてる?」
兄の顔が少し変わった。
「覚えてるよ」
「私も」
少女はそれだけ言った。
「でも、今の名前で呼ばれるほうが好き」
「分かった」
二人は歩き始めた。
その夜、倉庫では別の問題が起きていた。
新しく届いた食料の一部に、名前の違う二つの送り状が付いていた。
「同じ箱なのに、名前が違います」
湊が言った。
「どっちが正しい?」
「分かりません」
海は送り状を見比べた。
一つは三日前の日付。
もう一つは昨日の日付。
「内容は同じ?」
「同じです」
「数は?」
「同じ」
「じゃあ、なぜ名前が違う?」
「送り先が変わったんじゃないですか?」
「かもしれない」
湊は古い記録を探した。
しばらくして、一枚の紙を持ってきた。
「ありました」
そこには、三日前に予定されていた送り先が書かれていた。
「途中で変更されています」
「いつ?」
「昨日の朝です」
「変更した人は?」
「名前があります」
海はその名前を見た。
昨日、薬の件で倉庫に来た男性だった。
「本人に聞けば分かるかな」
「聞いてみます」
しばらくして男性が戻ってきた。
「送り先を変更しました」
「どうしてですか?」
「最初の場所では、受け取れなくなったからです」
「誰から連絡が?」
「電話です」
「誰ですか?」
男性は少し迷った。
「名前は聞いていません」
「では、なぜ変更したんですか?」
「急いでいると言われたので」
湊が言った。
「それだけで?」
「はい」
海は送り状を見る。
「問題ありませんか?」
「今のところは」
男性はそう答えた。
ところが、その直後に別の職員が走ってきた。
「海さん!」
「どうした?」
「最初の送り先から連絡が来ました」
「何て?」
「自分たちが受け取るはずだった荷物が届いていないそうです」
倉庫の空気が変わった。
男性が黙った。
「変更先には届いていますか?」
「まだ確認できていません」
「では、今から確認します」
海たちは記録を持って出た。
変更先に行くと、荷物は届いていた。
しかし、そこでは誰も注文していなかった。
「これは頼んでいません」
受け取った女性が言った。
「でも、送り状にはこちらの名前が」
「名前は合っています」
「では、なぜ?」
「分かりません」
また、分からないことが増えた。
海は電話をしたという人物を探した。
しかし、番号は残っていなかった。
送り先は変更されている。
荷物は届いている。
誰かが嘘をついた可能性もある。
ただ、誰が、何のために変更したのかは分からない。
夕方になって、最初の送り先の責任者が倉庫へ来た。
「どうして、うちの荷物を勝手に変更したんですか?」
男性は答えなかった。
海が間に入った。
「まだ確認できていないことがあります」
「でも、うちには届いていません」
「それは確認できています」
「だったら、誰が変更したんですか?」
「今、確認しています」
責任者は怒っていた。
しかし、怒りながらも、海が差し出した記録を見た。
「この名前……」
「知っていますか?」
「昔、うちで働いていた人です」
「今は?」
「分かりません」
海は記録を見た。
また名前だった。
名前は残っている。
けれど、その人が今どこにいるのかは分からない。
「連絡できますか?」
「昔の連絡先なら」
「使えますか?」
「分かりません」
責任者は少し黙った。
「……明日、探してみます」
その言葉に、海は頷いた。
帰り道、湊が言った。
「名前って、本当に面倒ですね」
「そうだね」
「知っているのに、何も分からないことがあります」
「うん」
「でも、知らないからこそ、勝手に決めないほうがいいこともある」
海は湊を見た。
「今日は少し分かってきた?」
「少しだけ」
「それなら十分だよ」
二人は倉庫へ戻った。
夜。
少女は家で、兄に学校であったことを話していた。
全部ではない。
言えることだけ。
言いたくないことは言わなかった。
兄も、全部は聞かなかった。
その二人の間には、まだ話されていないことが残っていた。
けれど、そのことが、必ずしも二人を遠ざけているわけではなかった。




