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嘘の向こう側  作者: 亀


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第二百十一章 残された席

木曜日の朝、透は駅の掲示板で一枚の紙を見つけた。


「共同食堂 今週の担当者募集」


その下に、簡単な説明がある。


調理をする人。


食器を洗う人。


配膳をする人。


食材を運ぶ人。


どれも一時間から二時間程度。


透は紙を眺めていた。


「興味ある?」


後ろから声がした。


昨日の交換所で見かけた若い男性だった。


「少し」


「俺、先週行ったよ」


「どうだった?」


「普通」


「普通?」


「料理は普通だった」


男性は笑った。


「でも、人は結構いたよ」


「毎日?」


「毎日じゃない。週に何回か」


透は頷いた。


「じゃあ、今日は?」


「今日は休み」


そう言って、男性は駅の中へ入っていった。


透も仕事へ向かった。


昼過ぎ、同僚が急に席を立った。


「どうしたの?」


「食堂から電話」


「何かあった?」


「いや、今日の担当が一人来られないらしい」


「それで?」


「代わりを探してる」


同僚は少し考えた。


「俺、行ってみようかな」


「仕事は?」


「今日はもう終わるから」


同僚は班長に確認してから、仕事が終わったあと共同食堂へ向かった。


翌朝、透が出勤すると、同僚が眠そうな顔をしていた。


「昨日どうだった?」


「疲れた」


「大変だった?」


「まあね」


「料理?」


「皿洗い」


「それだけ?」


「それだけ」


同僚は椅子に座った。


「でも、面白かったよ」


「何が?」


「最後に、食事が二人分余った」


「余った?」


「うん」


「どうしたの?」


「一人は持って帰った。もう一人分は、その場にいた人が食べた」


「それで終わり?」


「終わり」


透は少し笑った。


「なんか、普通だね」


「そうなんだよ」


同僚も笑った。


昼休み、食堂でその話をしていると、別の社員が言った。


「余ったなら、最初から少なく作ればいいんじゃない?」


「でも、足りなくなったら困るだろ」


「多めに作って残すほうがいいのか?」


「分からない」


三人とも黙った。


食事を続けた。


午後、共同食堂から会社に連絡があった。


「昨日の余った食事について、今後は持ち帰りを禁止するそうです」


誰かが言った。


「なんで?」


「衛生管理のためらしい」


「じゃあ、余ったら捨てるの?」


「そうなるんじゃない?」


「もったいないな」


「でも、仕方ないだろ」


話はそこで終わった。


帰り道、透は共同食堂の前を通った。


入口に新しい紙が貼られている。


「余った料理の持ち帰りについて」


衛生上の理由から、持ち帰りは禁止。


ただし、閉店前に希望者へその場で提供する場合がある。


透は紙を読んだ。


昨日とは少し違う。


けれど、昨日のことが間違いだったわけでもない。


その日の状況で、決め方が変わっただけだった。


中から皿を運んでいる女性が出てきた。


「あら」


透に気づいた。


「昨日の方のお知り合い?」


「会社の同僚です」


「そうでしたか」


女性は少し笑った。


「昨日、助かりました」


「皿洗いしただけだそうです」


「それが助かるんですよ」


透は頷いた。


女性は店の中へ戻っていった。


夜、彼女から連絡が来た。


「今日は仕事が長引いた」


「大丈夫?」


「大丈夫。帰る」


「迎えに行こうか?」


少しして返信が来た。


「今日はいい」


透は画面を見た。


「分かった」


それだけ返した。


以前なら、もう一度聞いていたかもしれない。


何時に帰るのか。


誰といるのか。


本当に大丈夫なのか。


けれど、今は聞かなかった。


彼女が必要なら、自分から言うだろう。


透はスマートフォンを置いた。


しばらくして、もう一度通知が鳴った。


「ありがとう」


短い一言だった。


透は、


「うん」


と返した。


窓の外では、誰かが自転車を押して歩いている。


遠くの建物では、共同食堂の明かりがまだついていた。


今日も、誰かが残った仕事を片づけている。


誰かが帰り、


誰かが代わりに入り、


誰かが何も知らないまま、その場所を使っている。


透は時計を見た。


そろそろ寝る時間だった。


明日になれば、また別の人が別の場所に座る。


その席が誰のものになるのか。


今の透には、まだ分からなかった。

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