第274章 戻らない人
三日後の朝、少年は妹と一緒に診療所を出た。
妹の熱は下がっていた。
歩く速度はまだ遅かったが、自分で歩けるようになっている。
受付の女性が二人に小さな袋を渡した。
「薬です。あと二日分あります」
少年は受け取った。
「ありがとうございます」
「食事はどうしますか?」
「配給所に行きます」
「お兄さんだけでも大丈夫ですか?」
少年はうなずいた。
「大丈夫です」
妹が少年の服の袖をつかんだ。
「お兄ちゃん」
「なに?」
「どこに行くの?」
少年は少し考えた。
「前にいたところには戻らない」
「じゃあ、どこ?」
「分からない」
妹は黙った。
二人は診療所を出た。
その日の昼、配給所では新しい相談が始まっていた。
「住む場所がない人を、どうするか」
最近、町の外から人が流れてくるようになっていた。
食料を求めて来る人。
仕事を探して来る人。
以前の場所を失って逃げてきた人。
それぞれ事情が違った。
会議の席で、一人の男が言った。
「まず、以前いた場所を確認すべきです」
別の女が反対した。
「確認している間に、今日の食事がなくなります」
「でも、誰でも受け入れたら足りなくなる」
「だから、人数を確認するんでしょう?」
「身元も必要です」
「身元が分からない人は?」
「調べる」
「誰が?」
男は黙った。
別の人が言った。
「戻れる場所がある人は、戻ってもらえばいい」
「本人が戻りたくない場合は?」
「理由を聞く」
「理由を言いたくない場合は?」
また沈黙した。
透は少し離れたところで聞いていた。
昨日までなら、こういう話を聞くと、答えを探していたかもしれない。
今は、答えが一つでないことを知っている。
やがて責任者が言った。
「まず三日間だけ受け入れましょう」
「三日?」
「食料と寝る場所を用意する。その間に、本人が話せる範囲で事情を聞く」
「三日で分からなかったら?」
「分からないままでもいい」
何人かが顔を見合わせた。
「それでいいんですか?」
責任者は答えた。
「分からないことを理由に、今日の食事までなくすわけにはいかないでしょう」
会議はそこで終わった。
その日の夕方、少年が妹を連れて配給所に来た。
受付の女性は二人を見て、少し驚いた。
「もう退院したんですね」
「はい」
「住む場所は?」
「まだです」
女性は少し考えた。
「三日間なら、空いている部屋があります」
少年は顔を上げた。
「本当に?」
「はい」
「その後は?」
「そのときに考えましょう」
少年はうなずいた。
「ありがとうございます」
受付の女性が記録を書こうとした。
「名前は?」
少年が答える。
「僕は――」
そこで止まった。
妹のほうを見た。
妹は何も言わない。
少年は少し考えてから、自分の名前を伝えた。
今度は隠さなかった。
住所を聞かれると、
「ありません」
と答えた。
女性はそのまま記録した。
「以前の場所は?」
少年はしばらく黙った。
「戻りません」
女性は理由を聞かなかった。
「分かりました」
それだけだった。
少年は少し驚いた顔をした。
「聞かないんですか?」
「話したくなったら、話してください」
少年はうなずいた。
その夜、二人は新しい部屋で眠った。
妹はすぐに眠った。
少年だけが、しばらく起きていた。
昼間にもらった紙を取り出す。
そこには、あの男の名前と居場所が書いてある。
少年は紙を折った。
捨てなかった。
けれど、すぐに会いに行くつもりもなかった。
戻らないことと、すべてを切り捨てることは、
同じではないのかもしれなかった。




