↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘の向こう側  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

290/590

第290章 信じる前の話

朝、配送センターの入口に一人の男が立っていた。


三十代の半ばくらいだった。


作業服ではなく、古い上着を着ている。


受付の前でしばらく中を見ていたが、誰かに声をかけることもなく、そのまま帰ろうとした。


海がそれに気づいた。


「誰かを探しているんですか」


男は振り返った。


「……昔、ここで働いていた人がいると聞いて」


「名前は?」


男は少し迷った。


「それが、分からないんです」


海は何も言わなかった。


男は苦笑した。


「昔は知っていたんです。でも、今の名前を聞いても、たぶん分からないと思います」


「それなら、どうしてここへ?」


「人づてです」


男はそう言って、受付の机に小さな紙を置いた。


「この人を知っている人がいたら、渡してほしい」


海は紙を見た。


そこには名前が一つだけ書かれていた。


写真はない。


住所もない。


年齢もない。


ただ名前だけだった。


「連絡先は?」


「書かないでください」


「本人に渡すだけでいい?」


「はい」


海は紙を裏返した。


「どうして自分で探さないんですか」


男はしばらく黙った。


「探してほしくない人かもしれないからです」


その言葉に、海は顔を上げた。


男は少し困ったように笑った。


「会いたいのは、たぶん自分のほうなんです」


それだけ言って、男は帰っていった。


海は紙を持ったまま、しばらく入口を見ていた。


透が近くを通った。


「知っている人?」


「分からない」


「名前は?」


海は紙を見せた。


透は一度だけ目を通した。


「知らない名前だね」


「そう」


海は紙を折った。


「でも、知っている人がいるかもしれない」


「渡す?」


「本人がここにいるなら」


海は紙をしまった。


「いないなら、置いておく」


その日の昼過ぎ、若い女性が受付に来た。


昨日から働き始めたばかりの女性だった。


「海さん」


「何?」


「朝、誰か来ませんでした?」


海は少し考えた。


「来たよ」


女性の表情が変わった。


「男の人?」


「そう」


「何か言っていましたか」


海は答える前に、女性の顔を見た。


「昔の知り合いを探していると言っていた」


女性は黙った。


「名前を聞きましたか」


「聞いた」


海は紙を出した。


女性は名前を見た瞬間、目を伏せた。


「……知っています」


「本人?」


「違います」


少し間があった。


「その人を知っている人を、知っています」


海は紙を戻した。


「渡さないほうがいい?」


女性はすぐには答えなかった。


「分かりません」


「じゃあ、まだ渡さない」


女性は驚いたように海を見た。


「どうして?」


「渡していい理由がないから」


「でも、会いたいのかもしれません」


「そうかもしれない」


海は紙を机の中に戻した。


「でも、会いたくないかもしれない」


女性は黙っていた。


しばらくして、小さく息を吐いた。


「昔、その人が誰かを探していました」


「同じ人?」


「分かりません」


「どういう意味?」


「昔のことなので」


女性は受付の椅子に座った。


「みんな、昔の話を知っているつもりなんです。でも、実際には一人ずつ違うことを覚えています」


海は何も言わなかった。


「私は、その人が悪い人だったと聞いていました」


「今は?」


「今は……分かりません」


女性は机の上を見た。


「昔、一度だけ助けてもらったことがあります」


「それでも?」


「それでも、悪い人だと聞いていたので」


海は少しだけ笑った。


「両方、本当かもしれないね」


女性は顔を上げた。


「そうですね」


その日の仕事が終わる頃、海は紙を取り出した。


名前をもう一度見た。


そして、その横に小さく書いた。


「本人への連絡を希望するか、確認すること」


それ以上は書かなかった。


透が隣から見ていた。


「理由は書かないの?」


「書かない」


「どうして?」


海は紙を折った。


「理由まで書いたら、次に読む人が、その理由を使って判断するかもしれないから」


透は返事をしなかった。


外では、仕事を終えた人たちが一人ずつ建物を出ていた。


誰かを信じている人もいた。


信じていない人もいた。


そして、そのどちらなのか自分でも分からない人もいた。


海は最後に受付の灯りを消した。


紙は、机の中に残ったままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。