第234章 同じ数
翌朝、配給所の前には、いつもより早く人が集まっていた。
理由は誰にも分からなかった。
「今日は早いね」
「昨日、遅く来たら何も残ってなかったから」
「そんなに少なかった?」
「知らない。でも、そう聞いた」
その会話を聞きながら、透は列の最後に並んだ。
しばらくすると、昨日の男が来た。
今日は笑っていなかった。
手には何も持っていない。
「今日は少し遅れます」
それだけ言って、倉庫のほうへ戻っていった。
列の中から声が上がった。
「何が遅れるの?」
男は振り返った。
「まだ届いていないので」
「何が?」
「食料です」
「どこから?」
「それは……」
男は少し迷った。
「分かりません」
「分からないのに、届くの?」
何人かが笑った。
男も少し笑った。
「そうですね」
その答えに、列の空気が少し緩んだ。
透はその様子を見ていた。
昨日なら、ここで「おかしい」と思ったかもしれない。
今日は、ただ待った。
三十分ほどして、小さな車が一台入ってきた。
荷台には段ボール箱が積まれていた。
「来た」
誰かが言った。
人々が少し前に動いた。
配給所の三人が箱を確認する。
一人が紙を見て、眉を寄せた。
「数が違う」
「少ない?」
「いや」
その人はもう一度数えた。
「多い」
周囲がざわついた。
「多いならいいじゃない」
「でも、注文した数と違う」
「多いのに?」
「多くても困ることはある」
「どうして?」
三人は答えなかった。
男が箱を一つ開けた。
中には缶詰が入っている。
別の箱には乾電池。
もう一つには簡単な医療用品。
配給に必要なものは揃っていた。
「これなら配れるでしょう」
誰かが言った。
三人は顔を見合わせた。
「……そうだね」
その日の配給は、予定より多くなった。
昨日まで不満を言っていた人たちも、今日は笑っていた。
「やっぱり、あの人はいい人だね」
「そうだね」
「昨日も明日もあるって言ってたし」
「今日は本当にあった」
透はその言葉を聞いていた。
少し不思議だった。
昨日まで「嘘だった」と言われていた言葉が、今日は別の形で戻ってきている。
その日の午後。
会社で一人の同僚が話しかけてきた。
「配給所、行った?」
「行ったよ」
「今日は多かったらしいね」
「うん」
「昨日、あの人が隠してたんじゃないかって話もあったけど」
「誰が?」
「昨日の三人」
「そうなの?」
「噂だけど」
透は少し考えた。
「じゃあ、今日増えた分は?」
「知らない」
「誰が持ってきたんだろう」
「知らない」
同僚は笑った。
「でも、増えたならいいじゃん」
透も笑った。
「そうだね」
夕方。
透が帰ろうとすると、会社の入口で一人の女性が待っていた。
昨日、配給所で乾電池のことで話していた女性だった。
「少し聞きたいことがあるんだけど」
「僕に?」
「昨日、あなた、あの人と話してたでしょう?」
「少しだけ」
「何を話した?」
透は思い出した。
食堂で会ったこと。
配給所の話をしたこと。
それだけだった。
「配給の話です」
「何か変なこと言ってなかった?」
「特には」
女性は少し安心したようだった。
「そう」
「どうして?」
女性は答えなかった。
代わりに、手に持っていた小さな袋を見せた。
中には乾電池が二本入っていた。
「これ、昨日の夜にもらったの」
「誰から?」
「……あの人」
透は黙った。
「でも、今日の朝は配給所にいなかったから」
「そうなんだ」
「だから、少し気になって」
「何が?」
女性は少し考えた。
「私だけがもらったのかなって」
その言葉に、透は答えられなかった。
その夜、彼女に話すと、
「それだけなら、何とも言えないね」
と言われた。
「うん」
「誰かを特別扱いしたのかもしれないし、その人に必要な事情があったのかもしれない」
「そうだね」
「それに、もらったことを隠している人が他にもいるかもしれない」
透は少し考えた。
「それだと、配給所の記録と実際の数が合わなくなる」
彼女は透を見た。
「そこまで考えるようになったんだ」
「昨日、帳簿の話を聞いたから」
「帳簿?」
透はそこで言葉を止めた。
食堂で聞いた話は、誰かから秘密として預かったものではない。
けれど、会社の人間に話す必要もない。
「……ううん。なんでもない」
彼女はそれ以上聞かなかった。
二人は駅まで歩いた。
途中で、彼女が言った。
「ところで」
「うん」
「今日、私も一つ嘘をついた」
透は彼女を見る。
「何?」
「それは秘密」
「じゃあ、聞かない」
「本当に?」
「うん」
彼女は少し笑った。
「そういうところ、前より楽になったね」
透は何も答えなかった。
翌朝。
配給所の倉庫で、三人の男が再び帳簿を確認していた。
昨日合わなかった数字は、今度は合っていた。
「戻ってる」
「誰が直した?」
「知らない」
「昨日の箱は?」
「全部配った」
三人は顔を見合わせた。
一人が倉庫の隅を見る。
そこには、昨日までなかった小さな箱が置かれていた。
蓋には何も書かれていない。
箱を開けると、缶詰が十個入っていた。
その下に、紙が一枚あった。
そこには数字だけが書かれていた。
昨日、帳簿から消えていた数と同じだった。
三人のうち一人が言った。
「これ、誰が置いたんだ?」
誰も答えなかった。
そして、誰も箱を動かさなかった。




