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嘘の向こう側  作者: 亀


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第238章 受け取らなかった人

その日の配給所には、いつもより長い列ができていた。


理由は、朝からパンが届いていたからだった。


「今日はパンもあるんだ」


「昨日はなかったよね」


「今日は来たんだって」


「どこから?」


「知らない」


人々はそれ以上聞かなかった。


配給所の前に折り畳み式の机が三つ並べられ、その上にパンと缶詰が置かれていた。


担当者は一人ずつ確認していく。


「一人二つまでです」


「パン二つでもいい?」


「はい」


「缶詰は?」


「一つまで」


「じゃあ、パン一つと缶詰一つ」


その横で、昨日の若い男が箱を運んでいた。


「これ、どこ?」


「奥」


「分かった」


男が箱を運んでいく。


その途中で、配給所の外から声がした。


「今日は、いらない」


見ると、昨日の缶詰を返した少女が立っていた。


担当者が近づく。


「今日は何もいらないの?」


少女は頷いた。


「お母さんが、今日は大丈夫だって」


「そう」


「でも、これだけもらっていい?」


少女が指差したのは、小さなパンだった。


「もちろん」


担当者が一つ渡す。


少女は受け取った。


そのまま帰るのかと思ったが、少し歩いたところで立ち止まった。


「これ、二人で食べる」


担当者は笑った。


「そう」


少女は帰っていった。


昼過ぎ。


一人の女性が配給所に来た。


「パンはまだありますか?」


「あります」


「二つください」


担当者が袋に入れようとすると、女性は首を振った。


「一つでいいです」


「二つまでですよ」


「知っています」


「じゃあ、二つ取ってもいいですよ」


女性は少し考えた。


「昨日、二つもらったんです」


「昨日?」


「別の人から」


「ここで?」


「ここじゃないです」


担当者はそれ以上聞かなかった。


女性はパンを一つだけ受け取った。


その帰り際、後ろから声がした。


「一つ余ってるなら、俺にくれない?」


女性が振り返った。


少し離れた場所に、中年の男が立っていた。


「あなた、もう受け取ったでしょう」


担当者が言った。


「でも、腹が減ってるんだよ」


「次の配給まで待ってください」


「待てないから言ってる」


男の声が少し大きくなった。


周囲の人が振り返る。


女性は手に持ったパンを見た。


そして、男に差し出した。


「これ、どうぞ」


男は驚いた。


「いいの?」


「私は一つで足ります」


「でも……」


「食べるなら、どうぞ」


男はパンを受け取った。


「ありがとう」


女性は何も言わずに帰った。


担当者はその背中を見ていた。


若い男が小声で言った。


「それなら、最初から二つ配ればいいんじゃないですか?」


担当者は答えなかった。


「二つ渡せば、一つを誰かにあげる人もいるでしょう」


「そうかもしれない」


「だったら……」


「でも、全員がそうするとは限らない」


若い男は黙った。


「だから、決まりがある」


担当者はそう言った。


その日の午後。


透が配給所に立ち寄ると、彼女もいた。


「来てたんだ」


「うん」


「何かあった?」


「今日はパン」


「それだけ?」


「それだけ」


二人は列の後ろに並んだ。


前では、若い男が誰かと話している。


「昨日の缶詰、返した人がいるらしいよ」


「誰?」


「知らない」


「またそれ?」


「本当に知らないんだよ」


透はその会話を聞いていた。


そのとき、隣の彼女が小さく言った。


「ねえ」


「うん」


「昨日の『二人分』って、もしかしたら二人分じゃなかったのかもしれないね」


「どういう意味?」


「二人に渡すつもりだった、とか」


透は少し考えた。


「一人が二人分を持っていた?」


「そういうこと」


「でも、返した」


「うん」


「じゃあ、その二人は……」


透は言葉を止めた。


彼女もそれ以上言わなかった。


配給所では、今日も人が物を受け取っている。


受け取らない人もいる。


受け取ってから誰かに渡す人もいる。


最初から必要な分だけ取る人もいる。


誰が正しいのか。


そんなことを決められるほど、透は人の事情を知らなかった。


帰り道。


彼女が言った。


「今日、パン一つしか食べなかった」


「足りる?」


「夜に食べるから大丈夫」


「じゃあ、何か食べに行く?」


「うん」


二人は駅前の小さな店に入った。


店員が聞く。


「二人ですか?」


「はい」


「何名様ですか?」


彼女が笑った。


「二人です」


透も笑った。


店員は何も疑わなかった。


それで十分だった。

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