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嘘の向こう側  作者: 亀


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第二百五章 知らない住所

木曜日の朝、透は会社で一枚の紙を受け取った。


新しい作業場所の住所だった。


「来週から、ここに行ってください」


班長が言った。


紙には建物の名前と住所、それから集合時間だけが書かれている。


「駅から歩けますか?」


透が聞くと、


「たぶん」


と返ってきた。


「地図は?」


「スマートフォンで調べてください」


透は住所を入力した。


地図上には、会社から少し離れた場所に印が出た。


周辺には工場がいくつかある。


「ここ、入口はどこですか?」


「それは現地で確認してください」


班長は別の人に呼ばれて、その場を離れた。


透は紙を折ってポケットに入れた。


昼休み、同僚たちも同じ紙を見ていた。


「ここ、前に行ったことある」


一人が言った。


「本当?」


「建物は見たことある。でも入口は反対側だった気がする」


別の人が、


「いや、正面から入るって聞いた」


と言った。


「誰から?」


「班長」


「俺は裏って聞いた」


話を聞いていた透は、住所をもう一度確認した。


誰かが間違っているのかもしれない。


あるいは、入口が複数あるのかもしれない。


午後、班長に聞いてみた。


「来週の集合場所、入口はどこですか?」


班長は紙を見た。


「正面入口です」


「正面って、この住所の建物の正面ですか?」


「はい」


「分かりました」


それ以上は聞かなかった。


仕事が終わってから、透は一度その場所まで行ってみることにした。


電車を乗り換え、駅から歩く。


地図では十五分ほどだった。


実際には二十分かかった。


建物はすぐに見つかった。


大きな門がある。


その横に、小さな通用口もある。


正面には会社名が書かれていた。


透は少し安心した。


しかし、門の前に立っている警備員に聞くと、


「来週からの作業員ですか?」


「はい」


「集合場所は裏側ですよ」


「裏側?」


「はい。正面は来客用なので」


透は紙を見た。


確かに「正面入口」とは書かれていない。


ただ、班長がそう言っただけだった。


「裏側はどこですか?」


警備員が道を教えてくれた。


建物を一周すると、別の入口があった。


そこには、


「作業員入口」


と書かれている。


透は写真を撮った。


帰りの電車の中で、班長にメッセージを送る。


「今日、現地を確認しました。作業員入口は裏側にありました」


しばらくして、


「そうでしたか。ありがとうございます」


と返ってきた。


そのあと、


「来週は裏側から入ってください」


と続いた。


透は画面を見た。


最初に渡された紙には、入口について何も書かれていなかった。


班長も、たぶん正面だと思っていたのかもしれない。


警備員は、作業員なら裏だと知っていた。


同じ建物について話していても、それぞれが持っている情報は違う。


透はスマートフォンをしまった。


家に帰ると、彼女から連絡が来ていた。


「今日、道を間違えた」


「どこで?」


「駅」


「大丈夫だった?」


「大丈夫。知らない人に聞いた」


「教えてくれた?」


「うん。でも、その人も自信がなかったみたい」


「着いた?」


「着いたよ」


「よかった」


少しして、彼女が言った。


「知らない人のほうが、正直なこともあるね」


透は少し考えた。


「自信がないって言えるから?」


「たぶん」


透は笑った。


「たぶん、便利だね」


「そうだね」


それだけの会話だった。


夜、透は昼間に撮った写真を見返した。


作業員入口。


正面入口。


同じ建物なのに、入口が二つある。


どちらが正しいのかではなく、


誰にとっての入口なのかが違う。


透はそう思った。


そして、来週のために写真を保存した。


もう一度迷う必要はなかった。

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