第二百十九章 開かなかった窓
土曜日の朝、透はいつもより遅く起きた。
カーテンを開けると、向かいの建物の窓が一つだけ開いていた。
昨日までは閉まっていた窓だった。
その部屋には、しばらく人が住んでいなかった。
窓のそばに段ボールが積まれている。
「誰か入ったのかな」
透はそう思ったが、それ以上は考えなかった。
昼前、商店街へ出る。
古い衣料品店の前に、臨時の張り紙が出ていた。
「本日午後より営業」
その下には、
「一部商品は販売できません」
とある。
店の中では、店主が棚を整理していた。
「久しぶりですね」
透が声をかけると、店主が振り返った。
「昨日まで休んでたんだよ」
「何かあったんですか?」
「仕入れが遅れてね」
「商品が来なかった?」
「来たものもある。来なかったものもある」
店主は新しく届いた箱を開けた。
中には靴下や手袋が入っている。
「全部そろわなかったから、開けるか迷ったんだけどね」
「それでも開けたんですね」
「待ってても仕方ないから」
店主は棚に商品を並べた。
「ないものは、ないって書いておけばいい」
「そうですね」
店の外には、
「一部商品は入荷待ちです」
という紙が追加された。
午後、透は駅前の建物の前を通った。
昨日見た空き部屋の窓は閉まっていた。
代わりに、一階の入口に新しい紙が貼られている。
「入居者決定」
透は少しだけ足を止めた。
決まったらしい。
誰が住むのかは書かれていない。
そこへ、昨日会った女性が歩いてきた。
「あ」
女性も紙を見た。
「決まったんですね」
「そうみたいです」
「私じゃないですけど」
「別のところに決まったんですか?」
「うん」
女性は少し笑った。
「昨日の夜、別の部屋を見つけました」
「よかったですね」
「ありがとうございます」
それだけ話して、女性は駅へ向かった。
透も反対方向へ歩いた。
夕方、彼女から連絡が来た。
「今日は家で片づけしてた」
「何か捨てた?」
「少し」
「何を?」
「昔の服とか、使ってないもの」
「思い出は?」
「残した」
「全部?」
「全部じゃない」
透は少し笑った。
「選んだんだ」
「うん」
しばらくして、彼女から写真が送られてきた。
机の上に、数冊の本と小さな箱が置かれている。
「これだけ残した」
「前より少なくなったね」
「でも、必要なものは残ってる」
透は写真を見た。
「それならいいね」
「透は、捨てるの苦手そう」
「そうかも」
「どうして?」
「あとで必要になるかもしれないから」
「それ、いつも言ってる?」
「たぶん」
彼女から笑った顔が送られてきた。
透も笑った。
夜、向かいの建物を見る。
朝に開いていた窓は、今も閉じている。
中の様子は見えない。
誰かが住み始めたのかもしれない。
まだ荷物を置いただけなのかもしれない。
透には分からない。
けれど、以前ほど気にならなかった。
開いている窓には、開いている理由がある。
閉まっている窓にも、閉まっている理由がある。
その理由を知らなくても、窓の前を通ることはできる。
透はカーテンを閉めた。
明日のことは、明日になってから考えればいい。
それくらいの余白が、今は少し心地よかった。




