第288章 信じない人
数日後、倉庫で小さな問題が起きた。
医療用品の箱が一つ、予定していた場所からなくなっていた。
担当者が作業表を確認する。
「昨日の夕方まではあった」
「誰かが持っていったんじゃない?」
誰かが言った。
「誰が?」
「知らない」
その言葉が出たあと、何人かが名前のない男を見た。
男は何も言わなかった。
受付の女性がすぐに記録を確認した。
「最後に確認したのは?」
「昨日の午後四時です」
「そのあと、この場所を使った人は?」
数人の名前が挙がった。
名前のない男も、その中にいた。
男が言った。
「俺も触りました」
周囲が静かになった。
「何をした?」
「箱を一つ移動しました」
「そのとき、医療用品は見なかった?」
「見ました」
「じゃあ、持っていった?」
男は首を横に振った。
「持っていません」
一人の作業員が言った。
「でも、触ったんだろ?」
「はい」
「じゃあ、怪しいじゃないか」
受付の女性が止めた。
「怪しいかどうかではなく、確認しましょう」
男は黙って立っていた。
海が作業表を見た。
「昨日の四時以降に、別の場所へ移した記録はありませんか?」
「ありません」
「なら、移動した人に聞いてみればいいと思います」
数人に確認した。
一人目は覚えていなかった。
二人目は、別の棚へ移したと言った。
「でも、戻したはずです」
三人目は、その箱を見たと言った。
「夕方、診療所の人が持っていったと思います」
受付の女性が確認すると、診療所から返事が来た。
「昨日、緊急で一箱受け取った」
記録されていなかった。
「どうして記録がないんですか?」
「急いでいたので、あとで書くつもりでした」
箱は診療所にあった。
問題は解決した。
しかし、男はその場に残っていた。
「俺を疑った人、何か言わないんですか?」
誰も答えなかった。
しばらくして、一人の作業員が言った。
「悪かった」
男はその人を見る。
「何が?」
「疑ったこと」
男は少し考えた。
「別にいいです」
「本当に?」
「はい」
「信じてたわけじゃないんだろ?」
男は少し笑った。
「信じてはいませんでした」
周囲が静かになった。
男は続けた。
「でも、疑うことと、犯人だと決めることは違うでしょう」
その言葉に、誰も返事をしなかった。
昼休み。
湊が海のところへ来た。
「さっきの人、強いですね」
「そうかな」
「俺だったら、もっと怒ります」
海は弁当を食べながら言った。
「怒ってもいいと思います」
「でも、あの人は怒らなかった」
「怒っていないとは限らない」
湊は少し黙った。
「確かに」
午後。
診療所の担当者が謝りに来た。
「記録を後回しにしてしまって、すみません」
受付の女性が言った。
「次からは、急いでいても最低限だけ残してください」
「分かりました」
帰り際、担当者が名前のない男に頭を下げた。
「疑われる形になってしまって、すみません」
男は少し迷ってから答えた。
「大丈夫です」
担当者が帰ったあと、海が聞いた。
「本当に大丈夫ですか?」
男は少し笑った。
「大丈夫じゃないですよ」
「そうですか」
「でも、怒っていることを伝えるのと、相手を責めることは別なので」
海は黙った。
男は続けた。
「俺は、昔それができなかった」
「何を?」
「疑われたとき、全部説明しようとした」
男は遠くを見る。
「説明すれば信じてもらえると思ってた」
「違った?」
「説明すればするほど、別の疑いが増えた」
海は何も言わなかった。
「だから今は、必要なことだけ話す」
男はそう言って、作業場へ戻った。
その日の夕方。
受付の女性は、医療用品の記録に新しい項目を追加した。
「緊急搬出」
誰が持っていったか。
どこへ持っていったか。
あとで正式な記録に戻すこと。
それだけを簡単に書く。
誰かを疑うためではない。
疑わなくても確認できるようにするためだった。
海はその記録を見た。
信じることと、確認すること。
どちらか一つだけで済む場面ばかりではなかった。




