↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘の向こう側  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

279/590

第279章 呼ばれたくない名前

翌朝、少年は初めて配給所の仕事を手伝った。


倉庫よりも人が多い。


食料を運ぶ人。


列を整理する人。


名前を確認する人。


そして、何かを尋ねに来る人。


少年は受付の横で、渡された紙を整理していた。


「この順番で並べてください」


受付の女性が言った。


「名前の順ですか?」


「今日はそうです」


少年は紙を一枚ずつ並べた。


漢字の名前。


ひらがなの名前。


簡単な記号だけの名前。


途中で、少年の手が止まった。


一枚の紙に、名前ではなく数字が書かれていた。


「これは?」


「その人の名前です」


「数字が?」


「本人がそう呼ばれたいと言ったので」


少年は紙を見つめた。


「名前じゃないですよね」


「本人にとっては名前です」


少年は少し考えてから、その紙を指定された場所に置いた。


しばらくすると、一人の女性が受付に来た。


「私の名前、変えてもらえますか?」


受付の女性が顔を上げる。


「どうしました?」


「昨日まで使っていた名前ですけど、今日は別の名前で呼んでほしいんです」


「登録名も変更しますか?」


「できれば」


女性は小さな紙を差し出した。


そこには別の名前が書いてあった。


受付の女性は記録を確認する。


「理由を聞いてもいいですか?」


女性は少し迷った。


「前の名前を知っている人が、この町に来たんです」


「知り合いですか?」


「昔の知り合いです」


「その人に見つかりたくない?」


「はい」


受付の女性はうなずいた。


「では、今日からこちらの名前で呼びます」


少年は黙って二人の会話を聞いていた。


女性が立ち去ったあと、少年は尋ねた。


「名前を変えると、前の名前は消すんですか?」


「いいえ」


「じゃあ、記録には残る?」


「必要な記録には残ります」


「でも、今は別の名前で呼ぶ」


「そうです」


少年は少し困った顔をした。


「それって、嘘じゃないんですか?」


受付の女性は少し考えた。


「嘘かもしれません」


少年は顔を上げた。


「でも、名前を知られたくないという意思も本当です」


「どっちが本当なんですか?」


「どちらもです」


少年は黙った。


受付の女性は続けた。


「昔の名前が存在したことと、今その名前で呼ばれたくないことは、両立します」


「……難しいです」


「私もそう思います」


昼前、昨日の女性がもう一度受付に来た。


「すみません」


「はい」


「やっぱり、前の名前も残しておいてください」


受付の女性は少し驚いた。


「いいんですか?」


「はい」


「どうして?」


女性は少し笑った。


「消してしまったら、昔の自分までいなくなる気がしたので」


少年はその言葉を聞いていた。


受付の女性が記録を修正する。


「では、旧名は残します。呼び方だけ変更します」


「お願いします」


女性は安心したように笑った。


その後、少年はまた紙を整理した。


今度は、数字の名前も、変更された名前も、以前の名前も、同じように扱った。


ただし、呼ぶときだけは、本人が選んだ名前を使う。


午後、少年が倉庫へ戻ろうとすると、昨日の教室の女性が声をかけた。


「少し慣れましたか?」


「まだです」


「名前を扱う仕事は難しいでしょう」


「はい」


少年は少し考えてから言った。


「前の場所では、名前を変えることは悪いことでした」


「ここでは?」


「まだ分かりません」


女性は笑った。


「それでいいと思います」


少年は首をかしげた。


「分からないままでも?」


「分からないまま考えることもありますから」


二人は歩きながら話した。


「先生は、名前を変えたことがありますか?」


「ありますよ」


少年は驚いた。


「本当に?」


「昔、一度だけ」


「どうして?」


女性は少し考えた。


「そのときの私には、その名前で呼ばれるのが嫌だったから」


「今は?」


「今は、どちらでもいいです」


「じゃあ、昔の名前に戻した?」


「戻していません」


「どうして?」


女性は笑った。


「昔の自分も、今の自分も、どちらも私だから」


少年は何も言わなかった。


夕方、配給所の受付で、誰かが女性の昔の名前を呼んだ。


女性は一瞬だけ振り返った。


それから、今の名前を呼ぶ声に戻っていった。


少年はその様子を見ていた。


名前は人を特定するためにある。


けれど、ときには人から自分を守るためにも使われる。


そして、同じ名前を持っていても、


その名前を呼ばれたいかどうかは、


その人自身にしか決められないことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。