第二百十八章 空いている部屋
金曜日の朝、会社へ向かう途中で、透は駅前の掲示板を見た。
古い建物の二階にある部屋についての案内だった。
「短期利用者募集」
家具付き。
水道、電気あり。
期間は三か月。
詳しい条件は管理事務所まで。
透は一度読んで、そのまま通り過ぎた。
昼休み、同僚がその話をしていた。
「駅前の部屋、空いてるらしいな」
「そうなんだ」
「知り合いが探してるんだって」
「借りるの?」
「まだ分からない」
「家賃、高そう」
「そこまででもないらしい」
「らしい?」
「聞いた話だから」
二人とも笑った。
午後、会社に電話が入った。
近くの倉庫を一時的に借りたいという問い合わせだった。
担当者が対応している。
「何人で使いますか?」
「五人くらい」
「期間は?」
「二週間の予定です」
「予定ということは?」
「延びる可能性があります」
「分かりました。確認します」
電話が終わる。
担当者はメモを見ながら言った。
「二週間かもしれないし、一か月になるかもしれないそうです」
「最初から一か月借りればいいのに」
誰かが言った。
「仕事がどうなるか分からないんじゃない?」
「そうか」
夕方、透は駅前の建物の前を通った。
一階には小さな食料品店がある。
二階の窓に「募集中」の紙が見える。
入口には管理事務所の場所が書いてあった。
そこへ一人の女性が入っていった。
しばらくして、女性が出てくる。
透と目が合った。
「すみません」
「はい?」
「二階の部屋、まだ空いてますか?」
「僕は分からないです」
「あ、そうですよね」
女性は少し笑った。
「管理人さんに聞いてきたんですが、まだ決めてないそうです」
「そうなんですか」
「はい」
女性は建物を見上げた。
「今日中に決めたかったんですけど」
「急いでるんですか?」
「少しだけ」
「別の部屋も探してるんですか?」
「いくつか見ています」
「そうなんですね」
それ以上、透は聞かなかった。
女性は駅の反対側へ歩いていった。
夜、彼女と食事をした。
「今日、部屋を探してる人に会った」
「部屋?」
「駅前の空いてる部屋」
「引っ越す人?」
「たぶん」
「また、たぶん」
「本人もまだ決めてないみたいだった」
彼女は笑った。
「決まってないことを、たぶんって言うのは便利だね」
「うん」
「でも、便利すぎると困ることもある」
「例えば?」
「仕事で『たぶん大丈夫』って言われたら、私は確認する」
「俺も最近は確認するようになった」
「最近?」
「前は、そのまま信じてた」
彼女は少し黙った。
「でも、全部確認するのも疲れるよ」
「分かってる」
「どこまで確認する?」
透は少し考えた。
「自分に関係するところまで」
「それも曖昧だね」
「そうだね」
二人は笑った。
食事を終えて店を出る。
駅前の建物を見ると、二階の窓にまだ明かりはついていない。
誰も住んでいない部屋。
けれど、いつまでも空いているとは限らない。
明日、誰かが入るかもしれない。
別の人が決めるかもしれない。
結局、誰も借りないかもしれない。
透は立ち止まらずに歩いた。
空いている部屋を見ても、そこに誰が住むのかまで考える必要はない。
ただ、今は空いている。
それだけだった。




